総長戦記 0080話 急落
1941年8月第4週以降 『アメリカ』
アメリカで株価が急落していた。
ボストン、フィラデルフィア、ボルティモア、シンシナティ、クリーブランド、ニューオリンズ、ビッツバーグ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、デトロイト等の各証券取引所で株価が急落していた。
それは1929年のウォール街の株価大暴落の再現だった。
いや、それを超えた大暴落だった。
ニューヨークの惨事も最初は状況が判然としないため、株価もある程度乱高下する程度だった。
しかし、ロバート・キャパの写真によってニューヨークの惨劇の実態が多少なりとも明らかになると、株式市場が反応し猛烈な株価の下落が始まった。
果てしがなかったと言ってよい程の下がり方だった。
売り手が殺到した。株式市場の流れは売り売り売りの一点張りで、買い支え等とてもできるものではなかった。
証券取引所は一旦閉鎖され、そこでの取り引きはストップした。
しかし、株式仲買人間の取り引きまでは規制できない。
水面下において株式仲買人間では下落した株の取り引きが続けられていた。
それにいつまでも証券取引所を閉鎖しておく事もできない。
ある程度日数を置いてから証券取引所も再開されるが、規模の大きすぎるニューヨークの惨劇に株主達が平静を取り戻したり、落ち着きを取り戻したりする事などできよう筈もなかった。
結局、株は売られ株価は下がる一方である。
1929年のウォール街の株価大暴落では多くの大口投資家が大損をしている。
一般投資家が資産を失っている。
そして多くの企業が倒産に追い込まれている。
それが再び再現された。
だが、この株価急落の中でも大きな利益を上げた者もいた。
その代表が何人かの南米のドイツ系の投資家達であり空売りを仕掛けていた者達である。
南米の投資家達はある程度、株価が下がった所で株を買い戻し莫大な利益を上げる。
そして純粋な買いに転じた。
買われた株の企業は多種多様であらゆる分野に及ぶと言ってもよかった。
それとは別にここに来て新たに3人の投資家が登場する。
それぞれが中西部、南部、西海岸を拠点とし株を大量に購入しだしたのである。
それは計画的なものだった。
この投資家達は、まずそれぞれの地域で幾つかの黒字経営の企業と赤字経営の会社の株を購入した。
そこに南米の投資家達が購入していた同じ企業の株を株式仲買人を通じてこの者達に売却したのである。
その結果、あっと言う間に企業の議決権を握るほどの株を保有する事になる。
俗に言えばそれは企業の乗っ取りだった。
そして大株主となった投資家達はニューヨークの惨劇が招いた株価の下落も一旦は底をついたと思える頃に新たな動きに出る。
企業の合併である。
それも黒字の企業と赤字の企業の合併である。
企業が赤字を出した場合、それを数年間は繰越欠損金として維持し、後に黒字が出た場合でも通算処理して節税できる仕組みがある。
黒字の企業と合併した場合も同じく、赤字(繰越欠損金)で黒字を抑えて税金を減額できる仕組みがある。
この黒字の企業と赤字の企業の合併により多額の税控除という恩恵を受ける事になった新会社に対し株式市場はその新会社の株の値上がりという反応を見せた。
だが、それだけでは合併は終わらない。
最初に合併した企業は、その後も次々と多種多様な業界の企業との合併を繰り返す。
運送会社、鉱山会社、製造会社、金融会社、食品会社等々あらゆる分野の企業を買収し合併を繰り返す。
現代なら難しかったかもしれない。
しかし各種の法や規制の緩いこの時代ならそれは可能だった。
そして姿を現したのは中西部、南部、西海岸にそれぞれ拠点を置く三つの巨大な複合企業である。
ボルチモアの株式仲買人ダニー・ウォッターズは呆然としていた。
中西部に新たに出現した巨大な複合企業の登場に一役買ったからである。
一役とは言っても取り引き相手はただ単に自分を通して株の売買を行っただけである。
利用されただけだ。
合法的に。
持ちつ持たれつでしかない。
しかし、その取り引きで売買された株式は莫大だった。
自分が過去に扱って来た全取引に匹敵するどころか軽く超えているかもしれない。
取引手数料だけでも莫大な額になった。
買える。
買えるかもしれない!
息子の大学費用は軽く稼げた。
それどころかアレも買えるかもしれない。
去年ニューヨークで開催された万国博覧会に家族で行った。
その時、展示されているのを見て一目で欲しくなったアレが。
アレが買えるかもしれない!
あのリンカーン・コンチネンタル・カブリオレが!
リンカーン・コンチネンタル・カブリオレ……大手自動車メーカーのフォード社傘下のリンカーン社が製造する高級車である。
上流階級の人達に好まれている。
ダニー・ウォッターズは思う。
これもニューヨークの惨劇により株価が乱高下した結果だ。
ニューヨークの惨劇に会った人達には同情する。
義援金を出そう。
だが人は喜びが無くては生きていけない。
それに正当に稼いだお金なのだ!
その細やかな報酬で車を買って何が悪い!
いや悪くない!
この後、ダニー・ウォッターズはこの年生産された最新の41年型のリンカーン・コンチネンタル・カブリオレを購入する。
史実における生産台数は僅かに400台しかない高級車である。
しかし、今回の歴史では3ヵ月も早くアメリカが第二次世界大戦に参加する事になった煽りから生産台数は減り、300台しか製造されない事になる。
この車を入手した時、ダニー・ウォッターズは車に頬ずりして喜んだ。
それを見て奥方は呆れていたという話である。
その喜びのせいか、ダニー・ウォッターズはニューヨークの惨劇前に自分の顧客が不審な空売りをしていた事はすっかり忘れてしまい、記憶の彼方に忘却するのだった。
【to be continued】




