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総長戦記 0033話 反対

【筆者からの一言】


久々に総長の長セリフ。


1940年7月 『日本』


 欧州におけるドイツの躍進が著しかった。

 昨年、ポーランドを降したと思ったら今年もフランス、ベルギー、オランダ、ノルウェーを降したのである。


 あまりのドイツの強国ぶりに日本国内において日独同盟論が澎湃と沸き起こる。

 それは軍内部にとどまらず、大衆からも広く声が上がっていた。


 ドイツからも同盟の打診が来ていた。

 軍内部や政府内にも同盟締結に向けて動き出そうとしている者もいた。


 だが、その流れに一石が投じられる。


「侮辱だな」

 閑院宮総長が新聞記者から「最近の国際情勢における日本の立場」について取材を受けた時、国内に広がるドイツとの同盟論について聞かれた時の第一声がその一言であった。


 記者は、言われたこの一言の意味を直ぐには理解できず問い返している。

「侮辱ですか?」


「そうだ。皇軍への侮辱だ。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日華事変。

これらの戦争において皇軍は同盟国の援軍に頼ったかね?」


「いいえ」


 その返答に閑院宮総長は満足気に頷いてみせる。


「そうだ。

儂が従軍した日露戦争の時にも日英同盟はあったが、イギリス軍は戦いに参加しておらん。皇軍は独力でロシアと戦い、そして勝った。

第一次世界大戦では逆に日本の艦隊を欧州に派遣した。

満州事変も日華事変も皇軍は独力で数に勝る敵に勝利した。

皇軍は常に祖国日本の権利と国民を守り領土を一寸たりとも侵された事はない。

にも関わらず、他国との軍事同盟を進んで求めるとは……

それは皇軍を信頼しないと言うも同然。

これまでの戦争において血を流し勝利を掴み実績を積み重ねて来た皇軍への侮辱以外の何物でもないぞ」


「では、他国との同盟は必要ないと」


「一身独立して一国独立す。

他国を頼りにしてどうする。

君は欧州の情勢を見て他国を信頼できるのかね?

ドイツを見たまえ。ズデーデンがヨーロッパにおける最後の領土的要求と言ったにも関わらず、その後にポーランドに領土割譲を求め、それを拒否されると攻め込んだぞ。

フランスとソ連はチェコとの間に相互防衛条約があったにも関わらずチェコを見捨てドイツの征服を許したぞ。

イギリスとフランスはポーランドとの間に相互援助条約があったにも関わらず、ろくに動かずドイツの征服を許したぞ。

同盟や条約など紙切れに過ぎんのがわかるだろう。

他国などあてにしてはいかんのだ。

いつ裏切られるかわかったものではないぞ。

だいたいだ。儂は皇軍ある限り皇国は独立独歩の国際路線をとって世界の荒波を渡っていけると信じている。

君は違うのか?」


 この話は閑院宮総長の談話として新聞の一面において大きく取り上げられた。

「軍事同盟希求は皇軍への侮辱」と題されたその記事は、大きな反響を呼び起こす。


 ドイツの躍進に影響を受けていた者。

「バスに乗り遅れるな」とドイツとの同盟に積極的だった者。

 軍人も民間人もドイツ贔屓の者は皆、閑院宮総長の発言に冷や水を浴びせられた形になり頭を抱えた。


 まさか皇族の閑院宮総長を真っ向から批判はできない。

 しかも皇軍への信頼を引き合いに出されては反論も難しい。

 そもそも閑院宮総長の言う事にも一理あった。欧州の国は連合陣営も枢軸陣営も他国を裏切ってばかりで信用はできない。 


 それに元々、陸軍軍人は反論しにくかった。

 閑院宮総長は皇族と言うだけではない。

 226事件では一切の容赦なく多くの軍人を自らの手で粛清した人物である。

「血塗れの鬼」と影で呼ばれている総長である。

 下手な事を言って粛清対象になってはたまらない。

 閑院宮総長への恐怖が口を閉ざさせる事になった。


 一般大衆で言えば閑院宮総長の唱えた「同盟不要一身独立独歩論」は大いに好評だった。


 自分達の国は強い!

 他国の力などあてにしない!

 という考えは大衆の自尊心を大いにくすぐった。


「ドイツの運転するバスに乗る必要は無い」

「日本は日本の運転するバスで走るべきだ」

 そうした声が上がり始める。


 皇族であり軍の重鎮である閑院宮総長の言葉は大衆へ誇りと矜持を齎したのである。


 その結果、世論における日独同盟論の声は急速に萎む事になった。


 政府内でも閑院宮総長の意向に沿うような方向に政策はとられる。


 閑院宮総長は陸軍内部や陸軍関係者を粛清し陸軍内部を恐怖政治で支配していたが、政府閣僚や官僚に手を掛けた事はない。

 しかし、あまりに226事件時の閑院宮総長の粛清が強烈だった為、いつしか政府の閣僚や官僚の大部分も閑院宮総長の不興を買う事を恐れるようになっていた。

 事実上、政府は重要な事に関する判断は、陸軍大臣を通した閑院宮総長の意向に従っていると言ってもよく、閑院宮政権と言ってもよい状態になっていたのである。


 ただし、全ての閣僚が常に閑院宮総長の意向に同調したわけではない。

 陸軍と対をなす海軍は必ずしも閑院宮総長の言い成りにはならなかった。

 しかし、他の閣僚が多くの場合、陸軍大臣に同調する傾向にあり、孤立気味である海軍には、今の所、それを覆す手立ては無く、政府の決定という名の陸軍の意向に従う場合が殆どだったのである。


 ただ、今回の場合は海軍にも敢えてドイツと積極的に同盟を結ぶ意義を見出せなかった事から、陸軍に反対してドイツとの同盟を推進するような動きは見せなかった。


 そうした事情により政府もドイツとの同盟に動く事は無かった。 


 実は閑院宮総長は以前にもドイツとの同盟話を潰している。

 226事件の起こる数か月前の1935年に「防共協定」を結ぼうという話がドイツから提案されて来た。

 陸軍参謀本部の中には、この協定を結ぼうという一派もいたが閑院宮総長が強く否を唱えた。

 海軍も政府もこの時点ではドイツと手を結ぶ利点は薄いと判断し、陸軍省も閑院宮総長に同調したため、協定締結には至っていない。


 日本は日本のみの独自路線を歩む道を進み始めていた……


【to be continued】

【筆者からの一言】


ドイツとは組まない。でもアメリカとも組まない。

それが総長の選択。

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