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無限とは程遠いけど縁は続く



 ガラリと開けた脱衣所は個人宅では考えられないほど広い。


 二畳くらいかな?


 灯りを点ける前から既に脱衣所もお風呂の方にも電気がついていて、ほんのりと温まった空気が逃げそうだったので急いで戸を閉める。

 入って正面にガラス戸があり、入口側の壁の右に洗濯機とバスタオルやフェイスタオルがある棚、左側にお風呂屋さんみたいな細長い棚が作りつけられていて中に籐籠が入っていた。


 なるほど。


 大八さんが言っていた通り四、五人で入っても余裕そうな感じだ。

 昔はそれだけお寺のお仕事をする人が住み込みで住んでいたのかもしれない。

 もしかしたら旅人が泊まる場所が無くて助けを求めて来てたとか。


「おっと。急がないと」


 私の後に真希子さんや宗明さん、宗春さん、大八さんがお風呂を待っているんだからぼんやりしてたらそれこそ迷惑かけちゃう。


 右側の棚からバスタオルとフェイスタオルをお借りしてからお母さんが準備してくれていたトートバッグを漁ると洗濯ネットに入れられた下着類が出てくる。


 ちゃんと一日分ずつに分けられているから三つ入ってた。


 気の利くお母さんに手を合わせてお礼を言ってから長袖の紺色シャツと穿き慣れた――穿きくたびれたともいう――灰色のスウェットを引っ張り出して籠の中に用意してから着ている服を手早く脱ぎ捨てる。


 最後に眼鏡を外してフェイスタオルを掴むとガラス戸を開けてお風呂場に飛び込んだ。


「うわぁ」


 洗い場には三つのシャワーと蛇口が着いていてその前に木でできた小さな椅子と桶が揃えてあって本当にここはお風呂屋さんなんじゃないかと目を丸くする。

 鏡は湯気で薄らと曇っているみたいだけど、眼鏡がないとどうせ見えないんだから関係ない。


 足裏が水色のタイルに触れた一瞬だけひんやりとしたけど直ぐに温くなる。


 ひたひたと滑らないように注意しながら歩き、右端の椅子に座りフェイスタオルをお隣の桶に濡れないように一旦避難させてから結んでいたゴムを取って手首に通す。

 絡まないように三つ編みを解し終え、シャンプーだかコンディショナーだかよく分からないボトルを前に使ってもいいのかなぁと困惑していると「琅玕色ろうかんいろがシャンプーで早苗色さなえいろの方がコンディショナーじゃ」と助け舟が入った。


 ふむふむ。

 ろうかんいろがシャンプーでさなえいろがコンディショナーか……って。


「分かるわけないっ!そもそもろうかんいろってなに?さなえいろって!?」


 初めて聞いた色の名前に綺麗な緑色のボトルを右に緑に黄味がかった色のボトルを左に持ってたくさんのクエスチョンマークを浮かべて叫ぶと愉快気な笑い声がお風呂場に響いた。


「琅玕色は新緑色とも呼ばれておる。お主が右手に持っておるのがそうじゃな」

「ということはこっちがシャンプー?左のがコンディショナーか……」

「うむ、その通り。ついでに申せば桃色の入れ物にはボディーソープが入っておるぞ」

「ああなにからなにまで、ありがとうございます。天音さま――って!なんでここに天音さま!?」


 普通にお礼を言ってからはたと気づく。

 ボトルを両手にびっくりして湯船を見るとそこにはほんのりと全身を朱に染めた天音さまが寛いでいらっしゃった。


「湯を借りるくらい別にいいじゃろう?こう冷えては夜も眠れぬ。それにお主と裸の付き合いとやらをしてみたくての」

「いえっええ!?は、だか!?いやちょっと、困る!」


 コンプレックスばかりの肉体をまさか完璧な美の前に晒す羽目になるとは――もう既に見られてしまっていることはこの際調子よく忘れておこう。

 慌てて上半身を前に倒して胸やお腹を隠してはみたものの、腰回りのお肉やお尻と太腿の丸さは隠せない。


「よいよい。どれ背中を流してやろうか」


 すらりとしたおみ足でお風呂の縁を超えてこっちへと来る天音さまは堂々としたもので形のいいおっぱいとかきゅんっとくびれたウェストとか綺麗なおへその窪みとか鎖骨の美しさとか――私の表現力では仏さまの美麗な裸体を上手く言い表せないのがとっても残念です!


「ひぃいいい!?なんの拷問ですか!?恐れ多いです!天音さまにそんなことしてもらったらバチが当たる!?」

「おかしなことをいうの。誰が罰を与えるのじゃ?」

「うえぇえええっと、そう、龍姫たつきさまとか!?大事な妹になにをさせるんだって、こうバチバチって雷的なやつ落とされたりとかっ」


 天音さまは持っていたタオルにボディーソープを取ると手早く泡立てて恐縮する私の背中にそっと添わせる。

 そのまま鼻歌交じりに優しい手つきで擦り始めるので、もうどうしたらいいのか分からず固まるしかない。


「今日は姉がすまんかったな。無理やり連れ出されて驚いたであろう?」

「…………安全ベルトなしのジェットコースターみたいでした」

「おお。それは怖かったな。すまぬ」

「……いいんです。天音さまが悪いんじゃないですから、謝らないでください」


 どちらかというと怖いという感情よりもびっくりしたのと、その後の乗り物酔いになった時と同じ気分の悪さが辛かった。


 それにしても自分がしたことではないことをこうして謝る天音さまはどうも宗明さんと被る。


 天音さまと龍姫さまには二人のような微妙な雰囲気や悩みなどはないみたいだけど。


「さあ、紬。身体を起こせ」

「うえ!?ああ、ちょっ!大丈夫です!後は自分でやれますから!」


 二の腕を掴まれて後ろへと引かれ腿と胸とお腹が離れた隙間から少し冷たい風が入ってきて、このままでは全身洗われてしまうと恐怖から天音さまの手にあるタオルを奪い取って左腕をぐっと前に突き出して拒否した。


「そうか?」

「天音さまは湯船で温まっていてください」

「残念じゃのう」


 そう言いつつもいそいそと湯船に戻る姿を見ると、どうやらからかわれていただけのような気がする。

 それでももたもたしてたらまた取り上げられて洗われてしまいそうなので急いで腕や首、胸と腹部、脚と擦り上げた。


 蛇口から桶に湯を入れて泡を洗い流し、髪もごしごし洗って済ませてから自分で持って入った乾いたフェイスタオルで水気を拭い結わえていたゴムで高い位置でおだんごにする。

 最後にもう一度肩から髪の毛や泡等をシャワーで流して天音さまの待つ湯船に浸かった。


「はあぁああ、あったまる……」


 じんっと手や足の先から温かい熱が全身へと回って行く感覚に思わず息を吐くと天音さまがくすりと微笑んだ。

 湯船も三人は余裕で入れるほど大きいから天音さまとは少し間を開けて向き合う形で入っているんだけど。

 美しい黒髪は束ねた上にぐるぐると巻かれてはいるけどあまりの長さに毛先が首筋や胸元に流れているその姿はクラクラするくらい色気がある。

 黒い濡れた瞳がキラリと光りその視線が何故か私の顔からゆっくりと下へと流れていくので逃げるように体を捩った。


「ちょ、天音さま?どこ見て、」

「紬は胸が大きいのう。しかも柔らかそうじゃ……大八が邪な目で見る気持ちも分からんではない」

「これは、大きいんじゃなくて、全体的についているので必然的にここにもつくというか……そしてそこに大八さんの名前を出されるとちょっと反応に困るというか……」


 私としては天音さまのようにスレンダーな身体なのになんとも美しいお胸がついている方が羨ましいんだけど。


「おなごは少しふくよかな方が魅力的じゃ。抱いて蕩けそうな身体の方が男は喜ぶ。柔らかさも肌の白さも大きさも丁度いい。紬という魂が愛されるにふさわしい肉体に宿っておるわ」


 なんか誉めてくれてるみたいなんだけど、どうもなんかやらしい感じがするのは気のせいだろうか?


「それに紬は童顔だしのう。その顔でその体つきはいささか狙い過ぎのような気もするが」

「狙ってませんけどっ!それに言うほど魅力的な身体じゃないですよ……」

「おなごの魅力は愛されてこそ花開くもの。紬はまだ磨かれていない原石。華やかな匂いを放つ前の固い蕾――とはいえ香りは漏れ出てはおるが」

「天音さま……って、ちょお」


 お湯が揺れて天音さまが身を寄せてきたと思ったら、クイッと人差し指と親指で顎を軽く挟まれて持ち上げられる。

 そのまま瞳を覗きこまれてどぎまぎしていると顔がゆっくりと近づいて来たので軽くパニックになった。


 こういうこと、女同士でする!?

 いや、男の人ともそういうことはちょっとあれなんだけども!


「天音さまっ!?」

「…………怖がるでない。大丈夫じゃ」


 天音さまの髪が頬に触れて耳元に息が触れた。


 怖がるなと言われても。

 こんな時どうしたらいいのか――分からない。


「――――っ!」


 柔らかい唇が耳の下の裏辺りに当たり、その後チュッと音がして離れていく。

 なぜとか、なにがとか頭の中はぐるぐる回ってるけど言葉は出てこなかった。


「蓋をしておいた。これで少しは匂いも弱まろう」


 真っ赤になっている私を平然とした顔の天音さまが微笑んで見ている状況がまた居た堪れなくて勢いよく立ち上がる。


 どうやら善意でやってくれたみたいだけど、こんなことされて冷静でいられるほど経験は豊富ではない。


「あ、ああわた、さき、もう、あが、あがる!」

「さよか。ではまたな。紬」

「あい!また」


 そのまま逃げるようにして脱衣所に駆け込み、バスタオルを頭から被ってしゃがみ込んで声にならない「あ――――!!」という悲鳴を心の中で上げたけど、中から天音さまの楽しげな笑い声が聞こえて来たからどうやらお見通しらしい。


 あのお方は……もう……。


 気を取り直し湯冷めする前に体を拭いて用意していた部屋着に着替える。

 着ていた洋服と使ったタオルは明日洗濯機をお借りしようと一緒にバスタオルに包んだ。トートバックは両肩にかけてタオルを抱えてから廊下へ出るとやっぱり寒くてぶるりと震えた。


「上着羽織らないと……やばそう」


 私が寝泊まりするための部屋はここから近いからそこまで行ってから上着を出そうと急ぎ足で向かい、確かここだったはずと検討を着けた障子を開けたところで中に灯りが点いていることに気づいた。


「え……?宗春さん、なんで?」


 一瞬部屋を間違えたのかと思うくらい自然な様子で部屋の中央に座っている宗春さんを視界の中に入れたまま、急いで部屋の隅に置いてある私のバッグや制服を入れてきた袋などを確認する。

 うん、間違ってない。


 宗春さんは胡坐をかいた状態で左足だけ立てて、なにやら右脚の上に広げたものを眺めている。


 気負いも無く。


 確かにここは宗春さんのお家だし、どこの部屋でも寛ぐ権利はあると思うんだけど今はこの部屋を使っていいと言われているのは私なんだから少しはちょっと――と考えたけど相手はあの宗春さんだ。


 仕方ない。

 でもここいる理由を聞くくらいは許されるだろう。


「あの……宗春さん?」

「そんなとこに立ってないで中に入れば?寒いんじゃないの?髪も乾かしてないしそんな薄着でさ」

「う、はい」


 靴下をはくことを失念していたので足元からじわじわと容赦なく冷えが襲ってきていたからお言葉に甘えて部屋の中へと入る。


 縁側に白いうさちゃんスリッパを残して障子をそっと閉めた。


 宗春さんはこっちをチラリとも見ないので放置し、トートバッグを探って中から裏起毛のグレーのパーカーを見つけてほくほくしながら着るとさっきお風呂で温もった温かさが戻ってくる。

 下も灰色のスウェットだからなんかいかにも部屋着っぽくなったけど気にしない。


 どうせ部屋着だし、パジャマなんかないからこのまま寝るし。


「紬さ、なんか妙に兄さんと仲良いよね」

「え?」


 次は靴下をはこうかと再びバッグの中に手を突っ込んだタイミングで宗春さんから話しかけられてびっくりした。


 しかも内容が内容だ。


「普通だと……思いますけど?」


 会話数と一緒にいる時間でいえばダントツで宗春さんとの方が多いし、楽しく会話しているという点で判断すれば大八さんとの方が親しい感じはある。


 宗明さんと仲が良いんですと胸を張って言えるまでにはまだなってないと思うんだけど。


「なにをもってそのようなことを言っているのかお聞きしてもいいですか?」


 きっとそんなことを言いだすには理由があるんだろう。

 なんの根拠も無く言うはずないし。


 だから聞いたのに。


 宗春さんは見ていたものから目を上げると右手でパタンとそれを閉じた。

 小さな赤い円を繋ぎ合わせた和柄の幾何学模様が白い表紙にプリントされているのを視認して私は「ああ……」と納得する。


「それは、」

「兄さんはどうも紬には特別優しいみたいだね。嬉しい?嬉しいよねぇ。紬みたいな地味でダサくて男にモテたことも無いような子がこんな可愛らしい贈り物貰えばさ」


 言い訳も説明もさせたくないのか宗春さんは顔だけは柔らかい微笑みを浮かべながら瞳はちっとも笑ってない得意の表情でノートを突き返してきた。


「大八も母さんも甘いし、奥ノ院の主すら懐柔してほんと見た目から考えられないくらいに紬はやり手だ。なにひとつ上手くできないし、落ち着きも無い、見っともなく泣き喚いて助けて助けてって人に頼って」


 恥ずかしいよね?


「――――っ、そうしゅ」

「人間は優越感を得たい生き物だから自分より劣っている相手や弱い者を庇護することで満足するし、手を差し伸べてやることで周りからあの人は素晴らしい人だと認められたいって自己顕示欲もある。本当は自分より下の人間を嘲笑い踏みつけて服従させたいという欲望を偽善で隠す」

「ちょ、そう」

「誰もが自分の為に生きている。人は他人の為に生きることはできない。でもね」

「――――!」


 いつまでたっても受け取らないのに焦れたのか、宗春さんはノートを私の胸に強く押し付けてきた。

 その上で左腕を伸ばして丁度私の首の後ろのフード部分を強く掴んで上から冷たい視線を注いでくる。


「兄さんは違う」


 どこか甘い響きを残して宗春さんが囁いた。


 なんだろう。

 すごく切なくて胸が痛い。


千秋この寺は妖を退治する役目を負う。昔はそれを生業にしていた寺はいっぱいあったけどね。今では片手で数えるくらいしかない。ああ、もちろんそれを騙った輩は五万といるけどちゃんとした力を持った人間じゃない奴らには悪霊相手が関の山だ。うちは違う。歴史と知識と技術に加えて霊験あらたかな力があるから」


 他とは格が違うのだという自負を覗かせてほんのりと微笑む。


「その力を求める声は全国各地から上がり、お蔭で父さんは家に帰ることすら困難だ。たった一人で化け物の相手をして疲弊しながら旅から旅へ。いくら力があると言っても人間には限界がある。精神的肉体的に追い詰められ死と隣り合わせの生活すらも修行のひとつで」


 求められるままに全国を渡り歩き妖怪と対峙してまわるなんて想像もつかないけどとても過酷な仕事だと思う。


「自尊心を満たすためだけにならこんなこととっくに止めている。それでも絶やさず千秋寺を存続させるのは」


 妖という脅威から人々を守るため。


「そこにはなにものにも汚されない純粋な意思と願いしかない」


 だから宗明さんは善意しかないのだと――宗春さんは言う。


 でも。


「違う」


 宗明さんは確かに優しいし、清廉な人だけど。

 宗春さんが言うような聖人君子なんかじゃない。


「宗明さんはみんなと同じです!」


 なにも変わらない。


「私たちと同じように悩んで、迷って、間違えて後悔して」


 私に自分の弟(宗春さん)が怖いって心の内を明かしてくれた。

 弱い部分を。


 少し分かった気がする。


 この兄弟ふたりは決定的に会話が足りない。

 だからこそ誤解を生んでいる。


「そうやって宗春さんが宗明さんを区別するからどんどん離れて行っちゃうんです!」


 壁ができてお互いがなにを考えているのか分からなくなるんだとどうして分からないのか。


 それから。


 弱ってしまった濡れ女さんのことで宗明さんに電話したことを次の日宗春さんに嫌味を言われた時だって、「電話でなにを話したか知らないけど」って言いながら宗明さんがお札の効果を謙遜したことを知っていた時点で聞いていたんじゃないかって気づくべきだった。


 力の暴走で千秋寺の階段で気を失って天音さまの所で目が覚めた時に宗春さんが来て宗明さんが私を導くべきだと言い出したことを教えてくれた時も、まるで親の仇みたいな目で私を見ていたあの視線の意味が。


 ようやく。

 分かった。


 宗明さんからお守りをもらった時も、ノートをもらったことが分かった今も。

 この豹変ぶり。


 疑いようがない。

 これは嫉妬だ。


 全く大人げない!


 憮然としたままの宗春さんに向かって私は下から負けないように睨み返した。


「ちゃんと言わなきゃ伝わらないですよ!宗明さん(兄さん)が好きだって!」

「――――は?」


 なにを見当違いなことをと言いたそうに目をすっと細めて軽く右側に顔を傾ける。

 私は押し付けられているノートを引っ手繰るようにして奪い、後ろを掴んでいる不愉快な腕を振り払った。


「大体、このノートはあなたが!気がきかないからって宗明さんが買ってきてくれたんです。弟の至らないところは兄である自分が補いたいって言って!それを自分には買ってくれないからって私に嫉妬されても困ります!」


 兄の気配りを勝手に誤解して特別扱いされているから腹立たしいという感情に転換されても迷惑だ。


「こそこそ聞き耳立ててないで宗明さんと話すべきです!どうせさっき廊下で私たちが話してたのも聞いてたんでしょ?」


 きっと自分には向けてくれない笑顔にもメラメラとジェラシーを燃やしたに違いない。

 そのエネルギーを私にではなく宗明さんにぶつけてくれればこの兄弟は仲良くなれるんじゃないかと思うんだけどなぁ。


「…………うるさい」

「うるさくないです!本当のことだから耳が痛いだけでしょ」


 ふいっと横を向いて立ち上がった宗春さんはそのまま障子へと歩いて行き把手に手をかけて止まった。


「その柄」

「え?なんですか?」

「ノートの柄。七宝っていう柄」

「しっぽう?」

「七つの宝って書く。仏教では貴重な宝を意味する。円が繋がり無限に続く柄は吉祥模様とも呼ばれている。円は縁だよ、紬」


 振り返った宗春さんはなぜかとても不安そうな顔をしていたから、私は立ち上がろうとして――でもそうしたところでなにをすればいいのか分からなくて。


 中途半端な状態で腰を上げ彼を見上げた。


「兄さんは紬の願いを叶えたいと思ってるってこと」


 妖と人との共存を願う私の夢を。


 そんな願いが込められていたなんて知らなかった。

 本当に宗明さんはどこまでも奥ゆかしい。


「じゃあ宗春さんも頑張らないといけませんね」

「はあ?どうしてそうなるの?頑張るのは僕じゃなくて紬でしょ」

「だって私の先生は宗春さんです。生徒がどれほど優秀になるかは教えてくれる先生次第ですから」

「……元々できの悪い生徒だけに前途多難だけど」


 仕方ないね。


「僕はお風呂に入って寝るけど、紬は食堂へ行って。母さんがマンゴープリンを一緒に食べようって待ってるから」

「あ、そうだった」


 中腰から完全に立ち上がり宗春さんが開けてくれた障子から外に出る。

 スリッパをはいておやすみなさいの挨拶をしてから宗春さんと別れた。



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