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女王様はロマンの塊~古今東西女性君主列伝~  作者: 平井敦史


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ロシアン女帝一気語り その二 (アンナ:在位1730~1740,エリザヴェータ:在位1741~1762)

●元祖雪の女王? ~アンナ(1693~1740)


 エカチェリーナ一世の跡を継いだピョートル二世(一世の孫)。しかし、彼は1730年、天然痘に罹患(りかん)し、14歳の若さでこの世を去ります。


 帝位継承者候補としては、ピョートル大帝とエカチェリーナ一世の娘で、エカチェリーナも継承を望んでいたエリザヴェータがいたのですが。

 保守派大貴族たちで構成された最高枢密院は、自分たちの特権を奪う改革を推し進めた大帝の直系を皇帝に立てることを嫌がり、別の候補者を選考します。

 そして白羽の矢が立ったのが、大帝の異母兄で摂政ソフィアの同母弟だったイヴァン五世の娘・アンナでした。


 このあたりの関係性は中々複雑なのですが、Wikipediaの各女帝の項目の下の部分に系図が載っていますので、そちらをご参照ください。


 あと、零(@zero_hisui)という方のTwitterに、可愛いイラスト付きの系図が載っています(ttps://twitter.com/zero_hisui/status/1119847358143979520)。

 この方は大変に歴史に造詣の深い方のようで、色々面白いTwitter漫画を描いておられるので、よろしければ併せてご覧ください。

 前回ご紹介した、スウェーデン王カール十一世とウルリカ王妃のエピソードも、この方の漫画で知りました。


 さて、アンナさんです。

 彼女の父親は、先述の通りイヴァン五世。母親は、ロシア貴族の娘・プラスコヴィヤ=サルトゥイコヴァ(1664~1723)。

 このプラスコヴィヤという女性は、自身は伝統的なロシア文化の環境で育ちましたが、西欧化の必要性を理解できた人で、夫の死後もピョートル大帝から敬意を持って(ぐう)せられました。


 プラスコヴィヤの開明的な思想は、彼女が育てた娘たちにも当然影響を与えます。

 ここでいう「娘」とは、実子であるアンナだけでなく、当時まだ正式な結婚前で非嫡出子扱いだった、ピョートルと愛人マルタ(後のエカチェリーナ一世)の娘も含まれます。

 ピョートルは愛人(エカチェリーナ)との間の娘二人を、プラスコヴィヤに養育してもらっていたのです。

 この姉妹の妹の方が、後のエリザヴェータ女帝です。


 アンナは1710年11月、17歳で、現在のラトビア西部にあたるクールラント・ゼムガレン公国に嫁ぎますが、夫とは3ヶ月足らずで死別します。

 しかし、夫の死後も、公国の(あるじ)としてそのまま留まります。


 そんな彼女がモスクワに呼び戻されたのは、先述の通り、皇帝ピョートル二世の逝去を受けて最高枢密院が彼女を擁立しようとしたから。

 最高枢密院を構成する大貴族たちは、アンナを傀儡にして立憲君主制への移行を目論んでいたのですが、事は彼らの思惑通りには運びませんでした。

 アンナは中級以下の貴族層を味方につけ、最高枢密院が押し付けようとしてきた数々の制約を拒否。逆に最高枢密院を廃止に追い込んで、皇帝専制を復活させます。誰だよ、傀儡にちょうどいいとか言い出した奴は(笑)。


 しかしながら、アンナ自身は専制権力を手にして国内改革を推し進めようとか、対外的に覇を唱えようとか、そういった(こころざし)があったわけではありませんでした。


 彼女は政治を、クールラント時代からの寵臣であるエルンスト=ヨハン=フォン=ビロン(1690~1772)や、ピョートル大帝時代からの外国人顧問――いわゆる「お雇い外国人」であるアンドレイ=オステルマン(1686~1747)、ブルクハルト=フォン=ミュンニヒ(1683~1767)らに丸投げします。


 特にビロンはアンナの愛人だったとも言われ、金にも意地汚い佞臣(ねいしん)として、非常に評判の悪い人です。


 もっとも、彼らは政治軍事において決して無能だったわけではなく、特にオステルマンは、内政においては産業の振興や司法制度の整備を進め、外交では1733~1735年のポーランド継承戦争や、オスマン帝国との1736~1739年の露土(ろと)戦争においてロシアの対外的影響力を高めることに成功するなど、大帝からも信頼されていた辣腕ぶりを遺憾なく発揮します。


 と、まあ良く言えば、出しゃばらずに有能な家臣たちに一任していた、とも言えるのですが。

 政治を家臣たちに任せてアンナは何をしていたかと言うと、西欧文化の導入を積極的に推し進めます。

 母プラスコヴィヤが西欧化にある程度理解があったこと(もっとも、この母娘(おやこ)の仲はあまり良くなかったとの説もあるようですが)、ドイツ語圏に属するクールラントに長く居たことなどから、アンナは西欧の文化に強い憧れを持っていたようです。


 それでアンナは、イタリアなどから劇団や音楽家などの芸術家を招聘したりもしたのですが、彼女にとって芸術家は、敬意を払うべき存在ではなく、ただ自分を楽しませるためだけの存在だったようで、彼らの扱いは道化同然でした。


 彼女の宮廷には、彼女を楽しませるため多くの道化師がおり、1739年には、道化師の一人の結婚式のために、3万ルーブルもの大金を投じて、厳冬期のネヴァ川の上に氷の宮殿を建設します。エルサじゃなくアンナですけどね。


 ちなみに、当時の1ルーブルはいくらぐらいだったのか。

 エカチェリーナ二世時代の教師の年収が、100~500ルーブルだったそうなので、おおよそ1ルーブル=2万円くらいと考えると、氷の宮殿の建設費は約6億円ということになります。


 なんだか、ネロ(37~68)あたりのローマ皇帝の女性版を連想しますね。

 しかもこの当時、ロシアでは凶作や疫病が相次ぎ、農民は大変苦しい状況に(おちい)っていました。にもかかわらず、享楽のために重税を課したというのですから、暴君と評するしかないでしょう。


 彼女は先述の通り結婚して間もなく夫を亡くし、愛人はいたようですが結局子供は生まれませんでした。

 つまり、後継者候補としてはピョートル大帝の娘エリザヴェータしかいなかったのですが、アンナとしてはなんとか父イヴァンの血脈を繋ぎたいと望んでおり、1740年8月に姉の孫イヴァン(イヴァン六世:1740~1764)が生まれると、さっそくこの赤子を後継者に指名、エリザヴェータにも忠誠を誓わせます。


 しかし、同年10月にアンナが腎臓の病で亡くなると、軍の熱烈な支持を得ていたエリザヴェータはクーデターを起こし、イヴァン六世を廃して自ら帝位に就いたのでした。


 アンナが巨費を投じた氷の宮殿は、彼女の死の翌年には溶け崩れてしまったとのことです。



●フリードリヒ大王タコ殴り ~エリザヴェータ(1709~1762)


 というわけで、三人目の女帝、エリザヴェータの時代が始まります。

 ピョートル大帝とエカチェリーナ一世の正式な結婚以前に生まれていた彼女、非嫡出子だと難癖をつけられて中々即位できませんでしたが、軍には非常に人気があり、その支持をバックに、力ずくで帝位をもぎ取ったのでした。


 彼女には婚約者がいましたが、結婚する前に死別してしまいます。

 婚約者の名はカール=アウグスト=フォン=シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ(1706~1727)。デンマーク南部およびドイツ北部に領地を持つホルシュタイン=ゴットルプ家の公子です。


 結婚前に亡くなっているのに何でわざわざ名前を出したかというと、このホルシュタイン=ゴットルプ家、この後もロシア帝室と複雑な関係を持つからです。


 カール=アウグストの従兄にあたるカール=フリードリヒ(1700~1739)と、ピョートル大帝の娘でエリザヴェータの姉・アンナ=ペトロヴナ(1708~1728)との間に生まれたのが、カール=ペーター=ウルリヒ(1728~1762)。エリザヴェータに引き取られ、後にピョートル三世となります。

 そして、ピョートルの妻となったのが、カール=アウグストの妹であるヨハンナ=エリーザベト(1712~1760)の娘・ゾフィー。後のエカチェリーナ二世です。


 さて、エリザヴェータに話を戻します。

 彼女は軍の支持を得てアンナの支持者たちの政権を転覆させました。

 具体的には、イヴァン六世の母で摂政の座にあったアンナ=レオポルドヴナ(1718~1746)や、オステルマンといった人たちです。


 特にオステルマンは、アンナの擁立にも積極的に動いていて、大帝に取り立てられたにもかかわらずその娘(エリザヴェータ)を排斥しようとした彼は非常に恨みを買っており、エリザヴェータは彼に対し、車裂きにした上で斬首という残酷な判決を下します。

 しかし、執行直前になって減刑され、シベリア送りとなってその地で生涯を終えました。


 また、当時まだ生まれたばかりのイヴァン六世は、サンクトペテルブルクから35kmほど東にあるシュリッセリブルク要塞に家族ともども幽閉されました。

 エリザヴェータは、もし彼を救出しようとする動きがあれば殺害するよう命じ、その命令は彼女の死後、エカチェリーナの治世に入った後に、忠実に実行されることとなります。


 こうして女帝となったエリザヴェータでしたが、彼女もあまり政治に熱心なタイプではなく、家臣たちに丸投げします。

 初期にはアレクセイ=ベストゥージェフ=リューミン(1693~1768)、後にミハイル=ヴォロンツォフ(1714~1767)といった人たちの働きで、財政再建、産業振興が進みました。

 ただ、この産業振興策の(もと)で、貴族たちは農奴を労働力とした工場経営などで力をつけることとなり、後のエカチェリーナ二世の国内改革の障害となったりもするのですが。


 外交・軍事面では、フィンランドに侵攻したスウェーデンを撃退し、逆にフィンランド南部の要衝を確保。オーストリア継承戦争(1740~1748年)にも介入しますが、これはあまり得るところなく終わります。


 プロイセンとの関係では、プロイセンが英国と同盟を結んだこと、そして何よりエリザヴェータがプロイセン王フリードリヒ二世(フリードリヒ大王:1712~1786)を嫌っていたことから、1756年のヴェルサイユ条約でオーストリアおよびフランスと結び、いわゆる「七年戦争」において、プロイセンを滅亡寸前にまで追い込みます。


 1759年のクネルスドルフの戦いでは、フリードリヒは乗馬を二度も撃ち倒されて命からがら敗走するほどの大敗を喫し、その後も苦しい戦いが続き、しまいにはイギリスからの戦費援助を打ち切られて、一時は自害すら考えたと言います。

 彼が女嫌いになったのも、むべなるかな。


 そんな状態のフリードリヒに、奇跡的逆転をもたらしたのは……それは次回のお楽しみ(笑)。


 エリザヴェータは非常に派手好みな女性で、しばしば舞踏会を催しましたが、そこでは男性は女装を、女性は男装をさせられました。

 まあ、ご想像通りの地獄絵図なわけですが、そんな中、父親譲りの長身で大層美形だった女帝は、とても男装が似合っていたと伝えられています。

 父大帝にちなんでコサックや船大工の扮装をした女帝の姿は、嫁姑問題で女帝を苦手にしていたエカチェリーナ二世ですら絶賛するほどでした。

 イケメンソムリエな彼女の審美眼に(かな)うくらいですから、よほど似合っていたのでしょう。


 また、エリザヴェータは他人が自分より目立つことに我慢がならず、自分と同じドレスやアクセサリーを他の女性が身に着けることを禁じる命令を出したりしてもいます。

 まさに白雪姫の継母を地で行くかんじですね。


 こんなエリザヴェータさんですが、生涯結婚しなかったのは、結婚前に死別した婚約者のことが忘れられなかったから、という説もあります。意外と純情な一面もあったのでしょうか。

 ま、でも愛人は何人もいたんだけどなっ!


 彼女の、意外と情に厚い――意地の悪い言い方をすれば、その時々の感情に流されやすい一面を語る逸話として、1755年のリスボン地震に際し、当時ポルトガルと正式に国交を結んでいなかったにもかかわらず、涙を流して都市再建のための費用の提供を申し出た、といった話も伝わっています。


 さて、先述の通り、エリザヴェータは姉の子ピョートルを引き取って養育しており、その妻として、亡き婚約者の姪にあたるゾフィーあらためエカチェリーナを(めあわ)せます。


 エカチェリーナの父・クリスティアン=アウグスト(1690~1747)はプロイセンの軍人で、アンハルト=ツェルプスト侯領の主ではありましたが、本来はロシア帝室に嫁入りできるような身分ではありませんでした。

 それでもあえてエカチェリーナを嫁に選んだのは、エカチェリーナの母で中々の野心家だったヨハンナ=エリーザベトの売り込みや、エリザヴェータの亡き婚約者への想いといった要因もあったでしょうが、それともう一つ、母方(エカチェリーナ一世)の実家の後ろ盾がないエリザヴェータにとって、ホルシュタイン=ゴットルプ家を後ろ盾にしたいという意図もあったのかもしれません。


 あと、エカチェリーナが選ばれた理由として、美人過ぎなかったこと、という説もありますが、これはエカチェリーナが不美人だったというよりも、エリザヴェータが美人過ぎたということ……にしておきましょう(笑)。


 エリザヴェータは1750年代の末頃から健康状態が悪化し、立ち(くら)みに襲われるようになります。しかし彼女は薬を飲むことを拒み、彼女の前で「死」を話題にすることも禁じたりもしたのですが、もちろん運命から逃れることはできません。

 1762年1月5日、エリザヴェータはこの世を去り、ピョートル三世が即位することとなります。



 さて、いよいよロシアン女帝一気語りも大詰め。エカチェリーナ二世登場の舞台が整いました。その三も乞うご期待!

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スピンオフ(?)作品もあるよ。
第一弾『ウィルヘルミナのラジオ☆オラニエ』
第二弾『人間椅子』
第三弾『マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか』
第四弾『女帝のお茶会』
第五弾『ハギスと女王と元女王』
第六弾『スルタン未だ没せず』
第七弾『ちっちゃなバイキング』

なろう活動三周年の記念に、かぐつち・マナぱ様よりFAをいただきました~。
どれが誰かはご想像にお任せします(笑)。


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