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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
2章 文学少女はページをめくる
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37話 冬に桜の花びら

 冬服に衣替えし、朝はマフラーを必要とする季節となった。

 朝の小説を書いていた時間は、ベッドの中でうずくまり、スマホを触って過ごす時間に変わった。時間になったら、ベッドから出て、カーテンを開けて光を取り入れる。制服に着替え、そして階段を降りるのだ。

 肌を突き刺すような空気が私を抱く。だからマフラーに口元を埋めて、できるだけ肌が露出しないように注意を払う。ダッフルコートを着用すれば寒さはさらに感じなくなるのかも知れない。しかし、この時期に完全防備をしてしまうと、冬本番に耐えられなくなってしまうから我慢。

 視界に白いものが落ちていった。

 足を止め、空を見上げる。灰色の空から舞い落ちる白い粒が視界に入り、頬を濡らした。

 

「初雪か……」


 吐いた息が白く、空に消えた。

 葉一つついてない木々は裸で寒くないのだろうか。雪が積もれば、枝の上に乗っかってそれがコートになるのかな。

 前を向いて、またマフラーに顔を埋めて、歩みを進めた。白い毛糸が若干視界に入る。寒さに肩をすくめ、ポケットに入れたカイロを握った。早足で、集合場所に向かう。

 道端にまるまるとした雀が身を寄せってじっとしているのを見つけ、思わず写真を撮った。

 鏡子に見せたら、きっと「かわいいわ」って言うんじゃないかと思った。写真を撮ったあと、また鏡子の事を考えていると思い首を振って、鏡子の笑顔を消した。

 桜の木の下で、薄いピンク色のマフラーを首に巻き、長い三つ編みを垂らしている女の子――鏡子がいた。

 いつも私より先にいる。

 私を見つけると、春のような明るい笑顔を浮かべて、小さく手を振った。


「おはよう」

「おはよう、詠ちゃん。前髪とマフラーのせいで顔があまり見えないわ、不審者みたいよ」

「学校ついたらマフラー外すから大丈夫。それより、雪降ってるよ」


 鏡子は、ポケットから桜の花びらがついたヘアピンを取り出すと、しもやけでほんのりと赤くなった指先で私の前髪を触り、前髪をヘアピンで止めた。

 視界が明るい。

 鏡子は、スマホを取り出すと、さり気なく写真を撮った。


「鏡子、今なにをしたのかな?」

「可愛かったから写真に収めておこうと思って、ふふ」


 そう言ってポケットにスマホをしまった。


「笑ってもだめだよ、あとで消しておいてね。恥ずかしいから」


 不満そうに頬を膨らませて、わざとらしく「ふーん」とそっぽを向いた。それからすぐ、頬の空気を抜いて、私の手を握ってきた。

 鏡子の頬が緩んで、にんまりと微笑む。

 

「あったかーい」

「私の手握らなくても、カイロ貸してあげるよ」

 

 鏡子の手を解いて、カイロを取り出そうとしたが、また手を握られてしまった。「手のあたたかさがちょうどいいの」と可愛らしく言った。

 雪はさっきより降ってきて、視界に白が増える。正直そんなことよりも前髪が気になって仕方がない。いつもは前髪で隠れていたから、その安心感がない。外の世界とちゃんとつながったような気分だ。人間の存在を強く意識することとなる。

 けど、恥ずかしい。

 前髪に触れようとするけど、せっかく止めてもらったのだから崩したくなくて、直前で手が止まる。

 鏡子は私の様子を見て、撫でるように静かに笑った。

 教室に着いても、私はいつもより落ち着きがなかった。どうしても髪が気になってしまう。


「外したいなら外していいのよ?」


 鏡子は私の髪に手を伸ばそうとする。私は鏡子の手を掴み、「大丈夫」と少し引きつった笑みを返す。手を離して、私は教科書とノートを開いて、宿題をとき始めた。指先が冷えているせいで、上手くシャーペンを動かせない。

 ストーブがちゃんと稼働を始め、カチカチという音の後に、ブーッと低い音が鳴った。教室があたたまるまでまだ時間を要するだろう。

 ポケットに入っているカイロも、まだぬるい。

 漂ってきた微かな灯油の匂いが鼻につく。

 鏡子は、川端康成の『雪国』を読んでいるようだ。冬にちなんでか、たまたまなのか。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という文章は、「吾輩は猫である、名前はまだない」や「恥の多い生涯を送ってきました」と並ぶほど有名な冒頭だろう。

 窓もぼんやりと白く曇ってきて、だんだんと空気があたたかくなってきた。こすり合わせていた膝の動きを止め、問題を解くことに集中する。


「第一回芥川賞の選評をした川端康成は、太宰治の作品を読んで『作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざるうらみあった』と言っているのよ」


 しかしその集中力は鏡子の声に奪われてしまう。


「川端康成はね、一八九九年大阪で生まれるの。それから東大国文科を卒業して、一九六八年にはノーベル文学賞を受賞するわ。それから数年後、彼はガス管を咥え、布団の中で自殺するの」


 一瞬にして川端康成の生涯を簡単に語ってしまった。鏡子のうんちくがここで止まるはずもなく。


「彼は古美術を集めるのが好きだったり、小学生の頃は画家になろうと考えたこともあるわ」


 本を読むのをやめ、ページを開いたまま、本を胸の前に当てて、愛しそうに語る。

 鏡子が楽しそうに、うんちくを垂れる姿は好きだ。人がなにかに愛を注ぐ姿というのは、見ていて楽しい。私まで幸せな気持ちになる。

 三つ編みを軽やかに揺らし、言葉を紡ぐ。

 教室内はすっかりあたたまり、赤かった鏡子の指先も肌色に戻っていた。

 雪もしんしんと降り、このまま降り続けば積もるんじゃないかと思うほどだった。


「詠ちゃんは、『雪国』を読んだことはある?」

「たしか……まだ、だった気がする」

「ふふ、じゃあぜひ今度全部読んでみて? きっと美しい文章に酔ってしまうわ」


 やわらかく輝く鏡子の笑みに、頭がクラリとした。いつ見ても、鏡子の笑みは素敵だ。

 しかし、穏やかなひとときがドアの開く音とともに終わりを告げた。パンツスタイルのスーツを着こなした花咲さんがアリス先輩を腕を組み中に入ってきた。

 隣りにいるアリス先輩は、半ば呆れ顔だ。


「花咲さん、どうしてここに?」


 鏡子が花咲さんのところに駆け寄り、子犬がしっぽをふるように、鏡子の尻尾が左右に揺れる。私も少しおくれて花咲さんたちのところに行った。 


「実はですね、ここの学校の教育実習生として今日から二週間お世話になることになったんです!」

「形だけでしょ、教育実習生なんて。アタシの授業風景が見たかったからのくせに」


 アリス先輩が腕を振りほどき、ツンとそっぽを向く。花咲さんは、むっと顔をしかめた後、身を乗り出して、耳を貸してというように手招く。

 耳を寄せると、花咲さんはちらちらとアリス先輩を見ながら呟いた。


「昨日ね、アリスがですね、ベッドで恍惚とした表情で……」

「ちょっと千早何言おうとしてるのよ! アタシは何もしてないわよ」


 アリス先輩が花咲さんの耳を引っ張り、私達から引き剥がす。

 アリス様からアリスに呼び方が変わっている……。二人の仲は更に進展しているのだと伺えた。

 花咲さんは以前より生き生きしているように感じられる。アリス先輩に気持ちを伝えることができて、受け入れられた安心感があるからだろうか。

 どちらにせよ、二人は幸せそうで微笑ましかった。


 


 

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