第98章: 見えぬ適性
アリラの内面に少しずつ亀裂が入っていく回でした。
「普通ではないオーラ」という言葉は、彼女にとって希望なのか、それとも呪いなのか――。
次回、彼女の“適性”がどんな方向へ導かれるのか、どうぞお楽しみに。
アリラは走り出した。足がどこへ向かうかはどうでもよかった。ただ、デレクから離れたかった。彼の言葉が耳にこびりつき、鋭く胸を突き刺して離れない。
回廊は長く伸び、石造りの壁を黄色の水晶がぼんやりと照らしていた。
なぜ彼は自分をただの盗人、自分勝手な男だと言ったのか。彼が他人のために――彼女のために――危険に身を投じたのを彼女は見た。それなのに。あんな言葉は、彼女を遠ざけたいから?それとも、彼女自身に諦めさせたいのか。
涙で視界がにじみ、世界は砕け散った光の霞に変わった。
デレクの声は遠ざかっていったが、アリラは走り続けた。胸の痛みを振り切るように足を速め、やがて声が消えるまで走った。そして、不意にその逃走は終わった。
固い何かに衝突したのだ。布が顔に当たり、その下に硬い筋肉の感触。両肩を支える手。油の染みた革と乾いた布の匂い。息が止まったが、痛みはない。心臓は肋骨を叩き続けていた。
アリラはよろめいて後ずさりし、涙を拭った。
短い白髪を持つ、痩せた背の高い男が立っていた。
【アリラ】「ヴァロム教官!」
彼女は慌てて涙を拭い、姿勢を正そうとした。
【ヴァロム】「廊下で走るな。走る場所は訓練場にある。」
喉が詰まる。よりによって、なぜ彼なのか。
【アリラ】「は、はい、先生。すぐに行きます。」
すり抜けようとしたが、肩に軽く手が置かれた。
【ヴァロム】「待て。」
アリラは凍りつき、顔を上げる。
【ヴァロム】「カシュナールはもう去ったか?」
アリラはうなずいた。確信はなかった。――オルビサルよ、どうかもう去っていますように。
【ヴァロム】「ふむ……話をしたかったのだが。」
胃がねじれる。
【アリラ】「お、お伺いしても……何についてでしょうか?」
片眉が上がる。
【アリラ】「す、すみません。出過ぎたことを。」
【ヴァロム】「この場合は許されるかもしれん。」
【アリラ】「……先生?」
【ヴァロム】「実はお前のことを話そうと思っていたのだ。」
【アリラ】「わ、私の……?」
【ヴァロム】「アリラ・グリーヴス。理由は分かっているはずだ。」
アリラは眉をひそめ、顎に手を添える。鉄の視線がのしかかった。
【アリラ】「そ、それは……オーラの試験のせいですか?」
ヴァロムの瞳は揺るがない。
本能は視線を逸らせと叫ぶ。だが、彼の前では決して下を向かない。
【ヴァロム】「神聖なるカシュナールもお前の状態を承知しているだろう。私は助言を得たかった。」
喉が詰まる。デレクは科学を知っているが、オルビサルの魔法に関しては無力だ。
【アリラ】「彼はご存じないと思います、先生。私もつい最近知ったばかりですから。」
【ヴァロム】「カシュナールが知っていることを、お前がすべて把握しているとでも?」
【アリラ】「い、いえ!もちろん違います。不注意でした。お許しください。」
【ヴァロム】「ふむ。いずれにせよ、もう問題ではない。彼は去ったのだな?」
【アリラ】「はい。」
【ヴァロム】「アリラ。お前の動揺は見えている。カシュナールとの関係は知らぬが、一つだけ言っておく。」
【ヴァロム】「この学び舎では、ひいきも妨げも許されない。私の生徒である限り、同じ扱いを受ける。」
【ヴァロム】「もしカシュナールの訪問が妨げになるなら、二度と起こらぬよう取り計らう。」
【アリラ】「そ、それは必要ありません、先生。」
ヴァロムはしばらく彼女を見つめ、そしてうなずいた。
【ヴァロム】「よろしい。授業で会おう。」
彼が背を向けた瞬間、胸の奥で問いが爆発した。
【アリラ】「先生!」
振り返るヴァロム。眉が上がる。
【アリラ】「私……欠陥があるのでしょうか?」
【ヴァロム】「そうは言わない。お前のオーラは……普通ではない。」
【アリラ】「ふ、普通……?」
【ヴァロム】「オーラは歩む道、操れる力を決める。強さだけでなく、適性にも違いがある。」
【アリラ】「適性……?」
【ヴァロム】「成長すれば分かる。昇華者は特定の魔法に適応する。賢明な者はその傾向に従う。」
イザベルは雷を好み、ツンガは火と生命の魔法。――そういうことか。
【アリラ】「自分の適性を知るには?」
【ヴァロム】「私は通常、生徒が気づく前に感知できる。だが、お前は違う。」
【アリラ】「で、できない……?」
【ヴァロム】「お前のオーラは並外れた持久力を持つ。芽生えとしては異常だ。それこそが、私にお前の適性を読ませない理由だ。」
【アリラ】「だからカシュナールに……私の適性を見てもらおうと?」
【ヴァロム】「そうだ。そして予言者に診てもらうつもりだ。今は誰も空いていないがな。」
――幸運の兆しか。だが死のエネルギーを暴かれたら……。
彼女はいまだシエレリスに会えていない。助けを求められるのは、あの異端者しか。
【アリラ】「ご配慮ありがとうございます、先生。光栄です。」
ヴァロムは去って行った。白髪が水晶の光に照らされた。
アリラは腕を抱いた。――ここにいるべきではない?死の教団の言葉が真実なのか?
―――
アリラは教室の後方の硬い椅子で身をよじった。
クローディン教官の視線が走り、教室を支配する。誰ひとり息ひとつ乱せない。
四列の机、チョークと蝋の匂い、光に磨かれた床。すべてが秩序に包まれていた。
授業は理論。遅れを抱えるアリラにとって一言も聞き逃せない。助けはない。聞き逃せばクローディンに頼むしかない。
デレクやヴァロムのことを考えなければ、もっと集中できるのに。
【クローディン】「新入生のために言っておくわ。この授業では、訓練場での技術の理論を学ぶ。」
【クローディン】「姿勢、呼吸、実行。これらは攻撃を最大化し、チャクラを制御する。」
【クローディン】「力はオルビサルから貸されたもの。私たちのものではない。死ねば御許へ戻る。託された間に御心に従い極め導く。それが義務。」
黒板に円を描き、中央を叩く。
【クローディン】「これがチャクラ。オーラから力が流れ制御を与える。《球体》を吸収する前に、自分のオーラが収められるか確かめねばならない。限界を超えれば……」
円を崩し、外にギザギザの線を描く。
【クローディン】「……《球体》のエネルギーは堤防を破り、心身を壊し、魔獣と変わらなくなる。」
アリラは必死にノートを書いた。タニアは退屈そうに顎を手にのせていた。
【クローディン】「最初の数か月の訓練の目的は、オーラを高め、最初の《球体》を吸収できるようにすること。当然それだけではない。武器、防具の基礎、そして教会への敬意を学ぶ。」
視線がアリラをかすめた。冷たいものが走る。
【クローディン】「もう一つある。最初の《球体》を吸収する前に必要なもの。誰か答えられる?」
ミレルが手を上げる。完璧な姿勢、輝く笑顔。
タニアが目を転がす。
――模範的な生徒。自分には真似できない。
クローディンが咳払い。
【クローディン】「ありがとう、ミレル。下ろしなさい。」
笑顔が消える。
【クローディン】「アリラ。」
心臓が跳ねる。
【アリラ】「は、はい!」
【クローディン】「答えが分かるかしら?」
助けはない。頼れるのはヴァロムの言葉だけ。
【アリラ】「……自分の適性を発見すること、ですか?」
クローディンがうなずく。ミレルは腕を組み、不機嫌そう。タニアの唇に笑み。
【クローディン】「正解よ。適性の高い《球体》を吸収すれば、より制御できる。」
【アリラ】「もし間違った《球体》を使ったら?」
クローディンの眉が上がる。笑いが漏れる。
【クローディン】「害はない。ただ習得に時間がかかるだけ。」
窓辺に立ち、陽光を浴びる。
【クローディン】「絵の才能がある者が楽器を学ぶようなもの。努力すれば成功もする。でも本来の芸を選べばどれほど容易か。」
アリラは息を吐いた。――よかった。努力すればなんとかなる。
【アリラ】「ありがとうございます……」
【クローディン】「だが適性が判明するまで、オルビサルの最初の《球体》を吸収する儀式は許されない。強さがどれほど特異でも。」
鋭い青の瞳がアリラを貫いた。体が凍りつく。
クローディンの唇に小さな笑み。
【クローディン】「だがそれはお前たちが心配することではない。アセンションの儀までに必ず見つける。」
アリラは手を見つめた。手首に痺れ。皮膚の下で何かが動いた気がした。
背筋を震えが走り、拳を握った。
――もし適性が死の魔法だったら?だからヴァロムは読めなかった?
それは決して口にできない問いだった。
今回はアリラが主役。感情が暴走気味ですが、それも成長の一歩です。
ヴァロム教官、いい先生だけど怖いですね(笑)
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