総長戦記 0096話 沈鬱
1941年12月 『日本 東京 海軍省』
「なぜだ……」
「どうしてこんな事に……」
海軍省の空気は暗かった。
まるでお通夜だった。
原因は陸軍にある。
満州の黒龍江省で大規模な油田が発見された。
それも陸軍の主導でだ。
何年も前から満洲で石油の探索を主導して来た海軍としては面目丸潰れである。
更に陸軍燃料廠ではオクタン価100の航空機用ガソリンの生産に成功したとの報も入って来た。
何年も海軍が研究して来て未だ達成していないオクタン価100のガソリンをだ。
陸軍は外国から技術を購入したとは言え、先を越された事に変わりはない。
これも海軍の面目丸潰れである。
陸軍は満州の油田を「大慶油田」と名付けた。
閑院宮総長が名付けたらしい。
大慶油田の近辺には陸軍の主導で大規模な製油所を複数造る計画が進められている。
日本は既に自力で製油所を建設する技術力は持っている。
1935年に稼働した満洲石油の大連製油所や、1936年に稼働した朝鮮石油の元山製油所は日本人技師の設計であり製作だ。
大慶油田の製油所はそれらを遥かに超える規模になるらしい。
海軍の者は知らない事であったが、日本国内に製油所を増やすのではなく大慶油田近辺に製油所を建設する事になったのは、閑院宮総長の強い意向があったからである。
閑院宮総長は多くを語らなかったが、その理由は大きく分けて二つあった。
コストと環境問題である。
大慶油田の原油は流動点が高い。つまり固まりやすいという性質を持つ。そのため原油のまま運び日本で精製するのには、それ相応のコストをかけて輸送手段を整えなければならない。
しかし、大慶油田の近辺に製油所を建設すれば、輸送手段に改めてかけなければならないコストを削減できる。
実際、史実における後世の中華人民共和国でも大慶油田近辺に複数の大規模な製油所を建設して原油を精製している。後にはパイプラインを建設したりもしているが、主要な精製は大慶油田近郊の製油所で行っていた。
元々日本にある製油所の能力では大慶油田から産出される予定の原油を処理しきれない。
そうなると新たな製油所を建設しなければならない。
国内で製油所を建設すると建設業社は仕事が増えるし作業員相手の商売も賑わう事になる。
製油所が完成した後は雇用も生まれるし、周辺では製油所で働く労働者を相手にする商売も活性化する。
一見、良い事ばかりのように見える。
しかし……
工業の発達はその裏で公害問題を発生させて来た。
史実における後世、戦後における日本の高度経済成長期という光り輝く時代の影では、多くの人々が公害問題に苦しめられた。
「四日市ぜんそく」「水俣病」「新潟水俣病」「イタイタイ病」からなる四大公害病はその代表例だ。
この中の「四日市ぜんそく」は、四日市石油コンビナート、中でも製油所の出す排気ガスによる大気汚染で数千人の市民が喘息に苦しめられたという公害病である。
こうした例は他にも「川崎公害ぜんそく」という例がある。
日本政府は公害対策基本法を制定して、公害被害をできるだけ抑えようとした。
大気汚染防止法や水質汚濁防止法などもでき、後にはそれらの法も改正され、公害に対しより厳しくなっている。
1971年には環境庁が設立され、1993年には環境基本法が成立した。
現代の日本の製油所が、排気ガスと排水の処理に煤煙処理システムと排水処理システムを設置し、できるだけの環境汚染対策を施しているのは、こうした法律や過去の例があるからに他ならない。
現代の日本のように環境汚染を防ぐ法律と環境負荷低減技術が発展したその裏には、多くの一般市民が苦しめられてきた歴史がある。
製油所から出される排気ガス、排水、廃棄物は有害だ。
現代日本のように環境負荷低減技術が発展し環境汚染を減少させる事が可能ならばよいが、1940年代の技術ではそれを望むのは無理だ。
今回の歴史において日本は今の所、大戦には参加しておらず中立であり、その立場故に戦争特需が発生してかなりの利益を得ているし好景気に沸いている。
そこから生じる利益を工業化推進にあてているのが現状だ。
何れはその反動で公害問題を生じさせるだろう。
大慶油田を発見したからと言って、日本国内に複数の製油所を建設すれば、更に公害問題を悪化させる事になるのは必定だ。
大気は汚染され光化学スモッグが頻繁に発生し海は汚水で汚染される。
現代日本の今では少なくなったが、昭和の時代はテレビの天気予報で光化学スモッグの注意報がよくでていたものである。
日本の公害問題の中で「横浜方式」と言われるものがある。
これは地方自治体が企業と協定を締結して公害被害を抑制する方式の事だ。
神奈川県の横浜市が先駆けとなったので「横浜方式」と呼ばれている。
その横浜市の横浜市公害センターが1964年から1966年にかけて発行した「公害問題」という全6巻の横浜市における公害問題関係の文献がある。
その第2巻「根岸・本牧工業地域の公害問題について」の中に次のような一文がある。
「(公害問題の根本的対策は、もともと本牧・根岸湾の埋立造成、ならびに進出企業、とくに公害問題を発生する石油精製や火力発電関係会社の進出を防止するところから始めなければならなかった……」
やはり根本的対策は造らない事である。
閑院宮総長は日本の空が大気汚染で曇り、日本の海が過度の有害物資で汚染される事を好まない。
それは日本国民に不幸をももたらす。
日本の工業化は必然の流れであり、経済発展の為には必要でもある事から、それを止める気は無いが、現時点ではある程度の抑制は必要だと考えていた。
それ故の満洲での製油所建設である。
海軍省では多くの者が陸軍が主導して石油を握る事に憮然としていた。
このままでは海軍は大慶油田で生産された重油を使うようになるかもしれない。
安くて良質な重油が供給されるなら使うしかない。
まさか近くに安く入手できる重油があるのに遠方の外国から重油を購入する事など税金の無駄遣いとして許される筈もないし政府も許さないだろう。
だが、それでは重油について陸軍の影響を大きく受けるという事になり、陸海軍間の政治的駆け引きの道具に使われるかもしれない。
今や重油は海軍には欠かせない重要な戦略物資だ。
それを陸軍に握られるのは面白くない。
業腹だ。
不愉快だ。
満州で海軍主導の石油探索は続けられている。
大慶油田に続く大規模な油田が発見できればいいのだが。
満洲石油には急ぎアメリカで反射式探鉱機を購入するよう指導した。
石油探索についても秘密主義は取り止めている。
陸軍が大慶油田の発見を公表したからだ。
陸軍の言い分は石油の生産が始まれば隠し通せるものではないのだから、秘密にするだけ無駄であるというものだ。
大慶油田の発見は日本の経済にとり良き効果を齎すかもしれない。
それをわかっていても陸軍の後塵を拝するのは不愉快だ。
何もかも陸軍の思い通りに動いているようで面白くない。
だが……
今の所、打開策が無い。
陸軍の奴らめ……
それが海軍省における主流の考えであった。
陸海軍の確執は深くその対立構造は根深い。
史実でも今回の歴史でもそれは変わらなかった。
【to be continued】




