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あなたとわたし



 そっと障子を開けて中へと入ると微かな寝息が聞こえる。


 部屋の真ん中に敷かれた布団の他には年代物の文机と箪笥以外の大型家具はなんにもなくて。

 本当に殺風景なのにそれがまた彼らしくてちょっと面白くない。


 枕元に座りペットボトルとコップを乗せたお盆をそっと置く。

 それからまじまじと顔を見つめてやっぱり整っていて綺麗だなって思う。


「良かったですね。顔に火傷とか傷がつかないで」


 掛布団と毛布の下の体には雷が落ちて弾けた木片が左足に刺さった傷と燃え上がった炎で負った火傷が左腕に広がっている。


 もちろん肌は熱に炙られて赤くなっているし、頬や額に散っている髪の先は色が変わっているから良かったですねって本当はいえないんだけど。


 雷が直撃してたら命はないし、火に巻かれていたらここにはいないんだよね。


 だからやっぱり“良かった”なんだ。


「ありがとうございます。生きててくれて」


 眩しくてぐっすり眠れないだろうって部屋の灯りは文机の上の卓上スタンドだけにしているから余計に長いまつ毛が作る影や鼻の形や唇の下の線がくっきりと見える。


 いつも隙がない人だけに寝顔を堪能できる機会なんてきっとこれからないだろうからこの際たくさん眺めておこうと顔を近づけると前触れもなくぱちりと瞼が開いた。


「うっひゃああ!?」


 至近距離で視線が合いびっくりして奇声が上がったけど許して欲しい。

 驚いた弾みでペットボトルを倒し、慌てて起こしてお盆の上に置いたら次はコップが転がって。


 ああ、もう。

 落ち着け私!


「うるさくてとてもじゃいけど寝ていられない」


 お布団の中から右腕が伸びてきて私より早くコップを掴む。

 少しだけ触れた指先が熱くてなぜか胸がドキリと跳ねた。


「あの、熱、ありそうなら氷枕持ってきますけど……えっと、宗春さん?」


 枕に右頬をつけてこっちへ顔を向けている彼の瞳が少し半眼になっているのはどうしたことなんでしょうか。


 また呆れられるようなこといっちゃったんだろうなぁ。

 とほほ。


「看病じゃなくて人の寝顔を観察するために傍にいたんならそれこそ趣味が悪い。人が弱っている姿を見て喜ぶ人種だったとは知らなかった」

「いやいや、待ってください。確かにこんなこと二度とないだろうから綺麗な顔をじっくり見ようかなと思いましたけど、不純な動機だけじゃなくてちゃんと心配で」


 看病のつもりでいたのに。


 どうしてそんなひどいことをいうんだろう。

 この人は。


「普通は呼吸の乱れが無いか気にかけたり、熱が無いか確かめたりするのに、それもしないでただ眺めてただけじゃ看病とはいわないけどね」


 ああ、なるほど。

 そこですか。

 そうですよね。


 確かにですよ。


 でもね。


「意識の無い人に許可なく触れていいのかどうか迷ったのと、宗春さんって迂闊に触ったら寝込みを襲われたって勘違いして刃物で斬られそうで怖かったんですよ」


 半分冗談のつもりでいったんだけど「ああ調子が悪い時は手加減できないから最悪死んでたかもね」なんて物騒なことを呟くからこんなに寒いのに手や腋に汗が出ちゃったよ。


 そうですかって返すと宗春さんは楽しそうに笑い「水飲みたい」とコップを差し出してくるので受け取ってペットボトルの水を入れてあげた。


 奥の院の水が止まる前に汲んでいた水なので癒しの効果があるからできればたくさん飲んでもらいたいんだけど、龍神池の水が完全に浄化されるまで千秋寺に治癒の水が湧くことはないらしくそれも難しいところだ。


「ええっと本当はお医者さま?治療師さん?に来てもらうはずだったんですけど、時間が遅いから朝一番で駆けつけてくれるようにお願いしてあります。それまでは応急処置しかできないんですけど」


 天音さまが私の怪我をあっという間に治してくれた術を宗春さんにしてもらえないのかって頼んでみたんだけど、龍姫さまが眠ってしまったので代わりに商店街の守護や龍神池に力を注いで浄化の手助けをするのに手いっぱいだっていわれてしまった。


「宗春の怪我は死には至らぬ。紬は女子おなごゆえ傷も残らぬよう治したが、男の体に傷の一つや二つあっても問題ないからの」


 そもそも千秋寺に生まれ、妖と戦う宿命にある宗春さんには痛みも怪我も修行の一環としかとらえていないって天音さまは真剣に取りあってくれなかったんだよね。


 きっと私の怪我を綺麗に治療してくれたのだって女だからっていう理由だけじゃなく、宗春さんの思惑に巻き込まれたからだと天音さまが判断して特別にやってくれたんだと思う。


 水を飲み干したコップを受け取るとちょっとだけ顔をしかめて宗春さんが辛そうに息を吐いたので「大丈夫ですか?鎮痛剤飲みますか?」って聞くとさも煩げに首を振られた。


「なにも欲しくないし、付き添いもいらない」


 眠れないからいっそのこといない方が良いとまでいわれて私はぎゅっと唇を噛む。


 はっきりとした拒絶に落ち込んで視線を落とすと「僕の傍にいるより自分の心配をしなよ」って珍しく優しい声が耳に飛び込んできた。


「横になっても気になってきっと眠れないと思います」

「それなら僕じゃなく兄さんの世話を焼いてやれば」

「なんですかそれ」


 気遣ってくれてありがたいって思ってたら妙な遠慮をし始めたので意味が分からないと首を捻る。


「大きな術を行うのはすごく疲れるんだけど、兄さんは僕の穴を埋めるために随分と無理をしたから。どうせまだ起きて動き回っているんだろうから紬が行って布団に入って寝るように忠告してやって」


 どうやら純粋に宗明さんを心配しているらしい。

 それから自分のせいで無茶をさせたってことも後悔しているみたいでなんだかすごく素直だ。


「私がいっても聞かないと思いますけど」

「そんなことない。もし聞かないようなら無理やり布団に押し込んで添い寝でもしてやればいいよ」


 無理やりお布団に押し込むまでは良いけど。

 添い寝って、なんなの。


 まったく。


「笑えない冗談は止めてください。それじゃあ宗春さんの氷枕を用意して持ってきた後で宗明さんにちゃんと休むように伝えます。それでいいですか?」


 確認すると眠そうに瞬きをしながら頷くので私は立ち上がり障子を開けて外へ出て台所へ向かった。


 上の吊戸棚の中から一週間前にお世話になった氷枕を取り出して、水をかけて角を取った氷を半分ほど入れてコップ一杯分の水を流し込む。

 余分な空気を抜いてから口をしっかりと閉めて漏れないのをちゃんと確認してからタオルを巻いて宗春さんの部屋へと戻った。


 やっぱり辛いんだろう。

 目を閉じて眠っている。


 それでも寝ている人の頭って重たいし、上手く氷枕の上に乗せられそうにないので申し訳ないが声をかけて起きてもらうしかない。


「宗春さん、氷枕持ってきましたよ」

「ん」


 返事があったのでほっとしながら枕に手を添えると頭を浮かせてくれたので氷枕をその間に入れる。

 綺麗なうなじと後頭部がぴたりと氷枕にくっついたのを見届けて宗春さんの言葉を宗明さん伝えるべく立ち上がった。


 廊下を歩きながら、さて宗明さんはどこにいるんだろうと考えていると前から大八さんが急ぎ足でやってきた。

 タオルを首に巻いてナイロンの上着を着ているから外出するのかもしれない。


「大八さん、こんな時間にどこか行くんですか?」

「おう。龍神池の後片付けに手がいるらしくてな。できれば日が昇る前に片付けたいらしい。全く妖使いが荒い連中だ」


 火は雨村さんのお蔭ですぐに鎮火できたんだけど、落雷によって石段や石塔が崩れたり地面が抉れたり、倒木が参道を塞いでしまったりと結構な被害がでている。


 商店街のお年寄りの中には朝早く龍姫さまのお社にお散歩がてらお参りに来るのを日課にしている信仰深い方たちがいらっしゃるらしいので、その方たちに異変があったことを知られるわけにもいかないので急いで片づけをする必要があるんだって。


 でもあと五時間くらいでなにごともなかったように戻すのは難しんじゃないかな。


「大変ですね……」

「まあな。でもおれたちは妖だから一日くらい寝なくたってどうってことないが、紬はそうはいかないんだからちゃんと寝るんだぞ?」


 なんなら今すぐ部屋に戻って寝ろ寝ろ!って肩に手を置かれて強制回れ右された。

 そのままぐいぐい押してくるから宗明さんはどこですか?って首をグイッと捻って大八さんの方を向くと「宗明?」と顔を歪めて嫌そうな顔をする。


「えっと宗春さんからの伝言がありまして。そのミッションをクリアできれば私もちゃんと寝ますから」

「ほんとか?」

「はい」


 頷くと本堂で隆宗さんとなにか話してたって教えてくれたので、大八さんを玄関までお見送りしてから外廊下に出た。

 まるで雪でも降りそうなほどの冷え込みに全身がぶるっと震えて腕を擦りながら急いで向かう。


 大事なお話をしていたらどうしようかと迷いつつ本堂へと近づくと、入口で宗明さんと隆宗さんが立って話してたから大丈夫そうだと判断して残りの距離を小走りで詰めた。


 先に気づいたのは隆宗さんで話しているのを途中で止めて、私の方へ身を乗り出しつつ穏やかな口調で問いかけてくる。


「どうしました。宗春になにかありましたか?」

「あ、いえ。違います」


 慌てて首を振ったけど、そうだよね。

 宗春さんの看病していたはずの私が急いでやってきたらなにかあったって思っちゃうよ。


 こういう時は心配かけないようにしなくちゃいけないのに。


「あの、宗春さんが自分のせいで宗明さんに無理をさせたから起きているようならすぐにお布団に入って寝るように伝えて欲しいって」

「宗春が」

「はい。聞かないようなら無理やりお布団に連行して寝かしつけてくれと頼まれました」


 宗明さんは困ったように眉を下げ、隆宗さんはおかしそうに笑いを堪えながら「そうですか」と震える声で相槌を打ってくれた。


「えっと、無理ですか?」


 もちろん隆宗さんも宗明さんも好きでこんな時間まで起きているわけじゃないことは分かっている。

 天音さまが龍姫さまの分まで請け負うことになったことで千秋寺にも多少の影響や負担はあるので、それについての話し合いや準備とか対応に追われて忙しい。


 それでも疲れている体に鞭を打って動いて後で無理が祟っても良くないと思うから。


「少しでもいいんです」


 朝のお勤めもあるからそんなに長い時間寝ることはできないだろうけど、横になるだけでもずいぶん違いますからって訴えると隆宗さんが頷いてくれた。


「お勤めは私一人で十分だからゆっくり眠りなさい」

「ですが」

「反論は許さないよ。さあ、紬さん。この頑固な息子を速く布団へ連れて行ってください」

「はい!」

「ちょ、紬さん」


 隆宗さんからお許しをいただいたので逃がさないように宗明さんの腕を掴んで外廊下を母屋へ戻ると冷たい風から逃れられたので体中の血液が勢いよく流れだしたように感じる。


 心なしか宗明さんの戸惑っていた表情もちょっとだけ緩んだように見えた。


 ええっと宗明さんのお部屋はどこだろう?


 そういえば宗春さんのお部屋も今日初めて教えてもらったし、久世家のプライベートな部分に足を踏み入れたのも実は初めてだったんだよね。


 ううん。

 分からない。


 さすがに手当たり次第に障子を開けまくるわけにはいかないのでこれは本人に聞くべきだよね。


 よし、聞こうと思って足を止めて斜め後ろを見上げようとしたら、逆に横を宗明さんがゆっくりと歩き出して引っ張られてしまった。


 あれ?


「宗明さん?」


 どうしましたかと聞いたのに返事はなく、そのまま引かれるままに歩き出す。


 静かな廊下。

 壁と障子に挟まれてちょっと圧迫感がある。


 腕を引いている時と違って引かれているという状況はちょっと不安になるというか、緊張するというか。


 ちょっと待って。


 あの。

 ねえ。


 なにか。


「宗明さんっ、あの、お願い」


 黙っていないで。


「なにか、いってください」


 指が震えているのに気づかれないといいけど、と思いながら私は足を踏ん張って宗明さんの腕を掴んでいた手を離した。


 するりと呆気なく抜けた手の指を手のひらにぎゅっと握り込みながら数歩先にいる宗明さんの背中をじっと眺める。

 宗明さんの肩が上下したので溜息を吐いたようだったけど、どんな顔をしているのかは全く分からない。


 なんだろう。

 宗明さんにも呆れられるようなこと私したんだろうか。


「すみません。宗春がいうようにやはり疲れているようです。ちゃんと自室で休むので紬さんも、もう寝てください」

「え、でも」

「これ以上は、困ります」


 こちらを見ないままの声は少し固くて。

 余計なお世話だったのかなと反省し「はい。すみませんでした」と謝罪した。


「おやすみなさい」


 挨拶をしてとぼとぼと廊下を戻る。

 宗明さんからおやすみの返事がなかったことがちょっと寂しくて、このまま部屋に戻ると更に孤独が増しそうだ。


 こういう時こそ小人さんたちや白がいてくれればよかったんだけど、小人さんはおじいちゃんの家だし、白は天音さまのお手伝いでまだ帰ってきていない。


 どうしようかと迷っていると宗春さんの部屋の障子が目に入り様子を見てから自分の部屋で寝ようと思ってするりと中へと入りこむ。


 氷枕が効いているのか。

 さっきよりもぐっすりと眠っているみたいだ。


 近くに行くと起きてしまいそうだから入口の前にちょこんと座り膝を抱えた。


 小さな灯りが映し出すのは最低限必要なものしかない部屋。

 仄かな血の匂いと宗春さんの香り。


 すっきりと通った鼻が綺麗な横顔には怪我の痛みも熱の苦しみも無くて、眠っているその姿はまるで作り物みたいな硬質な印象がある。


 本当なら火傷の炙られるような痛みと裂傷による疼くような痛みで健やかに眠れるわけないのに。

 鍛えられた精神力によるものなのかな。

 全く以て超人的だ。


 すうすうと穏やかな小さな寝息を聞いていたら、さっきまでの心細さが少しずつ解けていくように感じた。


 不思議だな。

 宗春さんといて安らかな気持ちになるなんて。


 どちらかというと心を乱されることの方が多いのに。


 変なのと思いながらぼんやりと寝顔を眺めていたら、つられてウトウトと寝てしまったみたい。


 途中で障子が開いて若い女の人の声が聞こえた気がするけど、あまりにも心地よくて返事もせずにふわふわと意識は夢の中。


 優しい声とくすくすと笑う気配の隙間で良く使いこまれた革製の大きな鞄を持った女性が「風邪引かないようにね」って耳元で囁く。


 宗春さんが呆れたように「バカは風邪引かないけど紬は風邪を引いちゃうバカだから」なんてことを返しているのも聞こえてるけどあまりにも眠くて反応することすらできない。


 小声で交わされる会話はどれも聞き取ることはできなくていつ終わったのかも定かじゃない。

 障子が開け閉めされて冷たい空気がすうっと体の表面を撫で一気に体温が下がりぶるりと震える。


 膝を抱き直し寒い寒いと文句をいっていると、温かいものにふわりと横から包まれたので咄嗟に手を伸ばして頬を摺り寄せた。

 まるで湯たんぽみたいにじんわりと温かくてなんだか良い匂いがする。


 ほうっと息を吐いて力を抜くとストンと意識は深い眠りの中へと落ちた。



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