総長戦記 0053話 ニューヨークの惨劇 その② 奮闘
1941年8月25日午後 『アメリカ ニューヨーク州&ニュージャージ州』
ニューヨークが燃えていた。
核の劫火に焼かれていた。
その炎の狂宴の中でまた一人、また一人と人の命が失われていく……
爆心地から13キロ圏内は、もはや手の付けようがないぐらい酷い有り様だった。
その距離までが完全な火災圏内となり果てている。
火災圏内に存在していた消防隊や警察は彼ら自身が被害者となっており殆ど無力と化していた。
火災圏は外部に広がりを見せており、場所によっては爆心地から18キロもの距離にまで火災が到達している。
そうした火災圏外縁付近の消防隊は手に余る大火に苦闘を強いられていた。
だが、挫けない、怯まない、屈しない。
救える命を少しでも救おうと、消防隊の男達は勇敢に火災に立ち向かい、負傷者を救助し火災を消し止めようと、懸命の努力を続けていた。
だが、中には火災の中を脱出して来て消防隊に助けられても負傷が酷くすぐに亡くなった者もいた。
助けられた瞬間に亡くなった者さえいた。
消防隊まであと僅か数メートルの距離で力尽きた者もいた。
消防隊の目の前で幼い子供と母親が炎に呑み込まれ、助けようにも助けられずに焼け死ぬところを見るしかなかった事もある。
それでも消防士達は歯を食いしばって、涙をこらえて悲劇に耐え、消火と救助に全力を尽くす。
何があろうと起ころうと決して諦めない。
尊い使命と誇りに賭けて消防隊の男達は火災に立ち向かう事をやめはしない。
火災圏外縁に位置する病院でも医師達と看護婦達が休む間を惜しんで負傷者の手当を行っている。
子供、老人、青年、中年、あらゆる年代の負傷者が大勢治療を求めてやって来る。運び込まれている。
騒然とした中で懸命の手当が行われていた。
自分で歩ける負傷者はまだ幸いだ。
残念ながら手の付けようのない患者も大勢運びこまれている。
既に手遅れの者には祈ってやる事しかできない。
病院はどこもすぐに負傷者でいっぱいとなり収容人数の限界を超えた。
教会や修道院、学校が臨時の病院と化し負傷者を受け入れている。
しかし、どこも病院と同じようにすぐにいっぱいになってしまう。
あまりにも多すぎる患者の為に医師も看護婦も薬も包帯も何もかもが足りない。
しかし、後から後から患者が運ばれてくる。
生き残った者が助けを求めて火災圏から脱出してくる。
その多くが酷い火傷を負っていた。
火災圏外縁でも新たな負傷者は増えている。
終わりの無い悪夢のような状況が続いている。
しかし、医師達も看護婦達も一人でも多くの命を救うべく奮闘し続ける。
命を守るという尊い使命を果たすべく懸命に治療を続けている。
消防隊員、医療関係者達は多くの命を救った。
今も救い続けている。
その数は今後も増え続けるだろう。
だが、既に死んだ者は140万を超えている。
そして負傷者はその倍以上の300万人以上もいる。
その負傷者の数は時間が経つにつれ減っていた。
死者の仲間入りをしている者が増えているからだ。
時が経つにつれ死亡者数は増加する一方だった。
この悪夢の終わりはまだ見えない……
【to be continued】




