小宮山さん 相談す
起きた後はいつものようにバタバタと用意をして部屋を出たり入ったりしているとお侍さんが強張った顔で私をじっと見たり、逆にあからさまに目を反らしたりする。
朝だけじゃなくって仕事から帰ってからもずっとその調子で、自分の部屋にいると落ち着かないくらいなんだけど、私も決心がついてないのもあってできるだけ視線を合わせられないでいるんだよね。
彼の方から決定的ななにかがあれば私も応えないわけにはいかなくなるんだけど、お互いに迷っているからとってもギクシャクしてて。
私の方から切り出せたらお侍さんだって気が楽になるんだろうってことは気づいてるのに、慌ただしさを言い訳にして逃げ出した。
どうやら今日も先輩は休みらしい。
朝礼が済んで机に座ったところを見越したように携帯が振動してメールが届いたことを報せてくれた。
一応まだ事務所にいる社長の目を気にしながら開くと「昨日はごめん。それから差し入れありがとう。明日は出勤するから今日まで休ませてね」と高橋先輩からのメッセージ。
「仕事のことは気にせずに今日はゆっくり休んでください。明日も調子が戻らなければ無理しないでいいので」と打ったところでちょっと事務的過ぎるかなと悩んで迷う。
最後に「でも高橋先輩がいない事務所は静かで寂しいので、早く戻って来てくれると嬉しいです」と付け加えて返信した。
「じゃあ小宮山ちゃん、行って来るけどなんかあった時はすぐに携帯に連絡してね。一応真琴には早めにこっちに出てくるように言ってるけど、あんまり遅い時とか小宮山ちゃんで分からないような案件とかあった時は遠慮せず自宅に電話していいから」
「はい。ありがとうございます」
上着を羽織った社長が時間を気にしつつも声をかけてくれる。
小さな土木会社だけど社長だからって偉ぶってない人柄が社員に慕われているし、人のこと悪く言わないから取引先の人たちに気に入られているんだよね。
きっと。
「行ってらっしゃいませ」
「うん」
慌ただしく出て行く社長の背中を立ち上がって見送り、愛車の銀色のバンが駐車場から出て行くのを確認して腰を下ろした。
寂しいなんて感じてる暇はないくらいに頑張って働こう。
明日から出てくる先輩に気持ちよく働いてもらえるようにできるだけのことはしなくちゃ。
「今度は私の番だよね」
「ウォウ」
腕まくりするフリだけして気合を入れるとお座りした白が「その意気だ」とばかりに吠える。
その明るい声に励まされ、深呼吸をしてから今やるべきことに集中した。
「こんにちは」
「ひゃ、すみませ」
あまりにも没頭しすぎたみたいで入口が開いたのにも気づかず、すぐ近くで挨拶されて初めて来客だと認識して飛び上がる。
「あ、ごめん。驚かせたみたいで」
くっくっと笑い声が最近毎日のように聞くものだったので直ぐに相手が榊さんだと分かりほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、榊さんでしたか」
「ごめんね。オレで」
「いえ。榊さんでよかったです。こんなみっともないところ他の取引先の方に見られたら机の下に引きこもって暫く立ち直れなかったかもしれません」
「……それって喜んでいいのかな?」
「えと。はい」
肩を竦めておどけたように笑う榊さんを見上げ、キラキラの輝きに目を細めながら私は頷く。
「あれ。あかりさんは今日もお休み?」
「はい。でも明日には出て来られるかもしれないって朝メールがありました」
「そっか。心配だね」
いつもいるはずの高橋先輩の姿が隣にないってだけですごく心細いのに、榊さんまで心配そうに先輩の席を見ているものだから余計に寂しさが増してくる。
「あの。今日は真琴さんにご用事ですか?」
時計を確認すると十一時ちょっと回ったくらいだった。
いつもなら真琴さんが事務所に出てくるのはお昼休憩が終わった一時半過ぎなんだけど、今日は社長から早目にって言われているのでそろそろ来てもおかしくはない。
「いや。今日あかりさん来てるかなって外回りのついでに寄っただけだから」
「あ、そうなんですね。あの、じゃあお茶でも出しましょうか?」
先輩とは長い付き合いだから気にして見に来てくれたんだ。
やっぱり榊さんは優しい。
「オレ、お茶よりコーヒーがいいです」
「分かりました」
さっと立ち上がって給湯室に入り、棚からカップの上に乗せてお湯を注ぐだけで簡単にコーヒーが淹れられるドリップバッグを取り出す。
お中元でいただいたもので結構香りが良くて美味しいと評判だ。
下手くそな私でもそれなりに香り高いコーヒーを淹れられるんだから本当にすごい。
「どうぞ」
「ありがとう」
戻ると榊さんは先輩の席に座ってスマホでニュースを見ていた。
白いカップを机に乗せると湯気と一緒に良い香りが漂う。
ついでに自分用のも淹れて来たのでここでちょっと休憩することにした。
お砂糖とミルクたっぷり入れたコーヒーは先輩に「お子さま」っていつもからかわれるんだけど私これじゃないと飲めないんだよね。
先輩はいつもブラックで、どちらかというと深くて酸味が強い方が好みで。
「小宮山さん大丈夫?」
「え?」
「あかりさんがいなくて寂しいって、そんな顔してた」
うわっ!ウソ!
顔に出てた!?
慌ててカップを置いて両手で頬を押さえると榊さんが苦笑いして仕方ないよって呟く。
「あかりさん楽しくて面倒見も良いし、美人で華もあるからいるだけでその場が明るくなるしね」
「……そうなんです」
「あのさ。あかりさんとなんかあった?」
どうして分かったのか。
でもずばりと切り込まれたお蔭で私は素直に負けを認めることができた。
「先輩、なんか悩みがあったみたいなんですけど私全然気づかなくて。おかしいってやっと気づいて、力になりたいって思ったのに、次の日から休んじゃって」
しかも宗春さんに言われなかったら全然気づかなかったと思う。
「約束したんです。ご飯食べて飲みながら先輩の悩みを聞きますって。先輩の気が済むまでつきあいますって」
榊さんは一言「うん」と相槌を打って穏やかな瞳で私を促す。
上手く言葉を纏められないままに、それでもなんとか浮かんだ思いを必死で口にする。
「昨日、先輩の家に行ったんです。心配で。差し入れを持って」
「あかりさん出てくれた?」
「いいえ。亨さんが――あ、えと。先輩のお友だちがちょうど来て。少し落ち着いたらいつもの先輩に戻るから今はそっとしといて欲しいって言われて、引き下がっちゃいました」
本当はなにかできることがあったかもしれないのに。
「あかりさんの態度がおかしいって気づいた決定的なことってなにか聞いてもいい?」
「えと、火曜日の朝、榊さんに送っていただいたのを見て……から、機嫌が悪くなったというか」
そこまで言ってはっと気づく。
先輩がなにを悩んでいたのかばっかりに気を取られてたけど、あの日態度が変わったきっかけがなんだったのか考えてみれば分かることもある。
もしかして先輩。
榊さんが。
「あ、私、知らないでなんてことを」
「え?いやいや!小宮山さんきっと思い違いしてると思うんだけど……それはちょっと置いといて。そもそも知ってたらあかりさんを傷つけるようなことしないでしょ?それはあかりさんも分かってるし、それでも怒るってんならあかりさんが悪いから。小宮山さんは自分を責める必要は無いよ」
「でも」
きっと私相当青い顔をしてるんだと思う。
榊さんが一瞬ぎょっとした顔をした後で必死に落ち着かせようってしてくれて。
「あかりさんの悩み事は小宮山さんに関係しているかもしれないね。だから言いにくいし、今は顔を見るのが辛いんだと思う」
「きっと……そうなんだと思います」
「うん。でもそれは小宮山さんのせいじゃないかもね。あかりさん側の問題で、それを打ち明けるかどうかもあかりさん本人が決めることだし」
どうも榊さんは高橋先輩の悩みも予想がついているみたい。
「私……どうしたらいいんでしょうか?」
こんなことを聞かなくちゃ分からないほど私は途方に暮れていた。
普通なら呆れて自分で考えなさいっていう所を榊さんは腕を組んでひとつ頷くとにこりと微笑んだ。
「明日いつも通りにあかりさんに接するのが一番いいね。話したければあかりさんが話すだろうし、なにも言わなければそのままなにも聞かずにいてあげて」
「でも、それでいいんでしょうか」
私に原因があるのに。
教えてもらえれば気を付けられるし、頑張ってよくしようって努力はできる。
「うん。それがいいんだ。言いたくない悩みを無理やり聞き出す方がよくないから」
「そうです、よね」
納得はできないけど理解はできる。
それが一番いいんだって。
「小宮山さん、笑って」
「んん……難しいです」
この状況で笑えって難易度が高すぎる。
「きっとあかりさんは可愛くなっていく小宮山さんを見て焦っちゃったんだと思うよ」
「え?じゃあ私、前みたいに戻した方がいいんですか?」
「いや。そのままやりたいようにしたらいいと思う。良い方に変わっていくことを誰も止めたりできないんだから」
カップを持って一口コーヒーを啜り「あ、うまい」と榊さんが嬉しそうに笑った。
キラキラとオーラも輝いて空気まで温かくなる。
「頂き物のとっておきのドリップバックで淹れたんですよ」
「それオレに出してもいいの?」
そう言われれば会社のお金で買ってある香りはないけど味はそこそこのドリップバックもあったのに。
「……いいんです。お蔭で私も美味しいコーヒーが飲めたので」
「なんだ。小宮山さんが飲みたかっただけか」
「そうです。美味しいコーヒーが飲みたかったんです」
きっと。
「先輩がいなくて寂しかったから、誰かと一緒に」
その誰かが榊さんだっただけで。
自分のカップの中の甘いミルクコーヒーをこくりと飲んでほっと息を吐く。
じわじわと甘みが沁み渡り、口から鼻に抜けるコーヒーの良い匂いに少しずつ心が解れてきた。
「大体高橋先輩が焦る必要なんてないんですよ。元から美人だし、お洒落で、魅力的で、私がどんなに頑張っても先輩みたいになれないのに。そもそも先輩が私に可愛くなりたかったら努力しなさいって言ったのに」
「あかりさんは綺麗でいることで自分を守ろうとしてるところあるからなぁ」
やっぱり私より先輩のことよく分かってる。
「頑張っていることを誉められると自分に自信が持てるんですよね……」
まだ素直に受け入れることに戸惑いはあるけど、可愛い服を着たり、メイクが少し上達したり、お気に入りの下着を着けたりすると自分の中の気分は確実に上がる。
自分を磨くことの楽しさにやっと気づけたというか。
そういう世界を先輩は教えてくれた。
仕事だけじゃなくてたくさんのことを。
「私、明日できるだけいつも通りにします」
「うん。よろしく」
「でも上手くできる自信がないので勝負下着を着けて挑みます」
「ブフッ!」
丁度飲もうとしていたコーヒーを吹き出して、榊さんは苦しそうにゲホゲホと咳き込む。
先輩の机に零れている茶色い染みを慌てて拭きながら一応「大丈夫ですか?」と声はかける。
「げほっ、だい、じょ――ぶ」
私としては決意の表れのつもりだったんだけどなぁ。
仇討ちする時に白い着物を着て挑むような感じで勝負下着を使ったのがどうやらまずかったみたい。
「すみません」
「……いえ」
でも激しく動揺する榊さんが面白くて私は声を上げて笑った。
ここ二日悩んでいたことが嘘みたいに心も軽くなっている。
今なら一歩踏み出せるかもしれない。
彼のために。
その前に参考として榊さんの意見を聞いてみたくなって私は「聞きたいことがあるんですけど」と切り出した。
「なに?」
座りなおしてちょっとだけ表情を引き締めた榊さんはまっすぐな瞳で言葉を待っている。
上手く例え話として話せるか微妙だけど、たどたどしい言葉でも榊さんなら分かってくれるような気がする。
「あの、ですね。長い間ずっと誰かを待っている友人がいて、その相手はある場所から動けなくて、ずっと会えずにいる二人を自分が会わせてあげられるとします。でもその方法を使えばその友人とは二度と会えなくなってしまうとしたら……榊さんはどうしますか?」
吟味するように「う~ん」と唸った後、そう時間もかからずに榊さんは視線を上げ
「感謝する、かな」
って笑顔で答えた。
「感謝……する?」
予想外の返答だったので戸惑いながら説明を求める。
「そう。だってオレにしかできないんだよね?それ」
「ええっと、多分、はい」
「じゃあやっぱり感謝するかな。友だちのためにできることがあることに。しかも会いたがってる人と再会させてやれるって一番嬉しいことじゃない?」
確かに。
「そうだけど、その後、もう二度と会えないのに」
榊さんは悩んだりしないんだろうか。
迷わないんだろうか。
「考えてみなよ。ずっと待つって相当しんどい。いつか来てくれるって信じ続けることも、来ないことを恨むことも、長ければ長いほど心も体も弱って精神を蝕む」
だから。
「別れが辛くても大切な友だちがそれで解放されて幸せになるんなら、例えその時悲しくて泣いたとしてもオレは後悔しない」
その友だちのために。
できることを。
「きっと小宮山さんだって悩んで迷ったあとオレと同じような決断すると思うよ」
「榊さん……」
どうしてこの人はこんなに前向きで強いんだろう。
その強さや優しさが榊さんの金色のオーラの源なのかもしれないな。
私も近づきたい。
少しでも強くなりたいから。
「決めました。私、やってみます」
「そう。上手くいくといいね」
「はい」
最近悩みの元だったことへの踏ん切りがついたことがすごく嬉しい。
時には開き直りも必要なんだなぁ。
しみじみとコーヒーを飲んでいると事務所の入口がガチャリと開いて「お母さん?」という声と共に中山土木の娘さんである夏海さんが顔を覗かせた。
榊さんがいることに気づき首を傾げつつ中に入ってくる。
「あれ?いない?でも正ちゃんがいる……今日は来る日じゃなかったよね?サボり?」
「サボりって人聞き悪い。休憩って言って」
「同じじゃん。小宮山さん、お母さんこっちに顔出した?」
「いえ。まだです」
「そっかー……」
どうしようかなと唇を尖らせた夏海さん今日はお仕事が休みなんだろう。
いつもは店員をしている有名ブランドの洋服をばっちり着こなしているけどいかにも部屋から出てきましたよというラフな格好をしてる。
「なに?どした」
「え?いや、洗濯機の調子が悪くて。説明書どこかなって」
「洗濯機って最近買ったって言ってなかった?それ絶対ナツの使い方が間違ってるだろ」
「そんなことない。普通に電源いれようとしたのに反応ないんだからわたしのせいじゃない」
「それコンセント入ってる?」
「え?洗濯するたびにコンセント抜いたり入れたりするわけ?」
「いや……しないだろうけどなんかの弾みで抜けたりする可能性もないわけじゃないからな。しょうがない。オレが行っちゃる」
「ほんと?助かる!ついでに洗濯してくれたらもっといいんだけど」
「しません。洗濯はナツがやって。じゃあそういうことだから、小宮山さん失礼します。コーヒーごちそうさまでした」
立ち上がりぺこりと頭を下げる榊さんと「ごめんね。小宮山さん」と申し訳なさそうにしている夏海さん。
私は「いいえ!」と頭を振った後で洗濯機無事に動くといいですねって笑う。
夏海さんも笑顔で「ほんとにね」と同意して榊さんと共に事務所を出て行った。




