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女王様はロマンの塊~古今東西女性君主列伝~  作者: 平井敦史


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ンジンガ=ムバンデ(アンゴラ・ンドンゴ王国:在位1624~1663)

 何処(どこ)の誰だよ!? というお声が聞こえてきそうですが、アフリカ大陸南西部、現在のアンゴラの北部を版図としたンドンゴ王国の女王で、植民地化を推し進めようとしたポルトガル相手に抵抗を繰り広げたお方です。

 日本語では「ジンガ」と表記されることも多いようです。


 彼女が生まれたのは1583年。父親はンドンゴの王族のンゴラ=キロンボ=キア=カセンダ(?~1617)という人物で、彼女が10歳の時にンドンゴの(ンゴラ)となります。

 ちなみに、「ンゴラ」は王の称号ですが、これをポルトガル人が国の名前と誤解したことが「アンゴラ」という国名の由来となりました。


 母親は、キロンボの奴隷のケンゲラ=カ=ンコンベ(生没年不詳)という女性。つまり、正室の子ではありませんでした。

 しかし、ンジンガは出生時にへその緒が首に巻き付いていたのですが、そのような困難な出生を生き延びた子供には精神的な恩寵(おんちょう)が与えられると信じられており、またケンゲラがキロンボのお気に入りの側室だったこともあって、ンジンガは父親に目を掛けられていたようです。


 ンジンガは、幼い頃から軍事および政治に関する教育を受けて育ちました。部族伝統の武器である戦斧(バトルアックス)の扱いにも()けていたそうです。うん、中々絵になりますね。

 また、彼女はポルトガル人の宣教師から、ポルトガル語と西洋の知識も教わります。


 この当時、ンドンゴ王国を含む一帯にはポルトガルが進出してきており、ンドンゴもその領地および権益の多くを奪われていました。

 さらに、ポルトガルと手を結んだインバンガラ族という好戦的な部族からも、圧迫されている状況でした。


 そのような状況下で、1617年にンジンガの父・キロンボ王が亡くなり、息子、つまりンジンガの異母兄弟のムバンディ(?~1624)という人物が新たな王となります。

 この時点でンジンガは結婚して子供がいたのですが、ムバンディはその幼子(おさなご)を殺害し、ンジンガと二人の妹に不妊処置を施します。

 ンジンガはンドンゴ王国の勢力下にあった隣国マタンバに逃げて異母兄弟ムバンディから距離を置きつつ雌伏します。


 ムバンディ王はインバンガラと同盟を結ぶことには成功しますが、ポルトガルの侵攻には抗する(すべ)もない状態でした。

 彼は何とか交渉の余地を探ろうと、ルアンダ(現アンゴラ国の首都)に置かれたポルトガルの大使館へ送る使者を人選します。

 そして白羽の矢を立てたのが、王族でありポルトガル語も話せるンジンガでした。


 ンジンガは、西洋の服を着て行ったのでは彼らに屈服したと見られると考え、ンドンゴの伝統的衣装、それも最高級のものを身に(まと)って、ポルトガル大使の元に赴きました。

 大使はンジンガに椅子を用意せず、床に(じか)に座らせてマウントを取ろうと目論みましたが、ンジンガは付き添いの女性を這いつくばらせてその背を椅子にし(!)、交渉に臨みます。


 こうして、外交的駆け引きなんだか子供の意地悪なんだかわからない光景の(もと)、交渉が行われました。


 ンジンガの主張は、ポルトガルに敵対したことは異母兄弟(ムバンディ)の若気の至りでしたごめんなさい、ポルトガルの逃亡奴隷も返還します。その代わり、ポルトガルへの貢納はしません、それとンドンゴ領内での砦の建設も中止してください、というもの。


 ポルトガル側にしてみれば、いささか虫の良すぎる要求じゃないかね、というところですが、ここでンジンガは切り札を切ります。

 それは、キリスト教の洗礼を受け入れるというものでした。

 元々、ポルトガルがアフリカに進出してきたのは、キリスト教の布教のためという建前です。ンジンガはそこにつけ込み、「あんた方の一番の目的を受け入れてやるから、そっちも妥協しろよ」と持ち掛けたわけです。


 そう言われてはポルトガルとしてもあまり強くは出られず、また、彼女を味方につけた方が良いと判断したのでしょうか。

 ンジンガは洗礼を受け「アナ」という洗礼名を授かる代わりに、ポルトガルに彼女の要求を受け入れさせることに成功します。


 こうしてンジンガによるポルトガルとの交渉は成功しましたが、今度はンドンゴとインバンガラの関係が悪化します。

 ついには、ムバンディ王はインバンガラによって、首都カバサ(現在のクアンザ・ノルテ州ンダランド付近)を()われてしまいます。


 ムバンディはポルトガルに支援を求めますが、ポルトガルは、自力で首都を奪還した上でキリスト教に改宗しろ、話はそれからだ、と突き放します。


 その後、ムバンディは自力でどうにかカバサを奪還したものの、ポルトガルに対しては不信感を(ぬぐ)えず、またンジンガも異母兄弟(ムバンディ)に対し、キリスト教への改宗は支持基盤の反発を招きますよと()し、両者の和解を妨げます。


 そうした状況の中、ムバンディは1624年に死亡します。自然死なのかンジンガによる暗殺なのかは不明ですが、彼女は異母兄弟(ムバンディ)の生前に後継者指名を受けていたと主張し、反対派を退(しりぞ)けて王位に()きます。


 その際、当然ながらムバンディの息子の存在が問題となりましたが、ンジンガは甥の後見役となっていたインバンガラ族のカサ(生没年不詳)という男を誘惑し、彼と結婚。

 そして、孤立した甥を殺害します。


 しかし、やはり一族の中からは、女性が王位に就くことに対する反発や、彼女の母親の身分が低かったことから継承の正統性を疑問視する声などが上がり、ンジンガの王権は決して安定的なものではありませんでした。


 一方、ポルトガルとの関係も、一筋縄ではいきません。

 片や、占領された領地の返還を要求。片や、逃亡した奴隷たちの返還を要求。

 傍目(はため)から見れば妥協の余地はありそうにも思えますが、やはり色々事情があったようで、交渉は難航します。


 ポルトガルはソバと呼ばれるンドンゴの貴族層を抱き込んで切り崩しを図ろうとし、一方ンジンガはポルトガルの奴隷たちに逃亡を(そそのか)す、といった具合で、交渉の裏側で双方権謀術数を弄します。

 そしてついに、1626年3月、ポルトガルは反ンジンガ派である王族のキルアンジェという人物と手を組み、ンジンガの王位の正統性を否定。彼女に対し、宣戦布告します。


 勇猛なる女王に率いられたアフリカ戦士たちの軍勢は、しかし残念ながら、銃火器で武装したポルトガル軍には(かな)いません。

 途中、キルアンジェが天然痘に(かか)って亡くなり代わりにノグラ=ハリという人物が擁立されるといった一幕もありつつも、結局ンジンガは逃亡を余儀なくされ、その過程で、彼女を支えてきた二人の妹も、ポルトガルの捕虜となってしまいます。


 ンドンゴを()われたンジンガは、長年に渡って時に対立、時に同盟を繰り返してきた因縁の相手、インバンガラ族に接近します。

 そして、族長の一人・カサンジェ(生没年不詳)という男と結婚し、インバンガラの一員となりました。


 ――そう言えばンジンガさん、異母兄弟(ムバンディ)の子から権力を奪取する際に後見人であるインバンガラの男と結婚してましたが、彼はどうなったんでしょうね? まあ気にせず行きましょう(笑)。


 インバンガラの一員となった、と簡単に書きましたが、これは単に彼らの妻となるだけで認められるものではありません。

 インバンガラの男性は皆戦士であり、成人した若者がひとかどの戦士として認められるには、部族の伝統に(のっと)った過酷な試練(イニシエーション)をクリアする必要があったのです。

 まさに「戦闘民族」としか呼びようのない彼らの試練を、この時すでに四十過ぎの女性であるンジンガは見事クリア。インバンガラの戦士となったのでした。いやはや、すごいおば様ですね。


 こうして、インバンガラの部隊を率いるようになったンジンガは、ポルトガルに対してゲリラ戦を展開する一方、ンドンゴの隣国マタンバに侵攻し、1631年にこれを征服します。

 マタンバの王(こちらも当時女王でした)にとってはとんだ迷惑な話ですが。


 マタンバの女王となったンジンガは、奴隷貿易を拡充し、軍資金を稼ぎます。


 おいおい、ちょっと待ってよ、とお思いかもしれませんが、実は彼女、奴隷貿易自体は必ずしも否定していないんですよね。

 そもそも、彼女の母親からして奴隷でしたし、当時のンドンゴおよびマタンバの社会そのものが、奴隷制の上に成り立っていました。

 前話のヴィクトリア女王の回でちらっと触れたアシャンティ王国(現在のガーナ内陸部)なども、奴隷貿易で稼いでいたようですし、「アフリカ=奴隷狩りの一方的な犠牲者」という単純な構図ではなかったのです。


 で、この奴隷貿易の相手となったのが、新たにこの地に進出してきていたオランダでした。

 1641年、オランダの西インド会社はコンゴ王国と同盟を結び、ルアンダを占領してポルトガル人を追放します。

 ンジンガは早速彼らと同盟を結び、その援助を得てンドンゴの大部分を奪還することに成功しました。


 しかし、ポルトガルの勢力を完全に払拭(ふっしょく)するには至らず、またオランダ西インド会社がブラジルを巡る争いで敗退したことなどもあって影響力に(かげ)りが見え、1648年にはルアンダをポルトガルに奪還されてしまいます。


 それでも、ポルトガルが内陸部に勢力を伸ばすことはかろうじて阻止。1651年頃からは双方和平の道を模索し始めます。

 交渉は紆余曲折の末、1656年にようやく成立。

 その後、ンジンガはキリスト教および西洋文化を積極的に取り入れ、国内の発展に尽力しました。

 そして1663年12月17日、約40年間に渡ってンドンゴの女王として君臨し続けたンジンガは、肺炎によりこの世を去ります。


 後継者となったのは、彼女とともに戦い、一時はポルトガルの捕虜となりつつも苦楽を共にしてきた妹の、ムカンブ=ムバンディ(洗礼名バーバラ:?~1666)でした。



 かくして、ポルトガルと戦い抜いたンジンガは、今日(こんにち)のアンゴラで民族の英雄と称えられているのですが……。先に触れたとおり、彼女は奴隷貿易を否定してはいないんですよね。


 彼女の評価について、Wikiの各国語版(もちろん、Google翻訳さんのお世話になってますよ)を読み比べてみると、まあ中途半端な訳しかけの日本語版はともかくとして、英語版やポルトガル語版では、民族の英雄としておおむね肯定的に記述されています。


 ただ、ドイツ語版だけは、ジョセフ=C=ミラーという人の主張として、ンジンガ自身も奴隷貿易で富を得ており、彼女がポルトガルと闘ったのは所詮は奴隷貿易の権益の奪い合いでしかなかった、と断じています。


 だからと言って、国の独立を賭けた彼女の戦いを全否定してしまうことも躊躇(ためら)われるのですが、少なくとも、今日的価値観から彼女を民族解放の闘士として過度に美化することには、慎重になったほうが良いのかもしれませんね。


 ちなみに、ンジンガに関しては猟奇的な「伝説」も残っています。


 (いわ)く、人肉を好み、毎日何人もの人間を殺して喰っていたとか。

 曰く、とある村人が粗相(そそう)をしたことを(とが)め、その村の住民全員を巨大な石臼(いしうす)()き潰して生き血を(すす)ったとか。

 曰く、屈強な男たちを殺し合わせ、勝った方に夜伽(よとぎ)をさせて、朝になったらそちらも殺してしまうだとか。


 歴史上のあることないことを、露悪(ろあく)趣味的に紹介した本などに載っているようなので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。


 これがそのまま事実だったと信じる方はさすがにいらっしゃらないと思いますし(いらっしゃいませんよね?)、まあ普通に考えればポルトガルによるネガティブキャンペーンで拡散され、西洋人のアフリカに対する偏見の中で肥大化していったものなのでしょうが――。


 ンジンガの実態は、民の目線で見れば決して英雄でも名君でもなく、そんな彼女に対する民衆の怨嗟(えんさ)の声が、極めていびつな形で残った、という考え方もできるかも?


 そういう意味では中々興味深いですね。



 まあそれはそれとして、あくまで創作の上での話として考えるなら、強大な敵国の侵略に敢然と立ち向かう英雄女王の裏の顔は、残虐で淫蕩な暴君、というのは燃えるシチュエーションです。

 あるいは逆に、色々怖い噂がつきまとっているけれど実は魅力的な女性で……って、これ男女逆にしたら異世界恋愛カテでお馴染みのパターンだわ。

『人食い淫乱女王のところに婿入りすることになり、美味しくいただかれてしまいました』とか。はい、ノクタ行き不可避ですね(笑)。


 というわけで、次回は「暴君」な女王様たちを三人ほどまとめて取り上げます。題して「暴君詰め合わせ」。乞うご期待!

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スピンオフ(?)作品もあるよ。
第一弾『ウィルヘルミナのラジオ☆オラニエ』
第二弾『人間椅子』
第三弾『マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか』
第四弾『女帝のお茶会』
第五弾『ハギスと女王と元女王』
第六弾『スルタン未だ没せず』
第七弾『ちっちゃなバイキング』

なろう活動三周年の記念に、かぐつち・マナぱ様よりFAをいただきました~。
どれが誰かはご想像にお任せします(笑)。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  いや~。めっちゃ強烈な方ですね。戦斧(バトルアックス)を武器に戦う女王様……凄い! [一言]  ンジンガ女王様の行動を今日的な価値観でどう考えるかはともかく、まずは「ロマンだ!」と感じち…
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