総長戦記 0056話 ニューヨークの惨劇 その⑤ 写真
1941年8月25日(月曜日)午後 『アメリカ ニューヨーク上空』
キャパは夢中でシャッターを切った。
愛用のコンタック◯で目の前の光景を真実を写真という画像に切り取った。
燃えている。
ニューヨーク中が燃えていた。
数えきれない煙が立ち上っている。
キャパには目の前の光景が信じられなかった。
昨日フィラデルフィアで友人の結婚式があり参加した。
友人を祝福して強かに飲んだ。幸せな新郎新婦が新婚旅行に出発したのを見送って、今日は朝遅くまで寝ていた。
二日酔いでフラフラになりながら起き出してくるとニューヨークで大火災が発生しているという噂話でそこらじゅうが持ち切りだった。
カンが働いた。
これまでにも何回か働いて来たカンだ。
このカンが働いた時はいい写真が撮れた。
この直感を信じる事にした。
すぐに飛行場に行き小型機を飛ばしてくれる者を見つけて有り金を渡してチャーターしニューヨークへ飛ぶよう頼んだ。
そして今、ニューヨーク上空にいる。
今度も直感は外れなかった。
だが、この惨状は……
直感が外れてくれた方がよかった。
「もっと高度を下げてくれ!」
パイロットに叫ぶ。
「わかった!」
キャパはプロの写真家として真実を世界の人々に伝えなければならないという使命感からファインダーから目を離さずシャッターを切っている。
しかし、ニューヨークのあまりの惨状に頭の片隅では衝撃を受けていた。
酷い。
酷すぎる……
スペインで戦火を被った町や村を数えきれない程見て来た。その惨状も酷かったが、このニューヨークもそれに負けず劣らず酷い。
いや、それよりも更に酷い。
前席のパイロットがキャパに叫んだ。
「そろそろマンハッタン上空に入る!」
「わかった!」
あぁぁぁぁぁ!
キャパは声にならない叫びを上げた。
マンハッタンは壊滅していた。
一昨日まではアメリカ繁栄の象徴だったあの天に向け聳え立っていた高層ビル群が跡形も無く消滅している。
衝撃だった。
高層ビルだけじゃなかった。
多くの家屋や建物が瓦礫と化していた。
そこは正に廃墟というのに相応しい様相をしていた。
キャパが住んでいた3階建てのアパートも消滅している。
ショックだった。
殆ど何も無い部屋だった。
生活が苦しくて家賃も滞納していた。
しかし、アパートを経営する大家さんは情け深い、いい人で、嫌な顔一つせず家賃を待っていてくれた。
それどころか本当は30日間の滞在ビザしか持っていない身許の不確かなキャパを1年以上も住まわせてくれている。
その大家さんのいたアパートが跡形も無い。
大家さんはどうなったのか。
望みは薄いとわかっていながらもその無事を祈らずにはいられなかった。
ロバート・キャパ。本名はアンドレイ・フリードマン。
史実では多くの写真家達に影響を与えた偉大なる写真家である。
ハンガリー生まれでドイツで写真家となった。
しかし、ユダヤ人の血を引いているためヒットラー政権ができるとドイツを去りフランスやスペインで活動する。
特にスペイン内戦での戦闘写真は高い評価を受けた。
1940年にキャパはアメリカに渡るが生活は苦しかった。
だが日本の攻撃により太平洋戦争が始まるとキャパの運命はドラマチックに展開する。
キャパはアメリカ司法省から元ハンガリー人の国籍不明者として敵性外国人扱いとなり、アメリカ国内でのカメラの使用を禁止され自由に国内を移動する事すら許可が必要となる。
しかし、そのアメリカ司法省からの通達を受けた同じ日に、週刊雑誌「コリアーズ・マガジン」から、その写真の腕を見込んで戦争写真家として契約したいとの申し出があった。
キャパは応諾するがアメリカ司法省はキャパを敵性外国人扱いしている。そこで幸いにも便宜を図ってくれたのがアメリカ司法省よりも柔軟なイギリス大使館だった。
イギリス大使館の特別な計らいにより渡航許可を得たキャパは戦争写真家としてイギリス、北アフリカ、シシリー島、フランス、ドイツへと連合軍の進撃に合わせて戦場を渡り歩き、その写した写真で世界に戦争の実相を伝えたのだ。
キャパの死後、その死を悼むと共にその業績をたたえて1955年にライフ社と全米海外記者クラブが共同で報道写真を対象とした「ロバート・キャパ賞」を創設している。
今回の歴史においてもキャパのその写真家としての名声は不動のものになる。
その功績の一つはニューヨークの惨劇を空から撮った写真だ。
彼はこの写真をアメリカのメディアだけでなく外国のメディアにも広く無料で提供した。
彼はニューヨークの惨状を広く世界に伝えるべきだと判断した。
悲劇を利用して金を儲けるべきではないと思ったのだ。
その高潔な行いにより世界の人々はキャパの写真を通してニューヨークの惨状を目にする事になる。
【to be continued】




