総長戦記 0093話 爆発
1941年10月 『インド インド総督府 総督室』
「誰だ発砲命令を出したのは!! 私は許可してないぞ!!」
インド総督であるリンリスゴー侯爵が手のひらで机を叩き大声をあげた。
その剣幕に机の前に立っている3人の補佐官は竦み上がる。
ガンジーがインド人民衆と共にイギリス軍に射殺されたとの一報が入って来た。
それに続きガンジーが殺された事にインド人達が怒り各所で暴動を起こし、それが拡大しつつあるという続報も入って来る。
「何という事だ……」
総督は椅子から立ち上がり、再び机を殴りつける。
怒りがおさまらない。
「何という事をしでかしたのだ! よりにもよってガンジーを殺すとは!」
補佐官達は表情をこわばらせて直立している。
総督がこういう時は下手に口出ししない方がいいとわかっているので、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待っている。
以前、このように怒り狂った総督を宥めようとした他の同僚が、可哀想に総督から八つ当たりされてさんざん罵倒されたのを見た事があるからだ。
暫く感情を爆発させていた総督だったが、そのうち落ち着きを取り戻し大きく息を吐いた。
史実における後世、リンリスゴー侯爵の評価はあまり高くない。
第二次世界大戦においてインドをイギリスの役に立てるにあたり、必ずしもうまくいったとは言えなかったからだ。
リンリスゴー侯爵の施政にインド人達が反発した事からイギリス本国から特使が来て、改めて戦争協力を要請しているぐらいである。
だが、第一次世界大戦というインドの民衆を裏切った前例がある以上、誰が総督をつとめていようと、インドをイギリスに協力させるのは非常に難しいものとなったであろうし、リンリスゴー侯爵と同じ結果になったとしても不思議ではない。驚くべきものでもない。
この当時のインド総督の立場は、誰がやったとしても難題この上ないものだったのだ。
史実の後世において評価の低いリンリスゴー侯爵ではあったが、ガンジーという人物を亡き者にしようとした事はなかった。
暴力を否定しながらも抵抗運動を展開する厄介者のガンジーに危害を加えれば、インドの民衆がどういう反応を示すかは火を見るよりも明らかであり、それがわからないほど、リンリスゴー侯爵は無能ではなかった。
しかし、そのあってはならない事が起きてしまったのである。
「こうなっては仕方がない。治安部隊を総動員して暴動を鎮圧するんだ。急げ!
それと発砲命令をだした馬鹿者をここに連れて来い!」
「「「はっ」」」
補佐官達が一礼して急ぎ足で部屋を出て行く。
その姿を見ながらリンリスゴー侯爵は崩れるように椅子に座り込む。
その顔には苦りきった表情が浮かびあがっていた。
これから起こるであろう治安部隊とインド人の衝突で多量の血が流されるだろう。それはますますインド人を戦争協力に向かわせる事が難しくなるという事でもある。
それを考えるとリンリスゴー侯爵は暗澹たる気持ちにならざるをえなかった。
そのリンリスゴー侯爵の判断は適中する。
暴動は徐々に広がり大きなうねりとなっていく様相を見せ始めるのである。
史実では1942年8月にインド人の政党「国民会議」が、ガンジーの提案を受けて「クイット・インディア(インドから出ていけ)決議案」を採択し、イギリス人がインドから出て行く事とインドの独立を求めている。
しかし、その決議案が採択された数時間後には早くもインド総督府は動き、ガンジーをはじめとして国民会議の主要メンバーを逮捕する。
その逮捕に憤った国民会議派のインド人達は、逮捕された者達の即時釈放を求め、最終的には暴動を起こすのである。
それが「八月蜂起」と呼ばれた事件であり、この蜂起において、多くの破壊行為がなされている。
郵便局、警察署、駅などが放火されたり襲われた。
駅だけでも318駅が破壊されている。
鉄道も破壊され59件もの脱線事故が発生した。
電話線も約12000ヵ所で切断される。
各所でストライキやサボタージュも続発している。
治安部隊の発砲により死傷した者は2500人を超え、逮捕された者は6万人以上にもなった。
正にインドは揺れていた。
もし、この時、日本軍がインドに対し行動を起こしていたらどうなったであろうか。
特に日本軍には開戦初頭にマレー半島で得たインド兵捕虜から編成された「インド国民軍」があった。
その兵力は2万を超えている。
武器ならイギリス軍から押収した物が大量にあった。
インド独立の為に日本軍と共に戦う事を選んだ「インド国民軍」を陸路、もしくは海路カルカッタに向かわせ、それが成功していれば、インドの状況は更に大きく動いたかもしれない。
実際、チャーチル首相はこの時、カルカッタ方面に日本軍が進出してくれば防ぎきれないかもしれないとの懸念を抱いている。
この頃のインド方面は、複数の戦線を抱えるイギリスにとり一番優先度の低い戦線とも言え、戦闘機等でも最新鋭機が配備されるのは最も遅く、イギリスから送られてくる他の兵器や軍需物資も不足しがちだった。インド洋では終戦直前まで輸送船を守る護衛艦が不足していたぐらいである。
しかし、残念な事に丁度同じ頃、ガダルカナル攻防戦が始まってしまい日本軍の目はソロモン諸島に向かい、以後、その方面に陸海軍共に兵力を注ぎ込んでいく事になってしまうのである。
ただし注意すべき点はインドの全人民が反英的であったわけではない事である。
インドには大小563もの土候国があった。その人口は9300万人に及び、インドの全人口の24%を占め、土地の面積は全インドの40%も占めていた。
こうした土侯国はイギリス政府と直接、条約を結び、イギリスを宗主国として外交、軍事、鉄道等の権利を任せ、その代わりイギリスから権力を保障されるという関係で結び付いていたのである。
そしてインドにおけるイギリス軍への主要な兵士の供給地となったのが、これらの土候国だった。
戦争に兵士を供給し権力を維持していたとも言える。
ただし、徐々にこれらの土侯国でも民衆による抵抗や反英運動が増え始めていた事も事実である。
なお、インド共産党では国際的見地から、まずはファシズム国家を打倒するべきだと主張し、大戦中は反英運動には否定的だった。
それにイスラム教徒のムスリム連盟はヒンズー教徒主体の国民会議とは常に対立しており、「八月蜂起」の時も立ち上がる事はなかった。
反英運動に力を注ぐ国民会議の内部にも幾つかの会派があり穏健派もいれば過激派もいて、必ずしもその意思が全て統一されているわけでもなかった。
その国民会議の主要メンバーであり、インド独立の指導者の一人であり、独立を達成したインドの初代首相となったジャワハルラル・ネルーは、史実において1944年に日本軍がインパール作戦を行いインドに接近中なのを知ると、日本軍に対する抵抗運動を行おうとしている。
いかなる犠牲をも恐れずファシスト国家の侵略には抵抗すると叫びインドにおける焦土戦術とゲリラ戦を提唱していた。
インドの内部は混沌と言ってもよいぐらいの複雑な様相をしていたのである。
その為、日本軍単独でのインド侵攻作戦が行われた場合はどう転ぶかわからない。
陸軍参謀本部もそれを理解していた為、インドへの早期侵攻は慎重だった。
それに「インド国民軍」を前面に押し出し作戦の根幹に据えるという考えも上層部にはなかったのである。
今回の歴史では史実の「八月蜂起」より10ヵ月も早くインドは大きく揺れ始めた。
マハトマ・ガンジーという偉大な人物の死が時代をインドを揺れ動かそうとしている。
多くのインド人が街に出て拳を振り上げて叫んでいる。
「クイット・インディア(インドから出ていけ)!!」
「ジャイ・ヒンド(インド万歳)!!」
そして熱く燃え上がる群集は警察署、郵便局、駅、役所に雪崩れ込んだ。
その動きは暴動は徐々にインド全域に拡大していく。
その裏には藤原岩市中佐を指揮官とする工作機関「F機関」の活動もあった。
閑院宮総長よりインドでの謀略作戦を指示されてから実に3年。
その藤原岩市中佐の「F機関」はインド奥深くに根を張る事に成功していた。
この時代、マレー、ビルマ、インドシナ等の東南アジアには200万人を超えるインド人がおり、その中には祖国インドの独立を強く願っている者もいる。
「F機関」は各地でスカウトしたドイツ系非合法工作員をそうした東南アジアにいるインド独立派と接触させて組織化を行い、更にそうしたインド人達の伝手を使いインド内部の独立を主張する過激派と接触する事に成功し武器と資金の援助を行っていたのである。
そして今回ガンジーの死により発生したこの暴動を利用して、反英武力闘争に立ち上がったインド人達に日華事変で鹵獲した武器と偽造ポンドや偽造ルピーを与えたのである。
それらの武器と軍資金が流通した事により、インドでの騒乱は拡大の一途を辿った。
これにより、史実よりも多くのイギリス軍がインドの地に治安部隊として張り付けられる事になり、インドからの人的・物的資源の供給も低下する事になる。
ただし「F機関」の工作が全て成功していたわけではない。
イギリスとて無能者の集まりではない。だから長年インドを支配している。
イギリスは以前よりインドに「FB機関」という諜報機関を設置し、インド内の反乱分子に対する諜報活動をしており、それによりこれまで多くの破壊工作や叛乱行動を潰して来た。
それは今回の歴史でも同様であり、「F機関」の工作も少なからぬ数を潰され犠牲を出している。
表には出ない裏の世界では熾烈な攻防戦が繰り広げられていたのだった。
なお、インド総督府はガンジーを死亡させた部隊を特定できず、発砲を命じた指揮官もわからず仕舞いだった。
それもその筈、ガンジーを死なせたのは閑院宮総長直属の工作員部隊であり偽のイギリス軍だったのである。
その事は「F機関」でさえ知らされていない。
閑院宮総長の手は世界中に伸び広がっている。
その全容を知る者は極、限られた者だけであった。
【to be continued】
【筆者からの一言】
ニューヨークでの核テロでイギリスへの物資輸送が多大な影響を受けているのに、ここでインドまでもがこの状況。イギリス、ピンチです。




