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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
2章 文学少女はページをめくる
30/86

29話 その髪に触れて

「む――」


 つい大声を出しそうになって、相手に口をふさがれた。インクの匂いが鼻につく。トイレの中まで引っ張られてようやく手が口から離れた。

 相手を見て、口を開く。


「紫さん、こんなところでっ」

「気晴らしよ。この図書館は、とても好きなの」


 花のような笑みを浮かべる紫さんだったが、目の下にくまができていた。寝不足なのだろうか。三つ編みも少し形が崩れている。

 

「あの、紫さん……」

「どうかしたのかしら?」

「三つ編み、崩れているので直されたほうがいいんじゃないかと」

「あら、じゃあ、詠さんに頼んでもよろしい?」

「は、はい」


 鏡子に上手な三つ編みの結い方を教えてもらったことがあるから、それさえ守れて、私が不器用過ぎなければ大丈夫なはず。普段、自分の髪を触ることがないけど、なんとかなるだろう。

 ゴムを外すと、型のついた黒髪がふわりと広がった。

 鏡子と同じ髪の匂いがした。

 紫さんが内ポケットから折りたたみの櫛を私に渡す。毛先を先にブラッシングをして上から下まで櫛を通す。

 櫛を通す度、匂いが漂った。

 さらさらの髪を三等分して、外側の左右どちらか髪を真ん中に持ってきて、真ん中の髪を外側に出す。そのあとはさっきと反対の髪を真ん中に移動させて真ん中にあった髪を外に出す。それを繰り返して、三編みを作っていく。

 鏡に映る三つ編みを結う私と、紫さん。

 壁のベージュのタイルが心を落ち着かせてくれる。


「最近、疲れてるんですか?」

「疲れているけれど、元気よ。寝不足なだけで……」

「休める時にちゃんと休んでくださいね」

「ありがとう」

 

 途中で三つ編みの幅がおかしくなって、また一からやり直し。紫さんはそのことについて何も言わず、私に任せてくれた。


「詠さん、前より明るくなったわね」


 ふいにそんなことを言うので、私の手は止まった。鏡越しに紫さんを見る。横顔だけど、微笑んでいるのはよくわかる。目を細めて、口角を上げているから。


「そ、そうですかね。変わらないと思いますけど」


 また三つ編みを結っていく。


「そんなことないわ。明るくなってるわ。今年に入ってから、会うたびに明るくなってる」

「絶対気のせいですって」

「はいはーい」


 私の言葉をかわして、紫さんは鼻歌を歌い始めた。

 少しして、ようやくできた。


「できましたよ」


 紫さんは、髪を手で触ると、満足そうに笑った。


「ありがとう、上手ね」


 いえいえと手を左右に振って、恥ずかしくて前髪を触った。

 それから少し雑談をして、トイレから出た。誰一人トイレに来なかったのが奇跡だと思う。

 トイレから急いで自習ルームに戻った。

 日がだいぶ落ちて、自習ルームにいた人はかなり減っている。鏡子と伊知さんは勉強を辞めていて、私の姿を見るやいなや、鏡子は頬が破裂するんじゃないかと思うほど膨らませた。伊知さんはぱあっと顔が明るくなる。


「詠先輩も戻ってきましたし、そろそろ帰りましょう」


 

 図書館から出て、伊知さんと別れても、鏡子はまだ機嫌が悪かった。頬をぷっくりと膨らませて、そっぽを向いて歩いている。

 怒っているんだから、というアピールだろう。


「息抜きが長すぎよっ、ずっと待ってたんだから」

「ごめんごめん、知り合いとばったり会っちゃってね」

「あら、そうなの。それは仕方ないわね」


 頬の空気は抜けて、いつもの笑顔に戻った。




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