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みんなでうたう いのちのうた



 耳の奥がキーンッて鳴るような甲高い笛の音がして思わず顔を顰めると、雨村さんが「始まるようです」と呟いた。


「始まるって、なにが」

「見ていれば分かります。ほら来ますよ」


 白い人差し指が東の方へ向けられ、顔を向けると岸部に宗明さんが立っているのが見えた。

 弓の弦を引き矢の先を池の中にいる龍姫さまへとピタリと当てて、険しい顔つきで呼吸を整えている。


 やがて心が決まったのか宗明さんの指から矢が離れヒュウッと風を切りながら飛んでいった。


 ――オォオオオオオォオオオッ!


 矢の先が刺さった瞬間に龍姫さまの緑の鱗が捲れ上がりパッと赤い血が散ったことに気づきゾッとする。


「どうして!?」


 龍姫さまを攻撃するの?

 助けようとしていたはずなのに。


「なんで、宗明さん」


 だけど宗明さんだけじゃなかった。


 南の方から同じように矢が放たれ、龍姫さまは暴れ空気を震わせる悲鳴を上げる。

 そのせいで池の水が大きくうねり、多恵さんとお姉さんが乗っている舟は不安定なほど揺れていた。

 角灯の灯りが右へ左へ移動して、時々波打つ水面に隠れて見えなくなる。


「落ち着いてください。これは姉姫の動きを押さえるための術です。矢の後ろから鎖が伸びているのが分かりますか」


 いわれて確認すると矢羽の辺りから発光する鎖が出ていて、水際に立っている隆宗さんと宗明さんの――って、あれ?


 宗明さんがいたはずの場所になぜか大八さんがいた。


 いつの間に入れ代ったのか分からないけど、隆宗さんが鎖の端を掴んで引っ張っているのと同じようにそこで踏ん張っている。


「自由を奪った後で語り部たちが姉姫に接触し正気に戻すことができればあなたがやろうとしていることも実を結ぶ可能性は高くなります」


 ですが失敗すれば。


「龍姫さまは戻って来られなくなるんですね」

「はい」


 責任重大だ。


 でもそれは私だけじゃない。

 みんなもまたそれだけの重圧に耐えて、やるべきことに責任を感じて頑張っているから。


「宗春さんは大丈夫でしょうか?」

「動くことができなくなっていても宗明さんが彼の元へ向かったので代わりに矢を放てば術は問題なく発動しますから」


 心配している所はそこじゃないんだけど。


 雨村さんはやっぱり感情が読めない顔をしていて、じっと見つめていると「どうしましたか」と聞いてくる。


 光さえ届かないような黒い瞳の奥には静かに雨が降っているかのようで、彼がなにを考えているかとかだんだんどうでもよくなってきた。


「いいえ。雨村さんなりに宗明さんと宗春さんを信じているんだって思うことにします」

「なんですか。それは」


 またパチリと瞬きをして雨村さんは不思議そうに眉を寄せる。

 私が説明を笑って誤魔化している間に西からの矢が龍姫さまに突き刺さって、新たな鎖で地上へと繋がった。


 私でさえ辛くなるんだから幼いころから慣れ親しみ、信仰の対象として龍姫さまを崇めてきた多恵さんにはどれほど苦しく胸が痛い光景だろう。


 雷鳴も閃光も消え当面の脅威は去ったけれど、長い身体を波打たせるようにして逃れようと激しく動く龍姫さまは最後まで抗う覚悟を持っているように見えた。


 聞くだけで竦んでしまう荒々しい声も、巨大な牙と口も、それだけで十分な威力がある。

 短くても鋭い爪がある腕も、突き出た二本の角も、滑らかな鱗も、風に靡く鬣も背中に固く並んだ背びれも全部神々しくも恐ろしい。


 ほら。

 今にも鎖を引き千切って強力な一撃を与えようと虎視眈々と狙っているみたいだ。


「お願い」


 早く。

 終わらせて。


 そう願ってもなかなか最後の矢が上がらない。


 宗春さん。

 宗明さん。


 お願い。


「早く!」


 燃える木々の向こうをじりじりと焦がれながら見つめて叫ぶ。

 幹や枝が勢いよく炎に焼かれて黒くなり、火の粉となって舞い踊る。

 風向きのせいか池を挟んでいる位置にいるのに肌を炙るような熱を感じて鼓動が速くなっていく。


 まだなの?

 もしかして。


 二人とも動けなくなっちゃった?


 涙が溢れて頬を伝わるけれど、顎に辿り着く前に乾いて落ちることは無かった。

 その部分がヒリヒリして、泣くことは許されないんだってぐっと喉に力を入れる。

 よろよろと立ち上がり自分がいる場所と池の向こうとの距離をぼんやりと眺め、堪らなくなり走り出す。


 だけど後ろから腕を引かれて「どこに行くんですか」と抑揚のない声に止められたら呆気なく私の足は動かなくなってしまった。


「あなたが行ったところでなにも変わりません」


 そんなこと分かってる。

 分かってても二人の所へ駆けつけたいって思ったんだから仕方がない。


「人の時間は有限なので待つことは苦痛でしかないでしょうがもう少し待ってみてはもらえませんか」


 頭上から聞こえる雨村さんは相変わらず温度を感じさせないものだったけど、心が籠っていないわけじゃなくて私はそれでも俯いて口を閉ざした。


「あなたの知っている宗明さんや宗春さんはどんな方たちですか」


 どんなって。

 そう聞かれたら答えないわけにはいかない。


「真面目で一生懸命で自分に厳しい信用のできる人たちです」

「そうでしょう。ならば待てますね」


 悔しいけど私は頷いて炎で赤くなっている岸辺をじっと眺めた。


 轟々と燃える森がそれ以上広がる気配が無いのは誰かが消火活動をしているからなのかもしれない。


「ああ出てきました」


 雨村さんの声を聞いて私は慌てて目を凝らす。


 どこに。

 大丈夫なのって必死で。


「宗明さん、宗春さん……!」


 生き物のような黒い煙を超えて宗明さんが肩を貸し宗春さんを抱えるようにして出てきた。

 なにがあったのか分からないけど宗春さんは左足を引きずり、左肩もガクリと落ちている。

 血のような染みが服に滲んでいるようにも見えてその状態では弓を引くことはできないのは素人の私にでも分かった。


 だけど水際にやってきた宗明さんは宗春さんを地面に座らせ、後ろから支えて弓を構えさせようとしている。


 宗春さんは右手に矢を持ち、左腕を伸ばしたけど。


 矢を弦に引っかけて胸を反らすようにして右腕を引くと弓を支えている方の手から力が抜けて失敗した。


「――、――」


 なにか宗明さんが宗春さんに話しかけ、それに応えるように頷く宗春さん。

 もう一度構え直す宗春さんの左腕に添うように重ねられた宗明さんの左腕が代わりを務め、今度は上手く矢をつがえることができた。


 ほっと息を抜いたところで自分が息を止めていたことに気づいたけど、狙いをつけるために矢尻をゆっくりと上げていく二人の瞳が真剣で。


 なんだかすごく胸がいっぱいになった。


 キュンッと澄んだ音をたてて矢が飛び出し、ぐんぐんと伸びてお腹の方の柔らかい場所に突き刺さる。


 ――ッオオオオオオオ!


 四つの鎖が龍姫さまを捕えたことで赤い目が更に怒りで染まっていく。

 自由を奪う鎖を力づくで振り解こうと首を振り、鬣を乱すけれどそれ以上の動きはできない。


 矢が刺さったところから下の身動きができなくなった胴体部分へ舟が静かに近づいて。


 喉の奥から上げられる唸り声を宥めるように、慰めるように、小さな美しい旋律がゆっくりと広がっていった。


「歌?」


 独特の強弱で古い言葉が流れるように聞こえる。


 低く。

 高く。


 空気を震わせ。

 思いを乗せて。


「きれい」


 聞き馴染みがないから歌詞の意味など分からないけど、心に直接触れてくるような感じがして自然と涙が浮かぶ。


 池の上を抜けて届けられる祈りの歌は舟にいる二人の巫女から奏でられている。


 温かなもの。

 柔らかなもの。

 大切なもの。


 少しずつ胸の奥に溢れて。

 初めて聞いたはずなのに体が勝手に歌を唄っている。


 そして森も大地も空も星も風も水も火も――全てが二人の歌に合わせて口ずさんでいる。


 みんなが命の歌を。

 魂の歌を。


「多恵さんもお姉さんもすごい」


 龍姫さまの目から赤い光が零れ落ちていく。

 金茶の鬣が黒く長い髪へ変わり、固い皮膚だった肌も鱗に覆われていた体も象牙色の滑らかなものへと戻る。

 龍のお姿の時と同じ大きさだけど妖艶な肢体に薄桃色の薄絹の衣装を纏い、少しやつれた顔は前にお会いした龍姫さまと変わりなく見えた。


『おお憎い』


 ポロリポロリと涙のように赤い輝きを流しながら龍姫さまは「憎い」「憎い」と繰り返し、両腕とお腹と背中に打ち込まれた矢と鎖を恨めしそうに眺める。


『愛しい語り部を、あの善良で優しい者をあのような残酷で恐ろしい島へと向かわせた者たちに同じ苦しみを味あわせてやることが何故赦されぬ?』


 おお。


『なにもできぬ我が身が憎い』


 おお。


『救えなんだ己が憎い』


 なにが。


『神か』


 ただの獣だ。

 所詮。

 化け物にすぎぬ。


『おお……おぉ……』


 深い悲しみと後悔に泣き苦しむ龍姫さまを見上げて私はぎゅっと拳を握る。

 龍姫さまを救えるのは多恵さんでもお花屋さんのお姉さんでもない。


 もちろん私でもない。


 再び時を動かすことができるのは幸広さんしかできないから。

 もう一度彼に会う。


 今度は私の番だ。


 ゆっくりと息を吸うと色んな香りが肺の中に入ってくる。

 けっして良い匂いじゃないけど、それだけ生きるっていうことは複雑で苦いんだ。


 集中して。


 もう一度あのジャングルへ。

 もう一度幸広さんの元へ。


 大丈夫。

 一度繋がった魂とは縁が結ばれているから。


 すぐ。

 会える。


 ほら。

 遠くにだけど見えた。


 深い緑の森から蒸し熱い風が吹きそこから白銀の光りが飛び出してくる。


 満天の星の下。


 ぐんぐんと近づいて来てそれが白とその背に乗った幸広さんだって分かった時には私の横を通り過ぎて行った。


 え?

 ちょっと待って。


 どういうこと!?


 やっ。

 ええっ!?


 置いて行かないで。

 待って。


 白ぅう!?


 急いで自分の体に戻り集中を切って目を開けると、龍姫さまの顔の少し前に白が浮いていた。

 その背中から幸広さんがひょいっと飛び降り、なんだか照れくさそうな申し訳なさそうな感じで髪を撫でて。


 あ。

 幸広さんの服装が兵士のそれじゃなくて襟付きのシャツにズボン姿になってる。


 どうやって白が説得してくれたのか分からないけど、幸広さんは戦場と決別し昔の彼に戻ってここへと来てくれた。


 それが嬉しくてホロリと泣く。


 龍姫さまは喜びと安堵と後悔と悲しみをごちゃ混ぜにしたような表情を最初はしていたけど、帰ってきてくれたことをようやく受け入れられたのかゆったりとした微笑みを浮かべた。


 幸広さんの言葉を龍姫さまは瞬きをしながら真剣に聞いている。

 二人がどんな会話をしているのか分からないけど、それは私たちが知らなくても良いことなんだよね。


 ただこうして見守るだけ。


 幸広さんがにこりと笑って深々と頭を下げ、それに応えるように龍姫さまは頷き自らの白い谷間に両手を当てて。

 天を仰ぎ、優雅な動きで両腕を広げた。


 青白い光が龍姫さまの胸から溢れ、腕へと導かれて辺りに満ちていく。


 カチコチと。


 時が動き出す。


 正しい時を追いかけるように。

 少し興奮気味に。


 だけど逸っていた気持ちもゆっくりと落ち着いていく。


 穏やかに。

 優しく。

 眠っている時の呼吸と変わらないくらいに。


 ああ。

 時間って心臓の音と似ている。


 トクン、トクンと。

 生きている。


 龍姫さまの姿を見ていることができないくらいに光がどんどんと強くなり、私はぎゅっと瞼を閉じた。


 光の刺激を感じなくなって目をそっと開けると願解きを終えた幸広さんは既に還り、龍姫さまの姿もなぜかなくなっていた。


 キョロキョロしていると後ろから声をかけられてあわあわと振り返ると草を踏みながらこちらへと歩いてくる天音さまと白の姿。


「よう頑張ったな」

「天音さま」


 労ってくれたけど幸広さんを連れてきてくれたのは白で。

 私は結局黙って見ていただけのような感じがする。


 いわなくても天音さまには全部筒抜けなのか。


「そんなことはない。期待以上の働きをしてくれた。礼をいうぞ」


 そういって微笑む天音さまの掌の上には三センチほどの小さな碧の玉。

 その色が龍姫さまの瞳と同じものだったのでまさかと思いながら天音さまを見上げると肯定するように小さく頷かれた。


「力が戻るまでこの状態だがその方が静かでよかろう」


 ふふふっと笑う声に反応するように碧の玉が明滅して天音さまは嬉しそうに顔を綻ばせる。


「よい。しばらくは己を癒すことに努めよ。後は私が引き受ける。さあ眠れ」


 時間は無限にあるから。


「おやすみ。良い夢を」


 天音さまが池の水に玉を持った手を入れるとふわりと浮かび、それからゆっくりと沈んでいく。

 しばらくは岸辺からでもその清らかな光が見えていたけどやがて薄くなり見えなくなる。


 それでも天音さまは名残惜しそうに水辺に座ったまま。


 白が甘えるように腰に頭を擦りつけて来たので「ご苦労さま」ってそっと撫でる。

 あとでたくさんお礼をいって、匂いを嗅がせてあげよう。


 いつの間にか雨村さんもいなくなっているし、天音さまの邪魔をしないようにそっと離れて白と一緒に宗春さんと宗明さんの所へ行くことにした。



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