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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
23/86

22話 恋ってなんですか?

「ストーカーだ!」

 

 翌日、部室に駆け込んできた遠藤さんは第一声をそう叫んだ。

 美味しそうにお菓子を食べていた鏡子は、お菓子を咥えたまま首を傾げる。

 鏡子の体調はすっかりよくなり、朝から元気いっぱいだった。

 朝に川内くんから手紙を受け取り、そっと遠藤さんの下駄箱に入れておいたものだった。

 どしどしと怒りを踏み鳴らし、


「これ、見て」


 机に叩きつけられた一枚の手紙。それは、依頼ではなく普通の手紙だった。差出人は、川内幸也と書かれている。


 名前も知らないあなたに恋をしました。入学式の日、真新しい制服に身を包んだあなたは眩しく、あまたのまわりの空気が輝いて見えました。それ以来、ぼくはあなたのことばかり考えてしまいます。

 ときたま、あなたの姿を見かけ、そのたびに目で追ってしまうのです。

 話しかけることができず、先に手紙という形になってしまったことをお詫び申し上げます。

 今日の放課後、中庭の木の下で待っています。


 川内幸也。


 と気持ちのこもった手紙だった。


「中庭、行かないの?」


私の問いかけに、遠藤さんはギッと睨む。


「ストーカーに会いにいって、どうするんですか!」


 ストーカーだなんて……。

 事情を知る私と鏡子は、なんとかして遠藤さんを中庭に連れて行かねばと頭をひねる。

 その間も、遠藤さんはツインテールを振り乱し、騒ぐ。

 ストーカーだ、犯罪者だ、気持ち悪い、と暴言を吐きまくる。

 埃が舞い、咳き込みながら声を荒げる。


「そんな事言わずに、会うだけ会ってみましょうよ」


 鏡子が説得を試みるも、聞く耳を持とうとしない。

 小さい子供のように、半泣きでいやだいやだと駄々をこねる。

 無理矢理連れて行くしかないのかなという考えが頭をよぎったその時。


「ハグ」


遠藤さんが、呟く。


「ハグしてくれたら、ストーカーにあってもいいよ」


 鏡子を見上げ、目を瞬かせる。

 鏡子は眉を下げて困ったように笑い、遠藤さんの体を抱き寄せた。

 遠藤さんの怒りは嘘のように消え、幸せいっぱいの表情に変わる。


 遠藤さんを中庭に行かせて、私達は先回りをしてそっと木の陰から川内くんの勇姿を見守ることにした。

 汗に吸い寄せられてきた蚊が耳の近くを飛んでいる。耳に障る羽の音が集中力をかき乱し、怒りを買う。

 暑さと蚊でイライラしていた時、鏡子が小さく声を上げる。背の低い植木の陰から頭を出して、覗く。

 ハート型のくぼみを背景に、顔を赤くした川内くんと、疑いの目で川内くんを見ている遠藤さんが向かい合っていた。

 私の知ってる告白シーンよりかなりピリピリとしたものだ。

 鏡子は目を輝かせ、嬉しそうにその様子を見つめていた。

 川内くんは手を後ろで握ったり開いたりを繰り返して落ち着きがない。口をわななかせ、尋常じゃない汗もかいている。

 その様子を冷めた表情で遠藤さんは見ていた。

 頑張れ、川内くん。


「あ、あのっ!」


上擦った声が中庭に響く。蝉たちも鳴くのをやめて、川内くんを見守っている。

川内くんの顔が更に赤くなる。


「お、俺、と付き合ってくれませ――」


 木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び去る。

 川内くんの体が二つに折れる。苦しそうな声を漏らした。

 遠藤さんが、拳をみぞおちにクリーンヒットさせていた。

 衝撃を浮かべる川内くんの顔を見て、遠藤さんは地獄から召喚された魔王のような恐ろしい声で、


「ストーカーのくせにっ」


 と吐いた。

 拳を抜くと、川内くんは膝をついて、お腹を抱える。遠藤さんは鼻を鳴らして、


「あんたなんか興味ないわ」と立ち去った。


 川内くんは立ち去る遠藤さんに手を伸ばし、

 届かない腕を空中で遊ばせて、倒れ込んだ。

 遠藤さんの姿が見えなくなったことを確認し、川内くんに駆け寄る。


「大丈夫!?」


 川内くんの顔には絶望でも悲しみでもなく、喜びが滲んでいた。ふらふらと立ち上がり、笑みを浮かべる。


「俺、ますますあの子を好きになりました。あの拳、たまらなかった……」


 川内くんは恍惚とした表情で、遠藤さんが去っていった方向を見つめていた。


「諦めない。絶対彼女にしてみせる」

「全力で応援するわ」


 二つの太陽が中庭を照らした。

 それから時々、川内くんと遠藤さんを校内で度々見かけるようになった。ある時は一限目前、またある時は部活の時間の前、お昼休みと特定の時間というより、出会ったら告白という感じだった。毎度告白を断られ、蹴りを入れられたり、ビンタをされたりしても、川内くんは諦めない。

 凹むこともなく、へらへらと笑っているのだ。

 遠藤さんは部室に来る度、愚痴をこぼすようになっていた。


「なにあいつ」から始まって、それから一時間程愚痴っている。


 愚痴を聞きながら、物語を書いていた。

 それが非日常から日常へと移り変わろうとしていた。

 ある日の朝、鏡子と一緒に一冊の本を読んでいたら、川内くんが顔をのぞかせた。


「あの子、ガード堅いっす。名前も教えてくれない。

 俺のアプローチ方法が間違っているのだろうか」


 さすがに断られすぎて、凹んでいるようだった。

 椅子を引っ張り出して、乱暴に座る。

 川内くんはごつごつとした手で頭を抱え、うなだれる。


「あの子は心をひらいちゃくれない」


低く重い声が床に落ちていく。

鏡子は本を閉じて、机においた。きれいな手を川内くんの手に重ねて、優しく話しかける。


「かのシェイクスピアもこういっているわ。『険しい丘を登るためには、最初はゆっくり歩くことが必要である』と」


 川内くんが鏡子を見上げる。鏡子は川内くんと視線を絡ませ、目を細めた。


「いきなり告白じゃなくて、自分のことを教えて、相手のことを知っていくことが必要なんじゃないかしら」

「志賀さん……」


 絶望に沈んでいた瞳は光を取り戻す。

 鏡子の手をしっかりと握る。

 自分に言い聞かせるように、何度も「そうだ」と言葉を繰り返した。そうだと唱える度、前のような明るさを掴んでいた。

 椅子から立ち上がり、


「そうっすよね! 自分のことを教えることから始めてみる」と意気揚々に教室を去っていった。

「恋か、いいなあ」


 鏡子が手の甲を見つめて呟いた。さっきの感覚を思い出すかのように、自分の手を重ねた。切ない表情をして、下唇を噛んでいた。


「人の手のぬくもりは、自分では味わえないものよね」


 私は、「そうだね……」としか答えられなかった。

 誰か好きな人ができて、その人にも好きになってもらいたくて、がむしゃらに頑張るってすごく大変なのだろう。

 もしかしたら嫌われるかもしれない。

 そんな不安も抱えて、必死に自分を見せようとする。

 勇気のいることだ。

 挑戦するということは、何事においても体力を消耗する。だから、疲れてしまうこともあるだろう。

 恋愛をしたことがない私は有効なアドバイスは出来ないけれど、応援している。

 川内くんの恋が叶ったらいいな。

 そして、遠藤さんの鏡子離れができれば一番いい。


「詠ちゃん、顔が怖いわ。悪い人みたい」


 鏡子が怯えた顔で私を見ていた。


「ああ、ごめんごめん」

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