総長戦記 0052話 ニューヨークの惨劇 その① 始まり
1941年8月25日(月曜日)午後 『アメリカ ニューヨーク』
ニューヨーク。それはアメリカ最大の都市。
1941年の時点において人口は軽く740万人を超える。
第2位の都市がシカゴの約340万人であるから優に倍以上もの差を付けての堂々たるトップだ。
首都ワシントンは意外と人口が少なく第11位で約66万人である。
当然、ニューヨークの経済規模はアメリカ随一であり、貿易、金融等においても重要な位置を占めている。
多くの企業が集まり、大企業に限らず中小企業も多い。
アメリカ国内における都市別のGDP(国内総生産)も第1位の地位にある。
アメリカの経済の最重要地域であり人と物と金が集まる大都市、それがニューヨークだ。
そして、ヨーロッパでの戦火をよそに平和を享受している。
そのニューヨークの海には今日も多くの船舶が航行していた。
アメリカ東海岸における海上交易量もトップであるため行き交う船舶の数も多い。
アメリカ国内からだけでなく世界中から船がやってくる。
大西洋から船でニューヨークに向かう場合、L字型に入って行くような形になる。
L字の下の線が太平洋で、上の線が北上しニューヨークの中心に入って行く航路となる形だ。
それというのも西のスタテンアイランドと東のロングアイランドという二つの大きな島の間にあるザ・ナロウズという海峡を通ってニューヨーク中心のアッパー湾に入るからだ。
ザ・ナロウズから緩やかな右カーブを描いて航行していくと、やがて自由の女神のあるリバティ島があり、そのすぐ先にマンハッタン島がある。
この日も多くの船がアッパー湾を航行していた。
その数多の船舶の中に南米のアルゼンチン船籍の1隻の貨物船が航行していた。
行き先はマンハッタン島の西側の対岸にあるウィーホーケンの港だ。
大きなハドソン川を約6キロほど遡った所にある。
そこまで、あと4キロという距離にまで来ていた。
また南米のチリ船籍の貨物船も1隻、アッパー湾を航行していた。
その位置は丁度、ザ・ナロウズと自由の女神のあるリバティ島の中間あたりを航行している。
ただし、この2隻の船の船籍がアルゼンチンとチリだからと言って、必ずしも船主や船員が全員、船籍と同じ国の者とは限らない。
「便宜置籍船」というものがある。つまり船籍と船主の国籍が不一致と言う事例だ。
大抵は税金の安い国に船籍を置き節税対策としている事例が殆どだ。
アルゼンチンとチリは必ずしも税金が安いとは言えないので「便宜置籍船」として利用する者は少ない。
だが、他の目的を持っているのなら敢えてそうする場合もある。
アッパー湾は波静かで平穏だった。
時間は時計の針が正午を少し過ぎたあたりを指していた。
正確に言うならば12時5分ジャストになった瞬間だった。
その時、南米の貨物船2隻が突如、爆発を起こしたのである。
並みの爆発ではなかった。
とてつもない爆発だった。
船が内側から膨れ上がり破裂し火球と化していた。
その現れた火球の大きさは膨張し300メートルを優に超えた。
船が爆発した瞬間には激しい閃光が発生し、それは100キロも離れた地点でも見えた。
火球よりとてつもない衝撃波が生じ3秒後には5キロを優に超える距離にまで達していた。
火球周辺には爆煙が生じ、それが巨大なマッシュールムのような形になり始める。
そして数秒後、その中心よりキノコ雲が立ち昇り始めたのである。
爆発した船は2隻。
二つの巨大なキノコ雲がニューヨークの空に立ち昇った。
それは世界史上初めて人の住む地域で起こった核爆発だった。
熱線と爆風と放射能が都市を人々を襲った。
最初に襲って来たのは熱線だ。それから数秒遅れて爆風がやって来た。
だが、爆心地に近い地域にいた人々にはどちらが先だろうとあまり関係は無かった。
瞬時に全てが滅びてしまったからだ。
爆心地から3キロ圏内は凶悪な熱と破壊のエネルギーに晒され何も残らなかった。
その爆心地が二つ……
ハドソン川を2キロ程遡っていたアルゼンチン船籍の貨物船を爆心地とした爆発は、すぐ東のマンハッタン島南端から「世界一高いビル」のエンパイ◯・ステート・ビルあたりまでの3キロ圏内一帯を壊滅させた。
アメリカの繁栄の象徴エンパイ◯・ステート・ビルは瞬く間に灰燼に帰した。
その400メートル南にある市民の憩いの場となって90年以上経つマディソン・スクエア・パークもその姿を消した。
更にその1キロ程南にあったアメリカ初代大統領の名前をとって付けられたワシントン・スクエア・パークも同様に更地と化した。ここにはジョージ・ワシントン初代大統領の像と、パリの凱旋門をモデルに造られたワシントン・スクエア・アーチがあり市民に親しまれていたが、それらも跡形も無く消えた。
そのすぐ近くには名門ニュヨーク大学があり大勢の未来の国を背負う若者達が学んでいたが、大学も生徒も教師も誰一人、何一つ残る物はなく破壊の奔流に呑み込まれて消えた。
ロウアーマンハッタンもイーストビレッジもグリニチビレッジも一瞬のうちに消滅した。
更にその南にあたるマンハッタン島南部のブロードウェイにあるアメリカ政府が歴史建造物に指定している歴史ある貴重なトリニティ教会も跡形もなく消えた。
そのすぐ傍にあるアメリカ最大の金融街ウォール街もアメリカ最大の証券取引所たるニューヨーク証券取引所も灰燼と化した。
ハドソン川の中央部分から西はニュージャージ州となっている。そして対岸にはジャージーシティがある。
マンハッタンの対岸に位置するという地の利の良さから人口は30万人を超え、ここに拠点を構える企業も多い。
ニューヨークには行政的に5つの区があるが、このジャージーシティを第6区と呼ぶ者もいる。
だが、その第6区と呼ばれる地域も爆心地から3キロ圏内だった。そこも文字通り壊滅した。
もう一つの爆心地、南米のチリ船籍の貨物船の場合は、アッパー湾の真ん中付近の位置のため爆心地周辺2キロ圏内は海だった。だが、その西はブルックリン地区であり、南はスタテンアイランド地区だ。爆発に面したその海岸線1キロ圏内は文字通り壊滅した。
ブルックリン地区にはアメリカ軍最大の軍需物資集積場たるブルックリン・アーミー・ターミナルがあった。第一次世界大戦当時に整備されたもので、当時はヨーロッパの連合国向け軍需物資がこの港から積み出されていた過去がある。
アメリカは現在、形の上では中立だが、今もこの港からイギリス向けの軍需物資を送り続けていた。
その巨大なターミナルも消滅し大量の軍需物資も損なわれた。
スタテンアイランド地区ではセントジョージ、トンプキンズビル、ステープルトンと言った町が消滅した。
建物は瓦礫と化し、いや更地となり、人々は死に絶えた。いや消滅した。
逃げる間も救けを求める間も悲鳴を上げる間もなくこの世からその存在を永久に消したのである。
その外周にあたる爆心地から約3キロ以上6キロ圏内にいた人々は熱線に焼かれ酷い火傷を負った。
だが、殆どの者はその苦しみを長く味わう事はなかった。
間を置かずに襲って来た爆風にとどめをさされたからである。
強烈な爆風に宙に飛ばされ建物や大地に叩き付けられ即死した者。
飛んで来た瓦礫や車にぶつかり亡くなる者。
建物の中にいた者は倒壊した建造物の下敷きになり即死したり圧死する者もいた。
道路上に落ちて来た建物の外壁に潰された物もいた。
殆どの建物が崩れ落ちた。
倒れずに残った建物も原型をとどめている物は少なく、殆どが崩れるか歪んでいた。
骨組みだけが残った建物もある。
ブルックリン地区にはニュヨーク海軍造船所があり戦艦アイオワ、戦艦ミズーリを始めとする軍艦が建造中であったが、ここも壊滅した。
爆心地から半径13キロ圏内までが熱線の直接的被害の範囲にあったと言ってもよかった。
木造家屋や公園の木々は熱線により燃えだし各所で火災を起こした。
人々もその大半が火傷を負った。
建物や車の塗装は熱で泡立った。
外で新聞を持っていた者は、その新聞が燃え上がるのを体験した。
服の燃える者もいた。
屋外にいた人々は殆ど全員が即時入院を必要とする火傷を負ったと言っても過言ではなかった。
人々は逃げ惑い叫び救けを求めていた。
お昼時なのも災いした。
多くの人々が昼食や休憩のために屋外に出ていた時間帯だった。
夏だった事も災いした。人々は皆、薄着だった。
それが火傷を負う者を増大させ被害を拡大させていた。
熱線の後に爆風が襲った結果、ある程度の火災は爆風により吹き飛ばされ鎮火する効果を上げている。
しかし、それは全体から見ればごく少数だった。
爆風で火勢が煽られ、より一層火の勢いが強くなった場所の方がはるかに多かったのである。
特に爆心地から離れれば離れるだけ爆風の勢いは弱まる。
熱線で火災が生じる限界距離であった爆心地から約13キロの距離周辺の地域では否応なしに爆風が火の勢いを強めさせていたのだった。
北側の火災圏内外縁はマンハッタン島を超えブロンクス地区に到達しており、悪い事にその地域には開園50周年を迎えたばかりのニューヨーク植物園と隣接するブロンクス動物園があった。
二つを合わせた面積は200万㎡を軽く超える。東京ドームが100個以上入る面積である。
普段は多くの市民が自然と親しむ憩いの場である。
自然の木々が多い緑あふれる地域である。
それが燃え盛り、更に炎は可燃物を求め北へ向かっていたのである。
西側の火災圏内外縁は、ジャージーシティの更に西にあるニューヨークに名前のよくにたニューアーク市だった。
ニュージャージ州最大の都市であり「ニューヨーク経済圏」と呼ばれるニューヨークを中心とした経済地域にも含まれている都市だ。
だが、そこも今は火の海と化し人々が逃げ惑っていた。
アッパー湾の爆心地から西に8キロの地点にはニュージャージー州のエリザベス市があった。
250年以上の歴史を持つニュージャージー州で4番目に大きな都市であり工業都市だ。
そこも大火に包まれていた。
南のスタテンアイランドは島の北側の7割以上が炎の洗礼を浴びている。
北東のクイーンズも北部を中心に大部分が火災に包まれている。
東南のブロンクスはマンハッタンと同じく全地域が燃えていた。
無傷の者、軽傷の者、まだ元気のある者は火災とは反対方向に我先へと逃げ出している。
中には負傷した者に肩をかしたり、抱き上げて逃げている者もいる。
父親と母親が子供達をかばいながら懸命に逃げている。
だが、その一方で、既に死者と化した者達の遺体がそこら中に散乱していた。数えきれない程に。
家族や恋人の亡骸に縋りついて泣いている者がいる。
精神に異常をきたしたのか、ただ、ただ、絶叫している者がいる。
酷い火傷を負った者が、ただ呆然と座り込んでいる。
無惨な火傷を顔面に負い虚ろな目で夢遊病患者のようにフラフラと目的もなくゆっくり歩いている者がいる。
惨たらしい惨状がそこにあった。
「助けてくれぇ」
家の中から老夫婦二人が抱き合って立ち込める煙に咳き込みながら外に助けを求めているが、既に玄関は激しい炎に包まれ手の施しようがない。
「ママ、痛いよぉ……」
道端で親とはぐれた小さな男の子が頭から血を流しながら立ちすくんで泣いている。
「だ、誰か……」
両足のひざから下の部分を失い、そこから血を流しながら中年男性が必死の形相で懸命に地面を這いずっていた。
「きゃぁぁぁぁぁ」
建物の中から絶叫を上げて外に駆け出して来た若い女性は既に火だるまになっている。足をもつれさせて勢いよく転びそのまま暫く地面をのたうち回っていたが、やがて力尽き動かくなった。
「パパ、ママ……」
倒壊した建物の下敷きになった女の子が瓦礫の隙間から右手を空に向け伸ばしていたが、やがてその手は降ろされた。彼女の半身は無惨にも潰れており、既にその瞳から命の輝きは失われている。
「ジェシー! どこにいるのぉーーー」
「ママ!」
「ジェシーなの!? ジェシー!?」
はぐれた子供を探す母親が炎の向こう側から聞こえた子供の声に意を決して炎に飛び込んだ。
本当に実の子の声だったのか、もしかしたら他人の子の声か、または空耳か、それはわからない。再びその母親の生きた姿を見た者はいないからだ。
「助けてぇ!お願い!」「ここにいるぞ!」「頼む!」
「待ってろ! 今、助けるから!」
建物に閉じ込められた人達を助けようと奮闘している者がいる。だが、助け出す前に炎が迫り見捨てて逃げるしかなくなった。建物の中からは、まださかんに助けを求める声が上がっていたが、やがて炎に包まれその声は聞こえなくなった。
炎に焼かれている者を何人かで助けようとした者もいた。上着や手近な布系のもので衣服の炎を叩き消す。しかし、火は消えたが既に助けた者はこと切れていた。
死者を悼む余裕はなかった。すぐそこまで火の手が迫っており、遺体はそのままに全員で命からがら逃げ出した。
「おねがい、たすけて……」
「誰か」
「見捨てないで……」
「熱い」
「痛いよ」
ニューヨークのそこかしこで悲鳴と救いを求める声が上がっていた。
マンハッタンで、ブロンクスで、クイーンズで、ブルックリンで、スタテンアイランドで人々が助けを求めていた。
いや、ニューヨークだけではなかった。
ニュージャージー州のニューアーク市やエリザベス市、その他周辺地域の住民全てが地獄の炎の洗礼を受け悲鳴を上げている。
炎に包まれた街の中で、人々が救けを求め、もがき、苦しみながら死んでいく。
車の爆発に巻き込まれ命を落とした者もいる。
火事が原因で起きた建物の倒壊の下敷きになり内蔵や頭を潰され中身を飛び散らしながら死んでいく者もいた。
落下物に腕や足を切断されショック死した者や、命はあっても苦痛と出血多量で動けなくなり炎に焼かれ死んだ者もいる。
妻と子供を庇いつつ逃げようとした父親は、家族揃って炎に巻かれお互いの名前を叫びながら一緒に苦しみ焼け死んだ。
建物に子供と閉じ込められた母親は、せめて子供だけでも助けようと手から血が流れるのも骨が折れるのもかまわずに壁を叩き続けたが、望みは叶わず親子二人で苦痛に悲鳴を上げながら焼け死んだ。
煙を吸い込み一酸化炭素中毒で亡くなった者もいた。
気管を熱傷でやられ呼吸困難から死に至った者もいる。
火から逃れるために川や海に飛び込んだ者もいる。
その中には泳げず溺れ死んだ者もいる。
川に辿り着いたが力尽きそのまま浮かぶ死体となった者もいる。
そこにも炎はやって来た。
アッパー湾内で核爆発の被害を受けた船は多い。
核爆発で跡形もなく消滅した船よりも損傷を受けた船の方が遥かに多い。
その中にはアッパー湾に重油を漏らしつつ沈む船もある。
核爆発の余波で衝突事故を起こし燃料タンクから重油を漏らしている船もある。
そうした船の中にはタンカーもあった。
最悪な事にそういう船の中には火災を起こしている船も少なくなかったのである。
そして漏れ出て湾内を漂っていた重油に火が付いた。重油火災である。
船から出た物、陸地から出た物を問わず、湾内や川には漂う可燃物が幾らでもり、火災を悪化させた。
アッパー湾が燃えていた。
ハドソン川も燃えていた。
炎を逃れようとアッパー湾やハドソン川に飛び込んだ者は、もはや逃げ場もなく焼け死に海底や川底に沈むか漂流する燃える遺体となったのであ。
地上も川も湾内も炎になめ尽くされていた。
地上も川も湾内も数えきれない程の死体があった。
そこかしこに死体が散乱していた。
小さな子供、若い女性、若い男性、中年、老人、年齢に関係なく人々は死んでいった。
そこら中に死が溢れていた。
「神様……」
「お救い下さい……」
神に縋った者もいた。
ニューヨークには多くの教会や修道院があり、神父、牧師、修道女、修道僧等、多くの聖職者達がいる。
だが、この地獄に彼らもまた無力だった。
多くの教会や修道院が炎の洗礼を浴び焼け落ちた。
逃げる事のできた者はまだ幸運で、多くの者は何もできずにただ炎に焼かれ死んでいった。
カトリックもプロテスタントもユダヤも他の宗教もこの地獄には平等に無力だった。
幼い子供が目の悪い祖母の手を引いて、いつも通っている教会まで逃げてきた。
だが、その教会は既に炎に包まれ炎上していた。
既に教会の者達は逃げた後なのか誰もいない。他と同じく夥しい焼死体が残されているだけだ。
後ろからは大火が猛然と迫っている。
幼い子供と祖母は火の無い方向に向かって懸命に歩く。ヨロヨロとしか進まないがそれでも懸命に歩く。一生懸命逃げた。
「レナード、先にお行き」
祖母は孫を逃そうとした。自分は足手まといだ。
だが、幼い孫はイヤイヤと首をふって祖母の手を引くばかり。
ヨタヨタと懸命に二人は歩む。
しかし、運命は残酷だ。
無情にも二人は炎に捕まった。捕まってしまった。
炎の勢いはとても早く、二人が逃げおおせる事は、やはりできなかったのだ。
炎の中に抱き合い庇い合いながら崩れ落ちる祖母と幼い孫。
「かみさま、おねがい、おばぁちゃんをたすけて……」
倒れ伏し炎に焼かれ始める中で幼い孫はそれでも必死に神様に祈る。
「かみさま、おねがい、たすけて……」
幼い子供が涙を流しながら神様に必死に乞い願う姿はあまりにも哀れだった。
だがその切なる願いに応える存在はどこにもいない。
「かみさま……」
何の罪も無い祖母思いの幼き孫は涙を流しながら祖母と一緒に劫火に焼かれ苦しみながら死んでいった。最期まで神に祈りながら、願いながら……
その日、ニューヨークに神はいなかった。
いかなる神も存在しなかった。
誰一人、神の力で救われた者はいない。
キリスト教の信者もユダヤ教の信者も他の宗教の信者も神に救われず平等に死んだ。
白人も黒人もヒスパニックもアジア系も平等に死んだ。
宗教、国籍、出身、人種、性別、年齢、何一つ関係無かった。
等しくあったのは「死」だけだった……
ほんの少し前までは普段通りの街並みと人々の営みがあった。
だが、もはやそれは過去の出来事となり果てた。
今、そこにあるのは地獄だった。
まさにそこにあるのは地獄の世界だった。
ニューヨークで起きた史上初めての核爆発。
それは日本が、いや総長が製造させた「ウラン爆弾(原子爆弾)」によるものであった。
そして、その威力は広島型原子爆弾の比ではなかった。
その数倍、いや、数十倍の威力を発揮していた。
既に140万人を超える人間が死んでいた。
それは人類史上初のそして最大最悪の「核兵器テロ」であった。
しかし、その「核兵器テロ」によって現出された地獄はまだ終焉の時を刻まない。
ニューヨークの惨劇はまだ終わらない……
【to be continued】




