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総長戦記 0095話 成功

 1941年11月初旬 『日本 陸軍岩国燃料廠』 


「やりました! オクタン価100です!」

「成功だ!!」

「遂にやったぞ!」

「早速、総長にご報告申し上げなければ!」


 この日、陸軍岩国燃料廠において、国産装置を使用しての初のオクタン価100の航空機用ガソリンが生産された。

 

 日本はオクタン価の高いガソリンを製造する技術を持っていなかった。

 当然、それを外国に求める事になる。


 オクタン価の高いガソリンを製造する技術では既にアメリカにおいて、フードリー方式が確立されており、1939年の時点でアメリカ軍に高オクタン価のガソリンを大量に供給していた。


 だが史実において日本はアメリカからフードリー方式のライセンス権を取得する事なく終わっている。

 取得の努力はしていた。

 1939年に東亜燃料工業が動いていた。


 東亜燃料工業は民間の石油会社を統合して作られた主に航空機用燃料を製造する国策会社であり、陸軍、海軍、政府の影響力が強い会社だ。

 東亜燃料工業としてはアメリカで既にオクタン価の高い航空機用ガソリンをアメリカ軍に供給している実績を持つ、フードリー方式の取得を目的として、その特許権を持つバッジャ―社とライセンス権と装置の購入について交渉していた。


 しかし、日本の内部が纏まらなかった。

 海軍ではフードリー方式とは別のUOP社のUOP方式に目を付け、それを独自に模倣して「九六式水素添加装置」とそれに続く「九八式水素添加装置」を開発していた。その為、フードリー方式の取得には消極的だった。

 陸軍でも日本揮発油株式会社を通してUOP方式の設備を購入しようとしていたのである。

 また軍内にはフードリー方式のライセンス権を得る事で逆に日本の情報が洩れる事を不安視する者達もいた。ライセンス権を得れば、年間にどれだけの量を生産したか取得先の企業に報告せねばならないからだ。

 それにバッジャ―社はライセンス権と装置に高額の価格を提示して来た。

 実際にその購入資金を出すのは日本政府となる。高額な出費は大蔵省も渋い顔をする。

 こうした事からフードリー方式の取得について、陸軍、海軍、商工省燃料局、大蔵省との間での話し合いが持たれたが、それが揉めに揉め長期化した。


 その間に日米政府間の関係も日華事変以降急速に悪化していた事から悪い方向へと進んでいく。

 そして日本がフードリー方式を取得する前に、その技術はアメリカの経済制裁の対象に入り入手できなくなってしまったのである。UOP方式も同様だった。

 もし、日本政府が速やかにフードリー方式の取得を決定していたら、日本は日米開戦の2年も前に高オクタン価のガソリンを製造する技術を入手できていただろう。それが史実だ。


 しかし、今回の歴史においては、日華事変が早期に終結した事や、日本がドイツとイタリアとは同盟を組まず距離を置いていた事から日米間の関係は悪化しておらず、更には閑院宮総長がフードリー方式の取得を後押しした事から海軍の反対はあったものの史実とは大きく違い、速やかにフードリー方式のライセンス権と装置を取得したのである。


 そして陸軍岩国燃料廠において輸入したフードリー方式接触分解装置により精製されたガソリンを元にして、オクタン価100の航空機用ガソリンが生産される。

 更にはフードリー方式接触分解装置自体もコピー生産され、今日、その初めて国産化された装置により、オクタン価100の航空機用ガソリンが生産されたのである。


 史実では実現を欲して止まず、しかし遂に得られなかったオクタン価100のガソリンが、この歴史では日本の物となったのである。


 しかもフードリー方式は原油の性質に然程、影響されない。

 つまり大慶油田の原油からでもオクタン価の高いガソリンが生産できる事になる。


 史実における第二次世界大戦後、中東の油田から生産される原油が世界の石油消費量で大きな割合を占める事になった。

 だが、その原油はパラフィン基原油とナフテン基原油の中間の性質たる「混合基原油」と呼ばれる物だった。この原油もオクタン価は低く、従来の方式ではとてもオクタン価の高い航空機用ガソリンは生産できない。


 しかし、接触分解方式はそうした原油の性質に然程、影響されない為、中東の混合基原油であってもオクタン価の高い航空機用ガソリンを生産できた。

 それ故に中東の石油は世界中で輸入され使用されたのだ。


 従来の石油精製は簡単に言えば蒸留と分離であり原油の質に大きく左右された。

 しかし、フードリー方式やその後に登場する流動床式接触分解方式などの接触分解方式は触媒を利用した化学反応であり、それが戦後におけるガソリンの大量消費時代を支える事になるのである。



 総長は陸軍省と政府に影響力を発揮し、大慶油田の近辺に大規模な製油所を複数建設するよう働きかける。

 更にフードリー方式接触分解装置のコピー生産にも力を入れるよう働きかける。


 これにより、史実において常に問題だった日本の石油エネルギー問題やオクタン価の問題は、この歴史では解消されていくことになるのである。


 【to be continued】

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