表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女王様はロマンの塊~古今東西女性君主列伝~  作者: 平井敦史


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/48

クリスティーナ(スウェーデン・ヴァーサ朝:在位1632.11.6~1654.7.6)

 今回ご紹介するのは、スウェーデンの女王クリスティーナ。幼少時に女王に立てられながら、若くして自ら女王の座を放棄し、心の赴くままに生きた女性です。


 彼女は1626年12月8日、ヴァーサ朝スウェーデン王国第六代国王・グスタフ二世アドルフ(1594~1632)の娘として生まれます。


 グスタフ二世アドルフ、グスタフ=アドルフとも呼ばれる彼女の父王は、国内の政治・軍事等の体制を変革し、ポーランドに侵攻して苦戦しながらも最終的には勝利を収め、またリトアニア・ラトビアを支配下に置くなど、バルト海に覇を唱えて「北方の獅子王」の異名を取った人物です。

 しかしながら、ドイツの三十年戦争に介入し、1632年のリュッツェンの戦いにおいて戦死してしまいます(ただし、戦いそのものはスウェーデンが勝利)。

 そして、父の死によりクリスティーナはわずか6歳で即位することとなります。


 元々、父からは早い時期から後継者に指名されており、乗馬や射撃などの教育も受けさせられ、彼女自身もそういった方面に興味と才能を示してきました。そして、当初は宰相の補佐を受けていたものの、三十年戦争およびスウェーデン・デンマーク間のトルステンソン戦争が終結した1644年頃からは親政を開始します。


 この当時、スウェーデンは新教(プロテスタント)を国教化しており、周辺諸国との戦争も、旧教(カトリック)を奉じる諸国との宗教戦争の一面もあったのですが、クリスティーナ自身は両教の融和を望んでいたようです。


 カトリックとプロテスタントと言うと、後者が前者の改革運動の中から生まれたという経緯、それに日本語で「旧教」、「新教」と書くこともあって、カトリック=保守的、プロテスタント=革新的というイメージをお持ちではないでしょうか。

 白状すると、私自身そういうイメージを抱いていた時期もあったのですが、ことはそう単純ではありません。ローマ教会の支配から脱してイエス=キリストの教えの根本に立ち返る、という理念は、確かに旧弊(きゅうへい)を打破する力にもなった反面、極端な原理主義に走るという一面も持ち合わせていたのです。

 実際、現在もなおアメリカなどでダーウィンの進化論を真っ向から否定している福音派(エヴァンジェリカル)は、原理主義的プロテスタントですしね。


 少々話が逸れてしまいました。この当時のスウェーデンの状況に戻りますと、スウェーデン政府は王権の絶対化とプロテスタンティズムの強化を掲げており、クリスティーナと思想面・政策面で対立が深まっていました。また、彼女自身プロテスタントが肌に合わないとの思いもあったようです。


 そのような状況下で、彼女はついに退位を決意します。意志を固めたのは二十歳の頃と言われていますが、「国際法の父」とも言われるオランダの法学者・フーゴー=グローティウス(1583~1645)や近代哲学の祖であるフランスの哲学者・ルネ=デカルト(1596~1650)といった知識人たちを宮廷に招いて親交を深めつつ、退位の計画を練ります。


 もっとも、この時クリスティーナはデカルトに心酔するあまり、当時としては高齢の彼に早朝からの講義をさせるなど無理をさせて、風邪をこじらせて肺炎で亡くなってしまう原因となったりもしているのですが。


 そして、1654年。クリスティーナ27歳の時に、従兄(いとこ)のカール十世(1622~1660)に王位を譲り、スウェーデンを出国します。


 退位の翌年、1655年には、オーストリアのインスブルックでカトリックに改宗。同年12月にローマへ到着、その地に居を定めます。そして、フランス・ドイツ・スウェーデンなどを周遊する一方、学問・芸術・文学の研究に勤しむ日々を送ります。


 と、このまま終わっていれば、若くして女王の座を捨てて自由に生きた女性の生涯、ということになるのですが。というか、私自身、当初はクリスティーナにそういうイメージを抱いていたのですが……。

 彼女は、人によっては「迷走」と受け取られても仕方のないような行動に出ます。


 1660年、彼女が譲位したカール十世がデンマークとの戦争において陣没(じんぼつ)し、その息子カール十一世(1655~1697)が立つと、クリスティーナはストックホルムに赴き、自分はカール十世およびその子に譲位しただけなので、もしカール十一世に何かあったら自分が復位する、という旨を宣言します。

 しかし、すでにカトリックに改宗していた彼女がスウェーデン政府に受け入れられるはずもなく、結局彼女は王位継承権を早々に放棄することとなります。


 その後、1668年には、ポーランド国王ヤン二世(1609~1672)――この人もヴァーサ家の出身です――が退位するや、ポーランド王国の国王自由選挙に名乗りを上げるも、これも支持を得られず。さらに、ナポリ王国の王位継承にも介入するも、これも失敗。そうして、ようやく1668年からはローマに落ち着き、前述の通り学問・芸術・文学の日々を送って、1689年4月19日にその地で没します。


 彼女の一連の行動を、カトリックとプロテスタントの融和という理想のためにはやはり王位に就く必要があると考えてのことと解釈するか、それとも、一度は王位を捨てた元女王様の気まぐれと見るかによって、その評価は大きく分かれることでしょう。

 私自身の感想を正直に言わせてもらうなら、「あんた一体何がしたかったの?」感が否めないのですが。


 ただまあ、そういった歴史上の評価はひとまず()いて、創作の題材――歴史物であれ、異世界ファンタジー物であれ――として見たなら、非常に魅力的な人物なのは間違いないと思われます。

 主人公に()えてもいいですが、むしろ主人公の庇護者や助言者として登場させたら、物語の幅が広がりそうです。

 主人公が滞在する町で悠々自適の日々を送る知的でミステリアスな女性。実は王位を捨てて他国で隠棲(いんせい)する元女王様で……みたいな感じで。



 さて、次回はいよいよ日本代表。持統(じとう)天皇の登場です。乞うご期待!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スピンオフ(?)作品もあるよ。
第一弾『ウィルヘルミナのラジオ☆オラニエ』
第二弾『人間椅子』
第三弾『マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか』
第四弾『女帝のお茶会』
第五弾『ハギスと女王と元女王』
第六弾『スルタン未だ没せず』
第七弾『ちっちゃなバイキング』

なろう活動三周年の記念に、かぐつち・マナぱ様よりFAをいただきました~。
どれが誰かはご想像にお任せします(笑)。


html>
― 新着の感想 ―
[良い点] 父から指名され、若くして即位し、乗馬や射撃の英才教育を受けた女王様。 この設定だけで色々と物語が膨らむ…という感じの女王様ですね。 色々な国の王位継承にちょっかいをかけたのはなんだったの…
[良い点]  父親のグスタフ=アドルフが歴史上の偉人なら、娘のクリスティーナ女王は伝説上の偉人という印象を受けます。日本史で言えば、源頼朝と源義経みたいな……(グスタフ=アドルフは史実でも格好いいんで…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ