メンドクサイ注意事項と守るべき四つの約束事
「で?どうだった?」
お風呂から戻ってきたら部屋に宗春さんがいたんだけど、彼に常識とか求めても意味がないことは学習していたので黙って中へと入る。
「どこ行ってたんですか?」
「は?質問してるのはこっちなんだけど、とうとう紬の耳は機能を放棄したようだね」
「だって、夕ご飯食べる時も帰って来てなかったから気になって」
そう。
おやつの時間の時に真希子さんが夕ご飯の時に聞いてみるって言ったから、それまでには帰って来るんだと思ってたのに。
宗春さんは戻ってこなかった。
「心配してたんですよ」
「……紬に心配されるようになったらいよいよ僕も終わりだな」
「茶化さないでくださいっ」
「茶化してない、事実だよ」
お勉強用に部屋の真ん中には小さなちゃぶ台が置かれているんだけど、そこに頬杖をついてどうでも良さそうな感じで喋っている宗春さんの正面に台を挟んで座る。
「ね。どこ行ってたんですか?」
「面倒くさいなー……」
「教えてくれないと今日買ってきた栗饅頭も塩豆大福も食べさせてあげませんよ!」
「別にいらないし」
「ぐっ」
「そんな脅しに屈するのは食い意地のはった紬くらいだと思うよ」
悔しいけど、いい返せない。
「そこは、ウソでも食べたい素振りをしてください」
「なんで仏に仕える僕に嘘をつかせようとするの?」
「う、あ、そっか」
「意味分からない」
そう簡単に動じない宗春さんを悔しがらせたり、焦らせたりするのは至難の技――っていうか不可能に近いかもしれない。
うん。
早々に諦めよう。
「……どうって、楽しかったですよ」
「紬のことだから醜い嫉妬の炎を燃やしていた女性と会ってきたんじゃないの?」
「そりゃ、もちろん会って誤解を解いてきましたよ。亜紗美さんすぐ分かってくれて、今度一緒に飲みに行く約束もしました」
ふ~んなんて素っ気ない相槌を打っているけど、宗春さんがわざわざ聞いてくるってことはそれなりに気にしてくれていたのかも。
「ほら、見てください。またお洋服くれたんですよ。全部可愛いいんです」
「ああ……地味でぱっとしない紬でも、それなりに見えるからいいんじゃない」
「えへへ。ですよね」
「あのさ、その反応って……ま、いいけど」
貶されているのになにを喜んでるんだって言いたいんだろうけど本当のことだし、現状を分かった上で努力していくことに意味があると思うのでいいのです。
「小人さんたちとも久しぶりに会えたし、コン汰さんともお話しできたし、柘植さんにお借りしていたタオルも返せたし、宗春さんお勧めの和菓子屋さんに行けたし、銀次さんに素敵なカフェでご馳走になったりと大変満足で幸せな一日でした」
「いや、ちょっと待ってよ。樺島堂は別に僕のお勧めじゃないんだけど」
「宗春さん」
「は?」
眉を寄せてとても怪訝そうな顔をしている宗春さんをしっかりと見つめて。
「ありがとうございました」
台に額をぶつけないように慎重に頭を下げると「なにそれ」って少し上ずった声が聞こえた。
おっ。
戸惑う宗春さん珍しい。
残念ながら視線を上げると戸惑うというより拍子抜けしている感じだった。
だってぽか~んってしてる。
まあ。
それもそれでレア感があるからいっか。
「力の暴走も無かったし、変なものを見たりも無かったので、私としてはほっとしました」
「ちょ、あのさ。脈絡も無く感謝するの、止めて欲しいんだけど」
「やだな。ありますよ。脈絡」
「はぁ?」
訳が解らないって顔してる宗春さんが面白くて、笑みが深くなっちゃうのはほんと申し訳ないんだけど。
「だって日常生活に戻れるかどうかの試験――みたいなものだったんでしょ?」
龍姫さまに守られている場所という点では安心感はあるし、千秋寺から歩いて十分もかからない距離だけど。
眼鏡の力が不意に発動してそれを制御できなくなったりということも無かったし、誤解されていた亜紗美さんに対して私が無意識に力を使うこともなく済んだということは。
「合格ですよね」
匂いは天音さまが押さえてくれているから新たに妖の気を引くことも、全く無いとはいえないだろうけど今までよりは危険は少ないだろうし。
「…………正直、不安は多いけど紬が寺にきて一週間だ。これ以上はさすがに社会的な問題で難しいだろうから」
「ですね」
いくらなんでも病気でもないのにこれだけ休んでいたら会社首になっちゃうから。
許してくれているとは言ってもお父さんもお母さんもこれ以上帰らなかったら心配するしね。
つまり。
潮時ってことかな。
「ま、紬の生活圏を回ってみたけど変なのは近くにいないみたいだから大丈夫だろうけど」
「え?私の」
生活圏ってなんでもないことの様にさらっと言ったけど。
範囲は広い。
家の周りや職場、通勤に使っている道とか、よく行くスーパーやコンビニなんかも含めたら――いや、きっと千秋寺に通う電車や駅も入れたら途方もないことに。
ああ。
だから。
「宗春さん、それで帰ってくるのが遅くなったんですね」
なんか。
ジワッときた。
一緒に目もうるうるしてきて大変なことになってる。
不在の理由を知られて更に不機嫌そうな顔をしてるけど、そんなの全然怖くないよ。
「ほらぁ!やっぱり、ありがとうございますじゃないですかっ!」
「ああ、もう。うるさい。まだ話は終わってないんだけど?」
「いいですよ。なんですか?どんな話ですか?」
さあ、話してください。
ほらほら。
「注意事項と約束があるけど、それをまもらない場合はどうなるか分かってるよね?」
「――はいっ!命の保障はできないってことですよね」
「そう。まずはちょっと確認させて」
「?」
おもむろに立ち上がってちゃぶ台の横をぐるっと回って私の背後で止まる。
お風呂上りで髪をまとめて留めているせいでむきだしになっている首筋辺りに視線を感じて、上がっていたテンションが急降下する。
思わず左手を首に近づけた私を「動いていいとはいってないよ」という実に冷たい声が静止した。
うう、居たたまれない。
なんだろう?
なにを確認してるんだろう?
やだなぁ。
そういえば!
なんか亜紗美さんが耳の後ろらへんにキスマークみたいなのがあるって言ってた。
うわっ。
なんかすごい恥ずかしい。
手で隠したいけど動けば怒られるだろうし、別にやましいこと無いのに隠すとなんだか逆に怪しまれそうだし。
「ああ、痣が出てる……一度外して開放してからやり直しになるか」
「あの、宗春さん一体なにを」
「なにって?厄介な魂の香りを封じてる力が限界にきてることを確かめてた」
「たま、」
魂ってなんのこと!?
え?
妖のみなさんが美味しそうな匂いがするっていってたあれ、もしかして――。
「血の匂いとか人には感じられないレベルでの体臭とかの話かと思ってました!?」
「……お気楽で結構なことだね」
いや、まあ、体臭とかじゃなくてよかったと思うべきなんだろうけど。
「魂って匂いがするんですか?」
「するらしいよ。人それぞれ強かったり、弱かったりするらしいけど。大八曰く紬のは、特別いいらしい。良かったね」
「よか……ったんでしょうか?」
なんか反応に困るんだけど。
「妖が心惹かれる香りの魂は純度が高いらしいから、喜んでいいんじゃない?つまり紬は心も魂も共に赤子と同じってことなんだけど」
「え!?それってやっぱり誉めてないんじゃ!?それに私そこまで純粋でもなければ無垢でもないです」
「どうでもいいよ。今そんなことは。とにかく朝一番で奥の院に行って封をしてもらって。その後はお好きに家に帰るなり、仕事に行くなりしたらいい」
どうでもいいという一言で私のささやかな反論は一蹴された。
でも落ち込むより先に家に帰ってもいい、仕事に行ってもいいという宗春さんの言葉に拾い上げられる。
「!」
「そんな目で見られても困る。あのね。いっておくけど危険が無くなったわけじゃないことだけはちゃんと心に留めておいて欲しいんだけど」
「分かってます!」
宗春さんは「どうだか」という視線を私に向けてくるので、安心して貰えるように精一杯真面目な顔で大きく頷いておく。
「まず注意点。見えるからといって霊でも精霊でも妖でもじっと見ないこと。できるだけ意識を外して、安全な場所まで視界の端に相手の存在を見失わないこと。相手から接触してきた場合は一番に逃げる方法を考える。それから外では極力遮断して力が発動しないように心掛けること。あとは」
「ちょ、ちょっと待ってください!忘れそうなので、メモさせて」
畳の上を膝と掌で鞄まで移動してノートを取り出していると「いいよ。しなくて」と無責任な返答がきた。
そりゃ宗春さんのように一度聞いたことは覚えていられる素晴らしい記憶力があるならいいんでしょうけどね。
私は人よりも鈍臭いんです。
「あの、」
「どうせ覚えられないって分かってるから、約束事だけでいい」
「え?それは随分とありがたいことですけど……その約束事たくさんあったりします?」
注意点だけでもあれだけあったんだから、約束事も同じくらいあったとしてもおかしくない。
相手が宗春さんだけに有り得るよね。
「ないよ。そんなには四つくらいだし」
「えっと。それなら私にもなんとか」
ほっとして座りなおすと宗春さんは人差し指を立てて「ひとつ」と数え上げる。
「なんらかの異変を感じたらすぐに連絡すること」
連絡というのは携帯にってことらしい。
もちろん千秋寺にでもいいけど、携帯の方が着信が残るし出る確率が高いから。
ちなみに宗春さんでも宗明さんでも構わないらしんだけど、後でぐちぐちいわれそうだから優先順位は宗春さんの方かな。
中指がすっと立てられて「ふたつ」と続けられた。
「妖相手にできるだけ紬の方からは動かないこと」
これは話しかけられた時にも余計なことは喋らないことというのも入ってる。
接触された時には慎重にってことなんだろう。
口は災いの元ってことかな。
薬指が立ち「みっつ」になる。
「攻撃を受けた時には躊躇わず札を使うこと」
できれば逃げた方がいいけど、走っても結局は追いつかれるから、相手に無防備に背中を見せるよりは札を使いなさいってさ。
大抵の妖は千秋寺のお札に警戒するから、迂闊に飛びかかられずに済むらしい。
身体の一部に貼ることができたら相手は動きを封じられるので、そこで宗春さんや宗明さんがくるのを待つか、安全なとこまで逃げるかは臨機応変に。
長くて綺麗な小指がぴんっと天井を向き「よっつ」になった。
「本当に危険だと感じた時には呼ぶこと」
「え?呼ぶ?電話で呼んでるのに?」
「その呼ぶとはちょっと違う」
違う?
どういうこと?
「狒々と意識を繋げた時の要領で心の中で相手を呼ぶだけ」
「呼ぶ?え?呼んだら来てくれるんですか?」
「よく覚えておいて欲しいんだけど、妖は化け物だよ。特殊な能力がそれはそれはたくさん備わっていてね。いや、もちろんそれぞれに特性があるから全部が全部ってことはないんだけど」
いや。
どっちなの?
分からないよ。
「例えば大八を呼ぶとする」
「はい」
「あれは空間移動できないから徒歩になる。でも本気を出せば移動速度は車や電車より早い。距離が離れているなら難しいけど、近くにいるならすぐに駆けつけてくれるだろうね」
「へえ、すごい」
車や電車より早いってだけでもすごいよ。
大八さんの本気すごいな。
「おそらく弁当屋の妖狐も似たようなもんだから、遠い場所なら奥の院で暇しているのを呼べばいい」
「え!?天音さまを!?」
そんな滅相もない!
「だって天音さまはここを動けないんでしょ?だったら」
「だからこれは最終手段。ま、紬が死にたいんなら別だけど」
「い、いいえ。これっぽっちも思ってません」
「なら気にせず呼んだらいい。あれがここを少し離れたくらいでどうこうなるなら、この先たかが知れてる」
それに。
「紬の命がかかった一大事に自分を呼ばなかったら相当落ち込む。しかもそれで死なれでもしたら、一生怨むだろうね」
死ぬことはない長い長い永遠を生きる天音さまが一生。
なんて――重い。
だったらそうならないためにも極力厄介事を避ける努力が必要だし、いざという時に決断できるように日頃から覚悟を決めておかなくちゃ。
「どう?守れる?」
私は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
当然答えは決まってる。
「はい。もちろんです」
「じゃあ、そういうことで」
音も無く立ちあがった宗春さんはにこりと微笑んでから障子の前まで移動する。
その背中に「おやすみなさい」と告げれば小さな声で「ごゆっくり」と返ってきた。
随分と千秋寺に引きこもっていたから普通の生活に戻るということにちょっとだけ不安があるけど。
「ここがゴールじゃないから」




