小宮山さん 後ろ髪を引かれる
真希子さんと大八さんの三人でご飯を食べていると、珍しく宗春さんが居間へとやって来たので驚く。
仕事がひと段落したから一緒に朝食をいただくのかなと呑気に考えていると、彼は真希子さんに向かって「クリーニング屋の藤本さんが亡くなったって連絡が入ったよ」となんでもないことの様に報告した。
さっと顔色を失くした真希子さんは悲しそうに瞳を揺らしつつ小さく頷く。
「誰が、なの」
「康生さん。夜中にトイレに起きて倒れたらしい」
「じゃあ、そのまま?」
「救急車で運ばれたけど意識は戻らなかったって」
「そんな、まだ、若いのに……」
そっと箸を置いて真希子さんは目を強く閉じた。
殆どでかけずお寺に引きこもっている真希子さんでも、ご近所さんと交流が無いわけじゃない。
亡くなった方の名前を聞いて悼む気持ちが溢れて止まらないほどの思い出がある。
「んじゃ忙しくなるな。おれは商店街に行って葬儀の準備を手伝って来るわ」
「よろしくね。大八さん」
「おう」
お茶碗に残っていたご飯にお茶をかけて流し込み、大八さんが立ち上がる。
真希子さんも宗明さんに伝えるために部屋を出て行ったので、残された私はどうしていいか分からず宗春さんを見上げた。
「あの、私はなにをすれば」
「…………」
一応指示を仰いでみたけど宗春さんは無言で食卓の上を一瞥すると私の顔にもう一度視線を戻して深いため息を吐く。
また「自分で考えれば?」とか「その頭の中にはなにが詰まってるのか教えてくれる?」とかいわれるのかな。
宗春さんがいいそうなセリフを思い浮かべてビクビクしていると彼は何故か台所へと向かい、いつもつかっている自分のお茶碗とお箸を持って戻ってきた。
え?
なに?
お櫃の中からご飯をよそい顔色一つ変えずに「いただきます」って食べ始めたけど、それすごく違和感あるからね!?
なんでいきなり。
そんなこと。
「…………なに?食べないの?」
「えと、それより何故宗春さんはご飯を食べていらっしゃる?」
「今日は忙しくなるから今のうちに食べておかないと食べる暇がないからだね」
「はあ」
それはまさに正論なんですが。
断食に慣れているはずなので、一日ご飯食べ損ねたとしても宗春さん的にはなんら影響はなさそうなんだけど。
ひとりで食べるよりも誰かと一緒の方がいいし、この状況で残されて食事を続ける精神力は持ち合わせてないから助かる。
せっかく真希子さんが用意してくれた料理だし、温かいうちに美味しく食べたい。
私もお茶碗を左手に持ち、卵焼きを頬張った。
相変わらず綺麗な所作で無駄口叩かずに召し上がっているので、宗春さんはあっという間に食べ終えてしまう。
でも私だってただモタモタとしていたわけじゃない。
何度食べても真希子さんが作ってくれる料理の数々は美味しいし、手間も愛情も籠っているから一口ごとに幸福感にうっとりとしてしまうんだよね。
自分で煎れた緑茶を啜っている宗春さんに焦りながらも最後の一口を味わっていると真希子さんが戻ってきた。
「あら?宗春、ご飯食べてたの?」
「ん」
「寺務所の電話鳴ってるみたいだけど……」
「母さんが出てよ」
「なによ。あなたもう食べ終わってるじゃないの!仕方ないわね」
言われて始めて遠くの方で古風な黒電話の音が鳴っているのに気づく。
真希子さんは「はいはい、今出ますよぉ」と電話になのか、かけている人になのか分からない声をかけながらパタパタと廊下を走って行った。
「真希子さん、間に合うといいけど」
「どうせ自治会長か世話役の人間がかけてきてるんだから問題ないよ。後でかけ直してくるだろうし。こっちはいつも通りに準備して動けばいいんだから。ご遺体はまだ病院だし。終わった?」
「え?」
唐突に確認されたのでなんのことか分からずにぽかんとすると、宗春さんがまたしても呆れたような調子で溜息を吐く。
「食事」
「ああ、はい」
頷くと宗春さんが湯呑を置いて両手を合わせるので同じように手を合わせる。
そのまま「ごちそうさまでした」と声を重ねた後、さっさと立ち上がって出て行った。
もしかして宗春さん私につきあってくれた?
「午後から雨降るんじゃ……」
失礼なことだけどそう思っちゃうほど宗春さんらしくない。
でも天音さまに色々と聞いた後だと純粋に優しさというか、気遣い的なものだったのかもしれないなとか思えてくる。
きっとありがとうって感謝したらすごくいやがられるんだろうけど。
廊下の途中で真希子さんからかかってきた電話の内容について話している声が聞こえてきた。
亡くなった康生さんが自宅に戻ってくるのは一時間後なのそれにあわせて宗明さんに来てもらい枕経を上げて欲しいとか、お通夜やお葬式についての段取りの確認をしているうちにまた電話が鳴り始めて中断される。
本当に忙しそうだ。
「ごめんね。紬ちゃん、ちゃんと食べた?」
「はい。ごちそうさまでした。あの、私もなにか」
「大丈夫よ。うちからは手伝いとして大八さんが出てくれてるから他にすることはなにもないの」
あとは宗明さんが藤本さん家に行って亡くなった方のために誠心誠意お経をあげて、ご家族の動揺や悲しみを少しでも鎮めてあげるのが一番のお役目らしい。
そりゃそうだよね。
そのためのお寺だし。
一番忙しいのは宗明さんで、葬儀の準備をしている世話役さんとか会長さんとかと段取りを詰めるのが宗春さん、大八さんは商店街の人たちと祭壇の準備とか力仕事全般を担うらしい。
自宅でお葬式をするのって今では珍しいんだけど、近くに斎場も無いし元々住み慣れた家から送り出してあげようって気持ちがこの地区の人には強いらしくて。
ご近所付き合いも醤油の貸し借りかりから、お祝い事は地域全体で盛り上がるほど親密らしいので、お葬式もみんなで炊き出しや準備も当然のように協力するんだってさ。
商店街の仏具屋さんが葬儀屋さんも兼ねているらしく、亡くなった方を病院まで迎えに行ったり、火葬場まで送り届けてくれたりもするらしい。
すごいなぁ。
真希子さんは普段通りの生活をするので、私にも「気にせず書庫でお勉強しても良いし、本堂でゆっくりと瞑想しても良いんだからね」と言っていただけたのでありがたく書庫に籠ることにした。
でも宗明さんに宗春さんのことを話すチャンスがなくなって気持ちばかりが焦るけど、今はそんなことを言いだしても困らせるだけだろうし我慢するしかない。
つくづく昨日飲みに出かけなければよかったと後悔しても、過去に戻ってやり直すことなんてできないわけで。
もちろん私としては亜紗美さんとお友だちとして親睦を深めるのは無駄どころか、ありがたいばっかりなんだけども。
なんだか本当に上手くいかない。
そんな風にもやもやしながらの勉強が捗るわけがなく。
あんまり長居しても迷惑だろうし、明日は仕事なので早めに千秋寺を辞することにした。
真希子さんが「もう帰っちゃうの?」って寂しそうな顔をしながら小宮山家のタッパーに春雨を使った和え物を入れて持たせてくれた。
拌三絲っていう名前の料理なんだって。
春雨に胡瓜とハムと人参の細切りと錦糸卵が入っていて美味しそう。
真希子さんが作ったんだから間違いなく美味しいはず。
お礼をいって山門を出るとどんよりとした重い雲が垂れ込めていて、いつ降り出してもおかしくない感じだった。
傘持ってないから急いで帰った方が良いかもしれない。
白がぴょ~んと階段を飛び越えてあっという間に一番下へ降り立ったのを羨ましく思いながら私は自らの足を使って急で狭い石段を慎重に下って行く。
ここで滑り落ちて怪我なんかしたら目も当てられない。
私の血が流れることで引き起こされる様々な厄介事を思えば急がば回れで行かなくちゃね。
「お待たせ」
ようやく地面に到着すると待っていた小人さんたちが一斉に走り寄ってくる。
残念なことに今はなにも持っていないので、健気な彼らに報いることができないけど、コンビニに寄って牛乳とお菓子とパンを買おう。
「あれ?白?どうしたの?」
先に降りたはずの白が道の奥の方を見ている。
駅に向かう方じゃなくて、商店街へと向かう小さな路地がある方の道だ。
「なにかあるの?それとも誰か」
いるのかと続けようとした私は白の傍まで行って覗き込んで息を飲んだ。
そこにはカーキ色のコートを着た若い女性が立っていてなにかを大切そうに抱えたままじっと商店街へと続く道を見つめていた。
赤いタータンチェックのストールに包まれたそれがもぞりと小さく動いたので女性の腕の中には子ども――おそらくまだ小さな赤ちゃん――がいるのだと分かる。
幼い子を抱っこした女性なんてどこにでもいるし、不思議でもなんでもない。
そう。
その子から淡い光りが発光していなければ。
光りは柔らかくて虹色に輝いていて、強くなったりよわくなったりする。
赤ちゃんの呼吸に合わせてなのか、鼓動に合せてなのか分からないけど一定の間隔で点滅してた。
榊さんみたいに歩く魔除け的な強い光りじゃなくて、こう、なんだろう。
木々の間や葉を通って差し込んでくる優しい太陽の日差しみたいな自然なもの。
あの子は普通の子じゃない。
でもお母さんである女性は普通の人に見える。
商店街の方を見つめる目には光るものがあって、時々堪え切れずに嗚咽が聞こえた。
駆け寄って大丈夫ですかって背中を擦ってあげたいほど悲しみに暮れていて。
だけど。
私は全部飲みこんで、すごく無理して彼女に背を向けた。
白が唸ったりしてないからきっと悪いものじゃないんだと思うし、商店街に関わりのある人ならきっと悪い人じゃないんだろう。
でも私の方からは近づけない。
近づいちゃいけない。
宗春さんと約束したから。
私にはなにが危険で、なにが安全かなんて判断はできない。
今はそうするしかないから。
ごめんね。
地面を睨みつけるようにしてなるべく余所見をしないように駅まで急いだ。
暫く行くと雨の気配と香りを風が連れてきて、アスファルトを黒く濡らしていく。
駅へと辿り着いた時にはカーディガンは重くなっていて、防寒どころか逆に身体の熱を奪うほどになっていたけど私はそれすら無視をして改札を抜ける。
その日私は寄ろうと思っていたコンビニに行くことすら忘れて真っ直ぐに家へと帰宅した。




