総長戦記 0063話 疑惑
1941年8月 第4週 『イギリス ロンドン』
「どう思うルドルフ?」
オットー・ロベルト・フリッシュ博士の問い掛けに研究の相棒たるルドルフ・パイエルス博士は頭をわしゃわしゃと掻きながら眉間に皺を寄せて口を開いた。
「君の言う通りかもしれない。
大都市を一瞬で破壊するエネルギーなんてそうそうあるもんじゃない。
しかもニューヨーク周辺では原因不明の病気が流行しているという。
これは恐らく放射能によるものだろう。
だとすると原子爆弾が使われたのかもしれない」
「なんて事だ。
きっとドイツの仕業だ。
1年前に入って来たあのヴィルヘルム研究所の情報はやはり正しかったんだ!」
オットー・ロベルト・フリッシュ博士の言う1年前のヴィルヘルム研究所の情報とは、ドイツのカイザー・ヴィルヘルム研究所で核分裂に関する大規模な実験が行われているらしいという情報が情報部を介して1940年4月に入って来た事である。
「まぁ待て。まだ決まったわけじゃない。
原子爆弾ならば放射能残留物を調べればわかる。
まずは事実確認だ。ニューヨークでの現地調査を進言しよう。
何なら私がアメリカに飛んでもいい」
バイエルス博士は常に冷静を心掛け今も科学者らしく事実確認を重んじる事を口にしたが、フリッシュ博士は少し感情的になりやすいところがあった。
「きっとドイツが完成させたんだよ。まずいぞ、これはまずいぞ、我々も急いで原子爆弾を完成させなくては、世界はナチの物になってしまう!」
「だから落ち着けってオットー。まだドイツの原子爆弾と決まったわけじゃないんだ」
オットーも昔はこうじゃなかった……とバイエルス博士は心の中で嘆いた。
昔はオットーも科学者らしく結果と事実を重んじ冷静で、物事に対し先走るような事は無かった。
だが、最近は感情的になりやすくなった。
切っ掛けは故郷をドイツに占領されてからだ。
故国のデンマークをドイツ軍の軍靴に踏み躙られ、親しい者達を残して亡命を余儀なくされた事が彼の性格を変えてしまった。
別に彼一人で逃げてきたわけじゃない。
たまたま旅行でイギリスに来ていた時に戦争が勃発して帰れなくなっただけだ。
彼が悪いわけじゃない。不可抗力だ。
だが、オットーは親しい者達がドイツ軍の占領下で苦渋を舐め、自分はイギリスでのうのうと暮らしていると罪悪感を抱き良心の呵責に苛まれている。
たまには馬鹿騒ぎして気分を晴らそうと遊びに連れ出してはいるんだが、今の所それほど効果は上がっていない。
あまり思い詰めなきゃいいんだが……
バイエルス博士は相棒であり友人でもあるこの男に一日も早く心の安寧がもたらされる事を願った。
オットー・ロベルト・フリッシュ博士とルドルフ・パイエルス博士。
二人はイギリスの原子爆弾検討委員会たるモード委員会の主要メンバーである。
イギリスでの原子爆弾製造の可能性は、この二人が端諸を開いたと言っても過言ではなかった。
二人は昨年の1940年3月に共同署名で原子爆弾の製造に関する手紙を軍に送った。
その手紙ほ深刻に捉えた軍は科学者を集めて原子爆弾製造の可能性を探る委員会を作る。
それがモード委員会だった。
そして先々月、1941年6月にこのモード委員会はそれまでの検討の結果として原子爆弾製造は可能であるとの結論を出したばかりだった。
この結論を受けてイギリス戦時内閣は原子爆弾製造を決定する。
それによりイギリスでの原子爆弾製造計画「チューブ・アロイズ」が開始されようとしていた矢先のニューヨークの惨劇だったのである。
【to be continued】




