第89章: 凍てつく部屋での謝罪
エボンシェイドから戻ったアリラが、ついにクローディン教官と対面します。
厳しい訓練、仲間との距離、そして失われた故郷――
彼女が胸に秘めてきた重さが少しずつ語られる章です。
アリラは戸口で立ち止まった。
クローディン教官が理由もなく呼び出すことは決してない。しかも、あれほどの緊急さで呼ばれるのは尋常ではなかった。
鼓動が速まり、その一つ一つが「叱られる」と告げているようだった。
昨夜、エボンシェイドから戻ったばかりだ。
身体は休息を切実に求めていた。クローディンの氷のような視線を、もう一度浴びるのは避けたかった。
ましてや、デレクについての質問など。
チャクラに絡みつく死のエネルギーなら、自分で制御し、隠せるはずだ。
――そうでなければ、なぜ呼ばれた?
いや、違う。
もし危険があるなら、デレクがここに帰らせるはずがない。
それでも、脚は逃げ出したくて仕方がなかった。
落ち着け。普通に歩け。平然と見せろ。
深呼吸をして扉をノックし、押し開けた。
【クローディン】「入れ」
氷が硝子を締め付けるような冷たい声だった。
蝶番が低く軋んだ。背の高い細い窓から朝の光が斜めに差し込み、床を横切って机の正面――彼女が座らねばならない一点を白く切り取っていた。部屋は寸分の隙もない造りだ。鉄灰色の壁には濃色の革装丁の本が整然と並び、机の背後には古い傷を帯びた訓練用の剣が直立している。磨き上げられた濃い樫の机の上には銀のペンとインク壺、整えられた書類の束だけ。空気には紙埃と油の匂いが微かに混じっていた。
アリラは獣の巣に足を踏み入れるような気持ちで歩いた。むき出しの床を踏む音は、槌のように響いた。
クローディンは笑わず、頷きもしなかった。
【クローディン】「座れ」
喉が締まる。アリラは木の椅子に腰を下ろした。
【クローディン】「調子はどうだ」
尋問のような響き。
【アリラ】「も、問題ありません、教官」
【クローディン】「今朝、訓練場にいなかったな。負傷したのかと思った」
【アリラ】「……疲れていただけです。戻る前に休みたいと思いました。皆の足を引っ張りたくなくて」
クローディンの片眉が上がる。鋭い視線。
【クローディン】「つまり、問題があるということだな」
【アリラ】「……はい、教官。でも明日には大丈夫です。戻ります」
ペンが机に置かれる音。
【クローディン】「良い」
沈黙が重くのしかかる。
【アリラ】「あの……教官、もうよろしければ――」
【クローディン】「謝罪する」
【アリラ】「……え?」
【クローディン】「謝罪すると言った。私の監督下でお前に起きたことは許されざるものだ。私もイヴォネット修道母も心から謝罪する」
【アリラ】「そ、そんな……教官のせいじゃ――」
【クローディン】「ここで起きることはすべて、我々の責任だ」
アリラは慌てて言葉を返す。
【アリラ】「これは……デレクのことですか? その……カシュナールがここで言ったことについての謝罪ですか?」
【クローディン】「違う。ここにその男がいるか?」
【アリラ】「……いえ、教官」
【クローディン】「もし彼に謝罪するなら、あの椅子に座るのは彼であり、お前ではない。私の責任は学院と学生に限られる」
【アリラ】「……承知しました。すみません」
クローディンの目が細くなる。
【クローディン】「お前の現状は把握している」
氷が血管を流れていくような感覚に襲われた。
【アリラ】「……えっ?」
【クローディン】「お前の故郷で起きたこと。そしてウォーデンのイザベル、さらにはカシュナールまでもがお前を擁護したこと。それは……同級生との間に緊張を生んだかもしれない」
【アリラ】「……はい。まだ馴染もうとしています」
【クローディン】「訓練時間外にも努力しているのを見ている」
【アリラ】「タ、タニアが一緒に……訓練してくれています」
【クローディン】「タニアは茨。お前より二段階上だ。どうだ、うまくいっているか」
【アリラ】「……はい。とても……感謝しています」
【クローディン】「そうか」
クローディンは紙をめくり、鋭い目を走らせる。
【クローディン】「昨夜遅く、イザベルが来ていた。ギャラスと共にエボンシェイドで測定と死者数の調査を行った。……状況は複雑だった」
アリラの喉が乾く。
【クローディン】「三つの《球体》による重度の汚染が確認された。その一つは……死の《球体》だ」
【アリラ】「……っ!」
【クローディン】「小さな芽生えがあれほどで生き延びるなど不可解だ。他の生存者は子供数人だけ。鍛冶屋は……生き延びられなかった」
アリラの目が潤む。必死に堪える。
【アリラ】「ひどいものでした……でも、一人では……。ウォーデンのイザベルがいました。ツンガと……カシュナールも……」
【クローディン】「お前を救うために、命を賭したか。……理由があるのだろうな」
【アリラ】「……わかりません。ただ……好いてくれているのだと……思います」
【クローディン】「なるほど。《メサイア・オブ・スティール》と、ユリエラ・ヴァレンに選ばれたナーカラのウォーデンが、お前を思っているのか」
アリラは眉を寄せた。その声には冷たさと疑念が滲んでいた。
【クローディン】「よく聞け。私は学生について知らぬことがあるのが嫌いだ。特にオルビサルの《球体》に関わること。死の《球体》ならなおさらだ」
アリラは震えながら答える。
【アリラ】「……接触したことはありません。《球体》の魔法なんて……。鍛冶屋が……守ってくれて、最後には命を賭して……救ってくれました」
涙が頬を伝った。
【アリラ】「す、すみません、教官……」
クローディンは沈黙し、手を払う。
【クローディン】「行け。明日、訓練場で会おう」
アリラは頭を下げ、急いで部屋を出た。
――外に出た瞬間、抑えていた嗚咽が溢れ出した。
壁にもたれて膝を抱え、涙はもう止まらなかった。エボンシェイドだけでなく、祖母も、村も、両親も……一度も泣いていなかった。今まで。
【ミレル】「大丈夫?」
アリラは目を拭い、振り返った。
そこに立っていたのは、蜂蜜色の髪を編み込んだ少女。青い瞳が優しく見つめていた。
【アリラ】「ミレル……ごめん、気づかなかった」
【ミレル】「クローディン教官に何か言われたの?」扉の方を示す。
「叱られた?」
【アリラ】「ち、違うの。ただ……あったことを話して……つらくて」
ミレルは肩に手を置き、微笑んだ。
【ミレル】「想像できないわ。異端者に連れ去られて……エボンシェイドは壊滅状態だって。生き延びたなんて、本当に奇跡よ」
【アリラ】「……教官もそう言ってた。もしかして……オルビサルが私を死なせたくなかったのかもしれない」
ミレルは優しく微笑んだ。彼女はいつも優しい。けれど信心深い。オルビサルや教会の名を口にするときは、言葉を慎重に選ばなければならない。
【ミレル】「きっとそうよ。オルビサルはあなたに役割を与えているの。果たすまでは、何も起こらないわ。カシュナールがあなたを気にかけているのも偶然じゃない」
【アリラ】「……そう、かも。部屋に戻るね」
【ミレル】「訓練には来ないの?」
【アリラ】「今日は無理……明日からにする」
軽く手を振り、アリラは廊下を去った。
一ヶ月ほど誰とも顔を合わせずにいられたらどんなにいいだろう。けれど与えられた猶予は明日まで。できる範囲でやるしかない。
――ここに戻るのは、最初から簡単ではなかった。そして、心の奥底では……決して安全などないのかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回は、エボンシェイドでの出来事を経たアリラの、より繊細で弱い一面を描きました。
どんなに強く見える人物でも、過去の重みに押しつぶされそうになる瞬間があります。
次の章では、彼女がどのようにして再び前へ進む力を見つけていくのかを描いていきます。
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