意気消沈する 小宮山さん
結局。
意気地なしの私はあの後お侍さんに意味の無い引きつった笑いを向けてから布団の中に逃げた。
そのまま眠ってしまい、いつもの時間に起きて顔を洗い、お弁当を作って朝ごはんを食べ、仕事に行く用意をして家を出る。
何度か部屋に戻ったけどお侍さんの方を見なかったのは気まずかったからだけじゃない。
私の中の狡い心が、彼の目を見るのを畏れたから。
眼鏡の力を使わない限りはお侍さんの過去を知ることも声も聞こえない。
すごく気になるけど、それが最期になるのなら。
できればあと少し、もう少しだけ。
勿論それが自分勝手でいけないことだって分かってる。
彼を逝くべきところへと送り出すことが一番正しくて、彼のためでもあるって分かってるんだけど。
「ごめんね……お侍さん」
五分ほど歩いてから足を止めて家がある方を振り返るけど、もうそこには屋根すら見えない。
こんな絶対に聞こえない距離から謝るなんて私は本当に卑怯な人間だ。
とぼとぼと歩き始めると白が「キュン」っと鼻を鳴らして見上げてくる。
澄んだ瞳の中に映る私の顔は冴えない上に辛気臭い。
「いけない、いけない。こんなんだと私が悪霊に憑りつかれちゃう……ってもう憑かれてるようなもんなのかな?あはははは」
気合を入れようと頬を軽く叩いて笑えない冗談を無理して自分で笑って。
なんだかなぁ。
もう。
今日は先輩の悩みを聞いて少しでも元気になってもらおうって思ってるのに。
こんなんじゃダメだ。
「前向き、前向き」
ぶつぶつと呟きながら中山土木がある大きな通りへと出ると一台の車が横をゆっくりと徐行してピタッと止まった。
ウィーンっと窓が開いて「おはようございます。小宮山さん」って声が聞こえる前に眩い光りが漏れてくる。
「榊さん、おはようございます。朝から輝いてますね」
「え?輝いてるってなにが?」
「いえ。あの、えと、朝から爽やかな笑顔だなぁと」
思わず口から出てしまった素直な感想に慌てながらなんとか誤魔化したけど、榊さんがすごく微妙な顔になってるよ。
「それよりも榊さん、今日も中山土木に用事ですか?」
いくら月初めだからってそんなに銀行さんに来てもらうようなことってないはずなんだけど。
しかも朝一番で確認が必要なことって余程のことなんじゃ。
「今日は親父さんの印鑑が必要で」
「ああ社長の」
それならもう事務所の方にいるはず。
外回りで外出が多い社長を掴まえるなら朝礼前が一番確実だ。
「良かったら乗って行きませんか?」
「いいえ。とんでもない。もうすぐですし」
「でも顔色、良くないし」
「あ」
さっき白の目に映った自分の顔を思い出してギクリとする。
「乗って」
「……はい」
素直に好意を受け取ることにして私は後部座席のドアを開けた。
先に白がスルリと奥へと入ったので、尻尾を踏まないように気を付けて座る。
小人さんが急いで乗り込んできて全員収まった所でそっと閉めた。
「すみません」
「いいえ。後ろ姿が元気なかったから気になって」
余計なお世話だった?って聞かれてぶんぶんと首を横に振る。
そんな風にさりげなく声をかけられる榊さんは本当にすごい。
ちゃんと周りを見ているからできることだし、普通なら気づかないような変化も見逃さないし、落ち込んでたり弱ってるのにもすぐに気づいてくれて。
「私にも榊さんの優しさや気遣いが半分でもあれば」
先輩が危険なものに心の隙をつかれるほど弱まる前になんとかできていたかもしれないのに。
「なに、それ」
困ったように微笑んで榊さんはチラリとルームミラーで私を見た。
「羨ましいなって勝手に思ってるだけです。気にしないでください」
「そんなに羨ましがられるほどのものなんてないけどな」
頻りに首を傾げてるけど自分のことほどよく分からないものだからきっと仕方がない。
私にはたくさんの榊さんの良い所見えてる――というか良い所しか見えないんですけど、どういうこと?
不公平じゃない?
「とにかく、もうちょっと慎重に周りを見るようにします」
どうにもならないことを怒ったってなんにもならないから、できることからコツコツとやるしか方法はないよね。
「ううんん……オレより全然小宮山さんの方が優しいと思うんだけど」
「そんなことないです」
「そんなことあるよ。頑張り屋さんだしさ。ちょっと真面目すぎて心配になるくらい」
取引先の事務員を心配してくれるくらい榊さんはやっぱり優しくて。
あんまり否定したりするのも良くないので「気をつけます」って答えておいた。
車は中山土木の駐車場へ入って行く。
従業員のおじさんたちが数人事務所へと向かっていて、入ってきた車が榊さんのだと知って笑いながら手を振る。
その車に何故か後ろに乗っている私に気づいて不思議そうに見た後、にやにや笑いに変えたのでこれは完全にからかわれるパターンだ。
「着いたよ」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
お礼を言って車を降り、急いで事務所へと向かうと案の定おじさんたちに「若いモンはいいなぁ」とか「あいつとできてんのか?」とか見当違いの言葉をかけられる。
榊さんの評判を落としては申し訳ないので「そんなんじゃなくて顔色が悪いって心配してくれたんですよ」って説明したら、おじさんたちも「そういえば顔色悪いな!」って言い始めた。
何度も「大丈夫ですから」って必死に元気アピールしたらなんとか納得してくれたけど、本当にどれだけみんな優しいんだか。
榊さんは無事に社長に判子を貰えたみたいで、そのまま直ぐに出て行った。
「紬、正吾くんと一緒に来たの?」
「え?あ、はい。車で通りすがりに声をかけてくれて。一応断ったんですけど顔色悪いからって言われてですね」
先に来ていた高橋先輩がおじさんたちにからかわれているのを聞いてたようで、なんだか神妙な顔で確認してきた。
ここでも榊さんの印象が悪くならないように事情を説明したんだけど「ふぅ~ん」って気の無い返事が返ってきて心がそわっとする。
でもここでもたもたしてたら朝礼までに着替えが間に合わない。
後でフォローすることにして私は急いで更衣室へ向かうことにした。
「すみません。ちょっと先に着替えてきます」
「…………」
先輩は無反応のまま。
すごく気になるけど更衣室へ飛び込んで服を脱ぎ、ロッカーに荷物も押し込んで着替え終えると走って事務所へと戻った。
みんな並んでいて私が揃った所で社長がひとつ頷いて朝礼が始まる。
ちょっと離れた場所に立っている高橋先輩の顔はなんだか怒っているように見えてまた胸がざわついた。
朝礼も済んでいつも通りの一日が始まる。
ただひとつ違うことは高橋先輩が纏う雰囲気がピリピリとしていること。
本当は先輩の悩み事を聞いて少しでも気持ちを軽くしようって思っていたのに。
これじゃあ難しい。
基本的に明るくてさらっとしている高橋先輩なので感情がはっきりとしていて分かりやすいんだけど、ここまで機嫌が悪かったことって今までなかったから困惑よりも怖いという感情の方が強かった。
なんだろう。
私なにかしたのかな。
緊張したまま仕事をして、いつもなら取り留めも無い話をしながら途中で休憩したりするんだけど、それもできなくてかなりしんどい。
先輩の怒りの原因を考えながらだと余計に仕事に集中できないしなぁ。
こういう時、榊さんだったらどうするんだろう。
きっと上手に先輩の心を解きほぐして話を聞き、自分が悪かったらちゃんと謝って、先輩の勘違いならそれを正すんだろう。
こうやって神経をすり減らしているよりもずっといいって分かってるけど。
今なにか言ったら確実に仕事の遅さを怒られる。
いつもより仕事の効率が下がってるから。
ここは強制的に仕事から離れざるを得ないご飯の時を狙おう。
うん。
そうしよう。
それからは時計の針を何度も気にしながら仕事を続けて、長い針も短い針も一番上を指した時にはもう何時間も過ぎたような脱力感に襲われた。
ようやくこの苦行から抜け出せるんだと喜んで先輩を見るとバチッと目が合い、それから軽く顔を顰めた後で大きく息を吐く。
張りつめていたものが緩んだ気配に私はここぞとばかりに身を乗り出した。
「先輩、私なにかしましたか?黙って怒ってないで言ってください。お願いだから、私にも謝るチャンスを、どうか」
祈るように指を組んで見つめると高橋先輩は額に手の甲を当ててしばし沈黙した。
そして小さく首を横に振る。
「違う、悪くない」
「本当のことを言ってください。先輩!」
「違うってば。本当に紬は悪くないの」
ただ悪いのは自分で大人げなかったと続けた後で「ごめんね」と謝ってくれた。
なにに対して怒っていたのか、苛立っていたのかの説明はしてくれなかったけど先輩がいつものように微笑んで「食べようか」ってお弁当を机の上に出したので私もそそくさとお弁当を乗せる。
私がお茶を準備して戻ると先輩はスマホのメールを見てたようだけど、あんまり嬉しそうでも楽しそうでもなかった。
眉間に皺を刻み、唇を軽く噛んでいる。
「あの、先輩。なにか悩み事あるんじゃないんですか?私でよければ聞かせてください」
「…………」
話を振るならきっと今しかないと力み過ぎたかもしれない。
きょとんとした顔でお茶を持ったまま立っている私を見上げ、三度瞬きした後で首を傾げて腕を組むと苦笑いされた。
「私じゃ頼りにならないかもしれないですけど、先輩の力になりたいんです」
「悩みねぇ」
「はい」
「ないことはないけど」
「!」
「ちょ、あぶなっ!?」
「あ、わっ!すみません!」
先輩の言葉によしっと小さくガッツポーズを取ろうとしてお茶を零し、濡れた机と床をティッシュで拭いていると、どちらからともなく笑い声が出てくる。
「ねえ。紬」
「はい」
「つきあってくれる?」
予想外のアクシデントがいつもの先輩に戻してくれようだ。
ほっと安堵して「もちろんです」と答える。
きっと仕事場では言えないような悩みなんだろう。
だったらゆっくりと腰据えて聞かなくちゃ。
「いくらでもつきあいますよ。ご飯に行きますか?それとも飲みに行きますか?」
できればついこの間飲み過ぎてしまったばかりなのでご飯の方が良いんだけど、お酒が入った方が先輩も話しやすいかもしれないしね。
しっかりつきあいますからという気持ちを込めて拳を握る私を見る先輩が眉を下げてどこか寂しそうに笑う。
「うん、だよね。ごめん。私が悪かったわ。やっぱり」
「え?なんですかもう。それよりいつにします?私は今日でも明日でもいいですけど」
「あー、今日は止めとく」
もしかしたら先約があるのかも。
ならば機会は逃さないように約束しとかないと。
「じゃあ明日にしましょう!お店どこにします?」
「どこでも。紬が行きたい所で」
「……普通に居酒屋とかになりますけど」
「いいわよ」
「では探しときます」
先輩はお洒落なお店が良いんだろうけどたまには家庭的なお店も新鮮でいいんじゃないかな。
頭の中で近場のお店を思い浮かべながらお弁当の品評会と交換をして楽しんで、午後からは何事も無く仕事を終えた。
そう。
いつも通りだったのに。
次の日、高橋先輩は仕事を休んだ。
欠勤の理由は風邪。
昨日の不可思議な様子と今日の欠勤になんの関係もないんだと素直に信じられるほどには私も鈍くはなかった。
どうしようかと悩んだけど、もし本当に体調が悪くて寝込んでいるなら独り暮らしの先輩は困っているはず。
だから仕事帰りにスーパーに寄ってりんごとバナナ、ヨーグルトにプリン、スポーツドリンク、エネルギーチャージ系のゼリー、桃缶と卵、アイスを買って先輩の家へと向かった。
階段を登ってドアの前に立ち、呼び鈴を押す前に随分と迷った後でここまで来たんだからと目を閉じて振り切った。
ピン、ポーンという音が鳴る。
ドキドキしながら待ち、なかなか出てこないことに不安になり、中で倒れているんじゃないかと恐怖に駆られ、私はもう一度ボタンを押した。
「せん、ぱい」
返事がないドアの向こうがどうなっているのか心配で、堪らず拳を握りドンッと叩いた。
白が驚いたように顔を上げ、小人さんたちも身を寄せ合って目を白黒させているけど。
しょうがないんだよ。
出て来られないくらいに具合が悪いってことは命に関わるかもしれないんだから。
「先輩!先輩、大丈夫ですか!せんぱ――――」
「ああ!待って!紬ちゃん、それはちょっとご近所迷惑になるからっ」
いつのまにか私の声もドアを叩く音も大きくなっていたようで。
階段の方から走ってきた男の人に腕を引かれてハッと気づく。
「あ」
「久しぶり。紬ちゃん。合コン以来だね」
「はい……」
名前を呼ばれて改めて視線を向けると、そこには明るい茶髪の爽やかなイケメン亨さんの困ったように笑う顔があった。
銀次さんと初めて会ったあの合コンをセッティングしてくれた高橋先輩の男友達。
「ごめんね。あかり一回寝たら起きないから。心配しなくてもただの風邪だから寝てれば治るし」
「…………先輩、本当に風邪なんですか?」
妙に明るい口調が逆に怪しくて思い切って聞いてみた。
亨さんはとぼけることもせず白い歯をちらりと見せて笑い「だよね」と頷く。
「まあちょっと休めば元のあかりに戻るから。今はそっとしといてやって。それ差し入れ?」
「え?あ、はい」
「じゃあ預かるよ。ちゃんと責任もって食べさせるから安心して紬ちゃんはもうお帰り」
手を差し出されて微笑まれれば渡さないわけにはいかず。
私はスーパーの袋を亨さんに託した。
「気をつけてね」
「……はい」
空いている方の手をばいばいって振られたら邪魔者は退散するしかないよね。
今は彼の言葉を信じて引き下がろう。
「亨さん、高橋先輩のことちゃんと見ててくださいね」
「任せといて」
言い訳もしないとことか、多くを語らないとこも亨さんの正直さが見えるから。
私はぺこりと頭を下げて階段を下りた。




