総長戦記 0073話 同胞
【筆者からの一言】
当然、同胞も皆殺しになっていた。
1941年8月第4週以降 『日本』
ニューヨークの惨劇の犯人をドイツに擦り付ける事に成功した日本、いや、閑院宮総長であるが、日本に被害が全く無かったわけではないし、それなりに影響も受けている。
直接的な被害としては、まずニューヨーク在住の日本人及び日系人である。
アメリカ最大の都市であったニューヨークには当然の事ながら多くの外国人も住んでおり、その中には勿論、日本人及び日系人もいた。
ニューヨークには日本の領事館もあったし、約1000人の留学生や日本企業の社員達、移民として渡米し労働者と働いていた者達等、日本人及び日系人は5000人以上も住んでいたのである。
彼ら彼女らも「ウラン爆弾(原子爆弾)」の犠牲となり誰一人として助からなかった。
まさに閑院宮総長は日本人同胞諸共、ニューヨークを殲滅したのである。
アメリカ人の犠牲者に比べれば5000人という人数は少ない。
しかし、だからと言って無視しえる犠牲ではなかった。
そもそも日本人が同胞の日本人を5000人以上も大量に殺害した出来事は、1877年(明治10年)の「西南の役」以来の事である。
これは士族の反乱を政府軍が鎮圧した戦争であり、双方合わせて1万2000人以上が死んでいるが、これは主に戦った兵士達の死であり、民間人が一方的に虐殺されたわけではない。
政府側には反乱鎮圧という大義名分があり、当然、合法的な行動である。
しかし、ニューヨークを殲滅した閑院宮総長の行動には合法性は一切見られない。
政府に許可なく極秘裏に開発した「ウラン爆弾(原子爆弾)」を、これまた政府に内密に己が独断で使用したのである。
これは日本政府に対しても、陛下に対しても、軍人にあるまじき完全な犯罪行為であった。
だが、それを咎める者は政府内にはいない。
誰も知らない事だからである。
それに同胞を含む民間人を大量虐殺した事も国際法からすれば完全な犯罪行為である。
しかし、それを咎める政府や国もない。
誰も知らない事だからである。
しかも、その大量虐殺という人道的に許されざる犯罪行為をドイツの仕業に見せ掛け、罪を擦り付けたのである。
まさに卑劣で残虐非道な完全犯罪であった。
日本において5000人の命が一度に失われる事は近年ではそうそうある事ではなかった。
日本が昭和の時代に入ってから1941年までの間において、戦争や疫病以外の災害で1000人以上の死者を出した事は4回しかない。
1927年(昭和2年)3月7日「北丹後地震」約2700人死亡。
1933年(昭和8年)3月3日「昭和三陸地震」約3000人死亡。
1934年(昭和9年)3月21日「函館大火」約2100人死亡。
1934年(昭和9年)9月21日「室戸台風」約3000人死亡。
ニューヨークの惨劇は外国での事件ではあったが、昭和に入ってから最も多くの日本人が一度に死した大惨事だった。
この時点において、ニューヨークの惨劇が「ウラン爆弾(原子爆弾)」によるものとの情報は日本には入って来ていない。
その為、1934年(昭和9年)3月21日に北海道の函館で発生した大火災「函館大火」のような災害がニューヨークで生じたものと推測されていた。
「函館大火」では、とても風の強い日に火災が発生し、消防の放水も風で吹き散らかされ全く役に立たず、飛び火も起こり被害が拡大した大火災である。
被災者は9万2000人にものぼり、数万人が避難所暮らしを余儀なくされた。
日本の新聞各社は、過去の日本のそうした事例と今回の事件を重ね合わせ、ニューヨークの惨劇に「ニューヨーク大火」と名前を付け報道している。
5000人の命が失われた事は当然の事ながら亡くなった本人やその家族、友人知人にとって非常な悲劇であった。
アメリカで色々な分野を学び将来は日本に貢献する筈だった多くの留学生が亡くなった事は日本という国にとって不幸な出来事だった。特にこの時代、留学できる者は限られていたし、それ故に優秀な者が殆どだった。現代のように猫も杓子も留学できるような時代とは違うのだ。
大手企業のニューヨーク支社にいた者や、ニューヨークで活動をしていた各種企業の者達が亡くなったのは、企業にとって有為の人材を失う痛手であった。
アメリカにおける外交的、経済的、軍事的な情報収集の拠点の一つであった領事館を失った事は日本政府にとりマイナスであった。
経済的には日本からの輸出が徐々に冷え込んでいく。
日本の絹関係製品の唯一と言っていいほどの輸出先であるアメリカが経済的大混乱に陥ったのは繊維業界には痛手だった。大恐慌の時と同じくアメリカ市民の絹に対する購買意欲が低下したのである。
アメリカからの輸出にしても時間がかかるようになった。
これはアメリカ政府内においてニューヨークの惨劇が原子爆弾により引き起こされたものと判断された為、外国船舶に対する検疫という名の厳しい臨検が行われるようになったからである。
更にはアメリカの株式市場での株価下落は日本の株式市場にも影響を及ぼした。
大恐慌の時と同じである。
その為、日本の経済に悪影響を及ぼしつつあったのである。
ただし、それは致命的と言えるほどのものではなかった。
多くの日本人同胞の犠牲の上にニューヨークを殲滅した事について総長の言葉は何も残されていない。
事実、何も語らなかったからである。
大量虐殺の自己正当化も、自己弁護も、信じる正義感も、何一つ語る事も書き残す事もしていない。
目的達成のためなら犠牲が出るのを許容し正当化するマキャベリズムじみた考えを披露する事は一切なかった。
日本人同胞5000人を含む軽く200万人以上を超える人々を虐殺した事について、幼児も少年少女も女性も老人も何ら罪の無い普通に暮らしていただけの人々を犠牲にした事について、総長は何ら心を痛めた様子はなかった。
悔恨も見せなかった。
苦悩するそぶりも、苦渋を見せる事も、苦衷に苛まれる様を見せる事もなかった。
寝ている時に悪夢をみたりうなされる事もない。
罪悪寒から宗教に救いを求める事もせず、酒や女に逃避する事もない。
総長の表情、態度、生活はニューヨークの惨劇を起こした後も何一つ変わらなかった。
全てにおいてニューヨークの惨劇前と変わらない。
毎朝、長年の習慣となっている古武術の鍛錬に励み、長寿料理と言われる類の食事をし、軍務に勤しみ、酒も煙草も控え、早寝早起きを心掛けている。
実に健康的な生活を送っている。
それはまるでニューヨークの惨劇において多大な犠牲者を出させた事は大して気にするほどの事でもなく、些細な出来事に過ぎないとでも言うかのような態度である。
国内法においても国際法においても重大犯罪行為をおかしたが、何ら気に留めていないようでもある。
いや、実際、全く気にしていないのだろう。
閑院宮総長の頭にあるのは、ただひたすら己が定める目的を達成する事であり、それにより流される血や哀しみや犠牲には一顧だにする価値もないと思っているのだろう。
それが今回の歴史における閑院宮総長という男であった。
その閑院宮総長の姿勢は、まさに「同胞殺しの鬼総長」「冷酷非情の虐殺王」と呼ぶのに相応しいものであった……
そして、閑院宮総長の陰謀によりこれからも多くの血が流されるのである。
【to be continued】
【筆者からの一言】
これで総長が葉巻を好んだならば、どこぞのデューク◯◯さんと仰る超一流スナイパーの方と一部イメージがダブりそうですが、総長は煙草や葉巻の類を好みません。
酒も嗜みません。
娼婦を抱く事もしません。
背後に人が立っても殴りません。
なお総長は日々早寝早起き適度な運動の健康的な生活を若い頃から心掛けています。長生きするために。
その甲斐あって、史実では1945年に79歳で病没されるところを、この歴史では史実よりかなり長生きする模様です。
ただし、その結果、世界で流される血の量は史実の第二次世界大戦よりも遥かに多くなるかもしれません。




