私の中の
結は本当によく褒められる子だった。
近所の人たちからも親戚の人からもすごく可愛がられて。
いつもぼんやりしている私と違って周囲をよく見ていたし、お母さんが困っていたらすぐに声をかけてお手伝いやお使いを進んでやるような子だったから当然なんだけど。
――それにくらべて紬ちゃんはねぇ
――お姉ちゃんなのに
濁された言葉の後に続くのは“気がきかない”というフレーズ。
“マイペース”という言い方に変えてちょっとだけ耳触りよくしてはっきりと言われることもあったけど。
面と向かって比べられれば鈍い私でもさすがに分かるし傷つくわけで。
いつもにこにこ笑っておばちゃんたちの会話に交じって愛らしい返答をしたり、おじちゃんたちの冗談に付き合い荒っぽい言動にも動じない結はみんなのアイドルだった。
私はおばちゃんたちのテンポの速い会話について行けないし大人が零す愚痴に対して上手く返せない。
おじちゃんたちの意味の解らないジョークを理解するのにみんなの倍かかる――しかも分かったとしても面白さが分からなくて笑えない――し、声が大きかったり乱暴な喋り方をされると怖くてとても近づけなくて。
同じ姉妹なのに全然違う。
癖っ毛で引っ込み思案で地味な私。
サラサラの直毛で社交的でお洒落な結。
なんでこんなに違うの?
成長していく中でその違いはどんどん大きくなって、私の中の理想の女の子は少しずつ結へと変わっていった。
どんなに頑張っても結みたいにはなれないのに。
だから自分が嫌いで。
自信なんかなくて。
可愛い結がもっとみんなに認められるよう、注目されるように、私はひたすら目立たないようにと後ろへと下がった。
――紬ちゃんの妹可愛いね
友達が家に遊びに来た時にも結は愛想よく挨拶して、お喋りして、ちゃんと長居せずに引き下がる。
そんな結を友達はみんな褒めてくれた。
私はとっても誇らしくて「ありがとう」って返す。
結は私の自慢の妹。
みんなから愛されるのを見ているのが幸せだった。
嬉しかった。
でも羨ましいと思う気持ちは消せなくて。
そう考えている自分が浅ましくて、恥ずかしくて――その度に私は私が許せず嫌いになる。
どうして私は気がきかないんだろう?
どうして私は鈍いんだろう?
なんで学校を離れても付き合ってくれる友達もいないんだろう?
分かってる。
分かってる。
全部私のせい。
私はずっと比べられ、そして自分でも誰かと比べていつだって劣っていて。
それを自覚しているから負けるのは全然怖くも無かったし平気だったけど。
そんな自分が本当に嫌いで。
戦わず逃げる弱い自分が許せなくて。
醜い私を隠して必死にみんなから嫌われないようにと周囲の顔色ばかりを窺ってた。
本当はぼんやりしているんじゃなくて周りのことばかりが気になって集中できてないだけ。
本音を言えず本当の自分を見せない、つかず離れずのその場だけの生温い関係を好んできたから「悪い子じゃないけどなにを考えているのか分からない」なんて理由で交流は途切れて。
寂しいけど嫌われるよりはいい。
嫌われるのは怖い。
だから誰かの特別になるのはもっと怖い。
でも寂しい。
でも怖い。
だって傷つきたくない――!
「おまえ、かわいそうなヤツだナ」
結構な距離を開けているからこんなに耳元近くで狒々の声がするわけがないのに、そこからするするとなにかが抜けていくような感じがする。
「劣等感ダラケだ」
そんなこと指摘されなくても十分分かってるから。
だから。
暴かないで。
お願いだから。
鋭い爪を持った手がぐっと奥の方へと忍んできて、矛盾だらけの私の心を切り裂いていく。
驚くほど丁寧に。
そして嗤う。
ジリリッ
皮膚の上を見えない電気が走って行く。
冷や汗がタラリと背中を伝い落ちて微かに身じろぐとのそりと黒い塊が起き上がる。
赤茶色の毛はすっかり艶を失くし土と狒々自身の血で汚れていた。
「ヒヒヒッ」
笑う口元から覗く黄色い牙も片方が折れてるし、だらりと零れた舌も灰色に変色して。
対峙する狒々は更に小さく、そして確実に弱っていた。
漂ってくる強烈な臭いに内臓が腐敗でもしているんじゃないかと心配になる。
いや、心配している場合じゃない。
ピンチなのはこっちのほうだから。
離れて見ている宗春さんが無言でプレッシャーを与えてくる。
正直言うとまだ心の準備なんかできてない。
相手が誰であろうと心の中を見たり、過去を掘り返して眺めるなんてことあんまりしたくない。
したくないけど。
使わなければ学べない。
練習しなければ力を制御できないから。
仕方ないんだって。
ヒヒッと低く笑って意気地の無い私を嘲る。
そうやって揺さぶりをかけて。
迷いを振り切るように頭を振って大きく深呼吸した。
大丈夫。
落ち着いて。
集中する。
大丈夫、できるから。
真っ直ぐ狒々と向かい合う。
視線を定めてまずは相手をよく見ること――赤い目が合った途端にぐらりと視界が揺れた。
あ、まずい。
「弾きだされたね」
宗春さんの呆れた声を聞きながら私は二歩後ろへと下がる。
頭がくらくらして乗り物に酔ったみたいな感じになってて気持ちが悪い。
「いくら瀕死に近いとはいえ相手は幾人も屠ってきた妖だから、そう簡単に上手くいくわけないよ。狒々の方が上手なのは分かってたことだけど……ここまで手も足も出ないなんて情けなくない?」
まあ確かに狒々の独壇場でしたけど。
心の中を覗かれて自分の嫌な部分を取り出されて目の前に突き出される方の身にもなってください。
精神的ダメージの方が大きいよ。
「まあ初めはこんなもんか」
「……そうですか」
全然納得できないけど文句を言った所で宗春さんには効果が無いから諦める。
狒々は嗤いながら私たちのやりとりを見てたけど、蹲ってじっと動かないでいるのはきっと相当弱っているからだと思う。
瀕死に近い状態でも笑っているのは気持ちが悪いし、その余裕が恐ろしくはあるけど。
「また後でもう一度だね」
「後で!?」
「時間が無いのは紬もだし、狒々もだからね。急ぐよ。当然」
「……はい」
いったん休憩を言い渡されて寺務所へと向かう宗春さんと別れ、私はなんとなく本堂の方へと足を向けると露草がぴょんっと飛んできてついてくる。
「大丈夫か?」
気遣わしげな様子に私は笑って小さく頷いた。
そうするとほっとしたのか強張っていた頬を緩めて露草が笑う。
狒々の嫌らしいものとは違って優しくて温かい。
「うん、平気」
「そうか」
「それに私は可哀想な奴なんかじゃない」
だってもう私には家族以外にも大切な人たちがいる。
嫌われるのが怖くて自分の意見が言えなかった私はここにはいない。
ダメな部分をいっぱい見せても手を貸してくれる人がいる。
叱ってくれる人がいる。
人も妖も関係なく。
「だから大丈夫」
できないことばかりだったけど、少しずつできるようにはなってきてるから。
それを自信に変えて。
「ありがとう。露草」
突然の感謝に青い小鬼は戸惑ったように視線を右往左往させて。
恥ずかしそうに目を細めてから「空けめ……」と呟く。
まだ自分を好きにはなれないけど、私を思ってくれるみんなの気持ちは信じたい。
もう。
諦めないでいいように。
嫌われるかもって考えると怖いけど、それなら嫌われないように努力すればいいって思えるようになったから。
「うん、一歩ずつ!」
なんでもできる宗春さんや器用な結とは違うから歩みは遅いけど。
断食で軽くなった身体なら今までよりは少しくらい歩幅は大きくなりそうだから。
今までにないほど前向きになれているのは千秋寺のみんなや傍についていてくれる露草の存在があるからで。
本当にありがたい。
「うん?」
本堂に上がる階段まで来た時だった。
遠くで誰かが呼んでいる気がして振り返る。
それは名前じゃなくて、言葉でもないけど確かに私を呼んでいて。
「なんだろ……」
胸がそわそわして落ち着かなくなる。
露草も目を閉じて耳を澄ませるような仕草をするからきっと聞こえてるんだと思う。
「悲しそうな、声」
どうか“気づいて”って言っているような響きに切なくなるけど。
誰なのか知りたくて露草を見つめるけど彼はじっと瞼を下ろしたまま。
「どこ……?」
遠いけど聞こえるくらいだからそう遠くはないはず。
そう思って視線を動かしながら見晴らしのいい場所まで参道を歩いて移動する。
「誰なの?」
「紬」
そのままふらふらと歩き出していきそうな私を引き留めたのは露草だった。
「行くな」とははっきり口にされなかったけど、名前を呼ぶ声には切実さがあったから。
私は前へと出そうになる右足を後ろへと下げて身を返した。
「縁とは奇なるもの」
溜息と共に吐き出された言葉を私は受け止めて頷く。
露草や茜とだっておじいちゃんとの繋がりが無かったら出会うことは無かった。
それを考えれば本当に縁って不思議だと思う。
「だが誰と縁を持つかは紬が決めるべきこと」
相性もあるだろう。
そう続けて露草は薄く高い空を見上げて。
「互いが望めば縁は結ばれるが、一度結ばれた縁はなかなかに解けぬ」
「特に露草と茜とはおじいちゃんからの縁があるから」
きっと深いんだと思う。
そこに安心して甘えてしまうのはいけないんだと学んだけど。
「そうではない」
今話していることは違うのだと首を振りながらもどこか嬉しそうだ。
「良き縁も悪しき縁も同様に繋がると言っておるのだ。だから気を抜くな。簡単に気を許すな。慎重に決めよ」
選ぶのはお前だ。
「私……が選ぶの?」
「言っただろう。互いに望まねば結ばれぬと」
じゃあ選ぶのは私だけじゃないじゃないか。
そう言いたくて頬を膨らませた私を露草が眉を吊り上げてまた自覚がないと叱る。
「殆どの妖はお前のその匂いに寄ってくるのだ。妖側に拒絶されることは殆どなかろう」
だからこそ良縁ではなく悪縁もまた存在するのだと教えられ。
自分では感じられない妖を惹きつける匂いという厄介なものがどうして私に備わっているのか……。
しかも眼鏡をかける前から小人さんたちが一緒にいたっていうくらいだからなぁ。
なんで私?という感じだけど。
「ええっとそれって香水とかで消えたり……しない?」
「消えるか!」
「でも混ざり合って異臭になれば近づいてこなくなりそうだけど」
「まあ……気づかれにくくはなろうが、妖の嗅覚や本能を舐めておったら後で酷い目に合うぞ」
「ですよね……。ああ、でも変な臭いがするからって露草たちが来てくれなくなるのは寂しいから止めとこうかなぁ」
仲良くしたい妖を遠ざけることになるのは困るし、元々香水とかの作られた強い香りは苦手だからと浮かんだ思い付きを却下した。
「……そうだ、止めておけ」
なんだかすんごい微妙な表情をして露草はぷいっと顔を背けたけど同意を得られたのでまあいっか。
階段の下で靴を脱いで木の板段を上る。
お花の香りとお線香の残り香が本堂から漂ってくるので、そのまま引き寄せられるように中へと入った。
過ぎ去ってゆくだけの人が多い中で言葉を交わして、一緒に時間を過ごすようになる人との縁って考えれば考えるほど強いんじゃないかと思う。
名前を呼びあって、心配したり相手のことを真剣に考えたり。
階段の下で草履を脱いでいる露草を見ると本当に小さくて。
でもその力強さに励まされて。
大事にしよう。
私に関わってくれる優しい人たちを。
私を信じてくれる人たちを裏切らないように。
縁を。
紡ぎ続けようって。
思った。




