23話 青春
放課後、部室に来る時いつも騒がしい遠藤さんは静かだった。
うーんと首を傾げ、ため息をつく。そして、険しい顔をして、ハッと我に返った。
様子が変だ。
「りっちゃん、どうかしたの」
鏡子が遠藤さんの背中に手を添える。遠藤さんは鏡子の手を払い、腕に頭を埋めた。
鏡子は私の目を見つめ、しょぼんとした。
鏡子が私の横に椅子を持ってきて、体操座りをし、私に体を預けてきた。
私は鏡子に与えられたお題に沿って原稿用紙を埋めていた。鏡子の体重が右半身にかかる。
重苦しい空気と、シャーペンが原稿用紙を走る音が混ざる。
鏡子は制限時間を過ぎたにもかかわらず、私が物語を渡しても反応がなかった。三つ編みを細い指で持ち上げ、毛先と毛先をこすり合わせている。
私はお手上げ状態だった。
鏡子の口へチョコを持っていっても、口を閉じたままで開こうとしない。本棚から鏡子が好きな宮沢賢治の本を見せても、読もうとしない。
重苦しい空気がずっしりと肩にのしかかる。
どうしたらいいかわからないまま、時間だけが過ぎていく。
オレンジ色の空は薄紫色を生み出し、空に流す。琥珀色の光が部室へ入り、部屋を満たし、鏡子の横顔を照らす。
昼間あんなにうるさく鳴いていた蝉は、寂しそうに鳴いた。
「なんだあいつ……」
苛立ちと困惑の混じった声を遠藤さんが漏らした。顔を横に向け、机に視線を向けている。
私は恐る恐る遠藤さんに聞いた。
「遠藤さん、なにがあったの」
「なんでもないです」
ぶっきらぼうに答えると、長い溜息を吐いた。
教えてくれそうにない。
そう思った時、遠藤さんが消え入りそうな声で言葉をこぼした。
「嵐がやわらかな風になったんです」
「川内くんのこと?」
「はい、毎日毎日うざいぐらい告白してきたのに、今日は風のようでした。稲穂を撫でるような優しい風のようでした」
のっそりと顔をあげた遠藤さんの目に涙が滲んでいた。額に張り付いた前髪は涙で濡れている。
どうして泣いているんだ。
遠藤さんは腕で涙を拭うと、顔をしかめた。
「あんなやつ、りぃが好きになるわけないんです」
そういって、お菓子に手を伸ばしリスのように頬張った。口いっぱいに詰めたお菓子を噛み砕き、飲み込む。
しかし、クッキーだったため口の水分を取られ、苦しそうに顔を歪めた。
私は急いでお茶を注ぎ、遠藤さんに渡す。
遠藤さんがお茶を奪い、口を開けて一気にお茶を流し込んだ。
「はぁー……死ぬかと思った。
すみません、ありがとうございます」
私は面を食らった。
今まで私に暴言を吐いていた遠藤さんが、感謝の言葉を口にした。鏡子にではなく、私に。
ぽかんとする私を、遠藤さんは「アホ面」と言い放った。
もう怒りとか出てこなくて、なんとも思わない。
鏡子も隣できょとんとして、お姉さんみたいにふっと笑みを浮かべた。
「きょうちゃん、ごめん。りぃ、今日は先に帰るね」
遠藤さんは荷物をまとめて、部室を出ていった。
鏡子は私の肩に頭を乗せたまま、私の選んだ本を手に取り、黙々と読み始めた。
鏡子の体温や、鏡子の桜の匂いが心地よく、そのままにしていた。
ページをめくる音が、空気を震わせる。
鏡子の頭に頬を置き、後ろから本を眺めていた。
だんだんとページをめくるスピードが落ち、ついには指をページの間に挟んだまま動かなくなった。
「鏡子?」
「ん……」
ドキッとした。
鏡子は艶っぽい声を漏らしたからだ。
恥ずかしくなって、視線が泳ぐ。
ジジジと蝉がからかうように鳴いている。
そろそろ下校時間だ。
起こさないと。
そっと本を取り上げ、机に置く。
「鏡子、鏡子」
返事がない。
「最後の一つのチョコ、食べちゃうよ」
鏡子の目がカッと開いた。
「チョコはわたしの!」
と言い、お皿の上に手を伸ばす。が、なにもない。最後のチョコは、あの時遠藤さんが食べていた。
「チョコ、ない……」
鏡子は眉を下げる。
「チョコは遠藤さんが食べたよ。もう帰ろう、時間だよ」
鏡子は席を立ち、椅子を元の場所に戻した。
本を棚にしまい、部室を出た。
学校を出ると、鏡子は思い出したように言った。
「りっちゃん、どうしたのかしら。わたしの手を振り払うなんて、初めてだったのよ」
「遠藤さんも、一人で考えたいときがあるんだよ」
鏡子は、「そうね」と納得して、また声を弾ませ本の話を始めた。




