総長戦記 0040話 調査報告書
【筆者からの一言】
事前調査はしっかりと。
1941年7月 『日本 陸軍参謀本部 参謀総長室』
「よくやった」
報告書を読み満足そうに頷く閑院宮総長の様子を見て、その前で直立不動の姿勢をとっていた秋丸次朗中佐は内心で大きな安堵の溜め息をついた。
秋丸次朗中佐は陸軍省の人間であり、ここ数ヶ月はとある任務についていた。
「陸軍省特別経済研究班」の責任者である。
「陸軍省特別経済研究班」では、外部の経済専門家も招き連合国と枢軸国の経済から見た戦争遂行能力の分析を行っていた。
外部から招かれたのは〇橋大学の森田優三教授、慶応義◯大学の武村忠雄教授、東京商◯大学の中山伊知郎教授を始めとする多数の専門家である。
そして完成したのが「欧米経済戦争遂行能力調査」だった。
各国の戦争財政負担能力、兵器を始めとする軍需物資の生産能力、エネルギー及び食糧生産能力、人口その他、全ての面から総合的に経済が調査分析されていた。
秋丸次朗中佐はこの研究を陸軍大臣から直接、指示を受けて行ったが、元々この研究の発案者は閑院宮総長であった。
その事は特に秘密されてはおらず、閑院宮総長の副官が直接、研究の進捗状況を確認しに来た事もあり研究に携わっている者は皆が、それをすぐに知ることになる。
知ったからと言って何が変わるわけでもなく、研究は進められたが。
この研究では各国の経済分析だけでなく、連合国と枢軸国の勝敗も予想されていた。
その結論は連合国の勝利を予見していた。
アメリカはまだ参戦していなかったが、1940年12月29日、にルーズベルト大統領が炉辺談話でアメリカは民主主義の兵器廠になると語り、実際、そのような政策をとっている事から、報告書の中ではアメリカの経済力も連合国に加えられている。
報告書には、もし、枢軸国が勝利する可能性があるとすれば、それはイギリスの弱点である海上輸送能力へ痛打を加える事によるイギリス経済の崩壊であるとしていた。
「この報告書は参謀本部と陸軍省の関係各部署に配布しておいてくれたまえ」
「承知しました」
閑院宮総長の指示に秋丸次朗中佐は返答し一礼して総長室を退室したが、その背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
そもそも一介の、それも後方の主計担当の中佐が普段から会える相手ではない。しかも皇族。
その上、報告書の内容が内容だった。
参謀本部と陸軍省の中心ではドイツが勝利すると予測しており、それは軍内部に広く知れ渡っている。軍上層部が特に秘密にはしていなかったからだ。
その話を秋丸次朗中佐も知っていた。
それだからこそ自分が責任者になった今回の研究結果に対し、どのような反応が示されるか内心では戦々恐々としていたと言っていい。
何せ、大勢を占める予測に真っ向から反対するドイツが敗北するという結果なのだ。
陸軍参謀本部内にも一部ドイツの敗北を予測している者もいたが、秋丸次朗中佐もそこまでは知らなかった。
陸軍大臣に研究結果の報告書を提出するだけでもかなりの重圧だったが、それを閑院宮総長に直接持って行くよう指示された時は髪が真っ白になるかと思えるぐらい焦燥感に駆られた。
何せ226事件ではあの苛烈な粛清を行った総長である。「血塗れの鬼」「首斬り総長」「冷徹王」と陸軍内では恐怖をもって陰で呼ばれている閑院宮総長である。
もし、意に沿わぬと不興を被ったらどうしようと内心では震えあがっていたのだ。
しかし、幸いにも閑院宮総長は満足そうだった。
秋丸次朗中佐はまさに敵弾が熾烈に飛んでくる地獄の戦場から無事に生還した思いを味わっていた……
【to be continued】
【筆者からの一言】
史実では実際に秋丸次朗中佐が日米開戦前に「陸軍省戦争経済研究班」という組織の長になり、枢軸国と連合国の経済分析をしています。
作中に出て来た教授達も実在の人物達で、実際にこの経済分析に携わりました。
それで作成されたのが「独逸経済抗戦力調査」と「英米合作経済抗戦力調査」という報告書です。
その報告書で述べられているのは、やはり枢軸国の敗北の可能性が大きいという事です。
そして唯一の勝利と機会としては、やはりイギリスの輸送船を大量に沈め、イギリスの経済を崩壊させる事としています。
だから戦前の東条英機首相も政府の会議で「通商破壊戦でイギリスの死命を制してアメリカの態度を変えさせる」と発言しています。
今回の歴史では日本は今の所、枢軸陣営にも連合陣営にも参加しておらず、アメリカのように中立と言いながらもイギリスに肩入れをして武器と資金を援助するという事もしていない完全な中立国です。
それ故に、完全に第三者的な立場故か、秋丸次朗中佐が行った経済調査項目と名称も史実とは少し違った物になったようですが、枢軸陣営が負けるという調査結果は同じです。
ただし、総長は仰っています。
「勝者は二国も三国もいらん。日本一国で充分だ」
そういう事らしいです。ふっふっふっ。




