第83章: アリラ、拳を握って怪物に挑む
今回はアリラが大きな転機を迎えます。
仲間と共に、絶望の怪物に立ち向かう場面です。
ぜひ最後まで読んでいただき、感想やブクマをいただけると嬉しいです!
アリラは死に向かって走っていた。
その醜悪な怪物は、まさしく死そのものの姿だった。彼女に残されていたのは、ただ確かな死だけだった。
異形はオルビサルの神殿のように高くそびえ、肉と眼と口と角の塊だった。ずんぐりした脚の先は蹄、異様に長い二本の腕は、巨大な昆虫の脚のようにだらりと垂れていた。
それはマルクスを軽々と吹き飛ばした。次はきっと自分の番だ。
だが怪物は動きを止め、無数の眼を彼女に向けたまま、じっとしていた。
――今だ。
今すぐ背を向けて逃げれば、まだ生き延びられるかもしれない。ロスメアへの道を探し、その石壁の内側へと姿を消せるかもしれない。
だが、あれは《球体》の堕落の具現だった。マルクスを殺した力は、すでに村を、両親を、そして彼女の人生を引き裂いていた。彼女をただの震える子供に変えてしまったのも、その力だ。
だがもう無力ではない。怯えて死ぬつもりはなかった。二度と無力さに縛られることはない。
アリラは一歩踏み出し、怪物の前で立ち止まった。
巨獣は一撃で彼女を泥の上に赤い染みに変えてしまえるほど巨大だった。それでも動かず、まるで敵かどうかを見極めているように彼女を見下ろしていた。
彼女は目を閉じ、教官クローディン・ブリークモアの教えを思い出しながら、全身の力と怒りを拳に込めて振り抜いた。
「打撃にはすべての自分を込めなさい。それが強さになるだけではなく、いつかオルビサルの力を振るうための準備にもなるのです。一撃ごとに魂を宿さなければならない。これは拳で肉を打つのではない。魂が他者に意志を押し付けるのです。戦いが始まる前に敵を制さねばなりません。」
アリラは目を開き、拳を放った。
拳は腐った果実に突き入れたように、怪物の体へ沈み込んだ。肉は裂け、腕はぬるりと腹へと沈んだ。喉の奥から腐臭と枯れた花の匂いが込み上げた。冷たく湿った肉が腕を締め付け、まるで死そのものが掴んでいるようだった。
怪物は微動だにしなかった。
アリラは力任せに腕を引き抜いた。ぬるりといういやらしい音とともに腕は解き放たれ、黒い液体が泥へと飛び散った。
汚れは肘まで彼女の腕を覆った。手の内で何かが皮膚の下を這う感覚が走る。痛みはないが、間違いなく異様だった。何か異物が体内へ染み込んだように。
アリラは自分の手を見つめた。皮膚の下で何かが蠢き、さらに前腕の奥へと沈み込んでいった。
考える暇はなかった。なぜ打撃を受け入れたのかも、なぜ小さな拳で傷つけられたのかも、分からぬままだった。
再び拳を振るった。さらに振るった。打撃のたびに新たな穴が怪物の肉に穿たれ、黒い液が溢れ出し、ぬめる組織が飛び散った。悪臭は耐え難く、視界が揺らぎ、吐き気が込み上げる。
このまま続ければ、本当に倒せるかもしれない。引き裂き、泥の奥深くへ埋めて、二度と蘇らないようにできるかもしれない。
視界は割れ、砕けた鏡のように二重三重に揺らいだ。頭を振っても回転は止まらない。口を覆ったが、臭気は生き物のように体内へ侵入してきた。腕にこびりついた汚泥は、洗っても落ちぬ腐敗の臭いを放ち続けた。
歯を食いしばる。止まるわけにはいかなかった。
怪物が低く唸り、地面が震えた。蹄が大地を抉り、口から泡混じりの咆哮が響き渡った。長い腕が頭上に振り上げられる。
アリラは凍りついた。
――終わりだ。
だが、怪物は再びためらった。まだ何か見えぬ力に縛られているかのように。しかしその束縛は解けかけていた。
アリラは後ずさりし、泥に倒れ込んだ。冷たい湿気が背に染み込んだ。
足元にあったのは、マルクスの死体だった。首はなく、腕も半分失われ、泥に横たわっていた。狂乱の中で気づかず通り過ぎていたのだろう。
だが、もっと遠くにあったはずだ。なぜここに?
死体が痙攣し、残った断片を引きずって這い寄ろうとした。
吐き気が込み上げ、胃液が喉に達した。千切れた腕の断片が空をかすかにばたつかせていた。
アリラは悲鳴をあげ、後ずさった。死体が立ち上がろうとした瞬間だった。
重い音が横に落ち、泥が飛び散った。
怪物の爪が地面を叩いていた。わずか一メートルの距離で。だがなぜか外れていた。
まだ感覚が歪められている。そうでなければ、彼女はすでに死んでいた。
爪は地から抜け、泥を飛ばしながら再び振り上げられた。一歩踏み出し、狙いを定める。
【アリラ】「デレク… イザベル… マルクス…ごめんなさい…」
爪が振り下ろされた――だが途中で軌道が逸れた。
息が止まる。
爪は外れただけではなかった。切り落とされていたのだ。
黒い大鎌が空を舞い、鋼の翼を持つコウモリのように煌めき、その下で二つの赤い眼が燃えていた。
NOVA――。
そして響いたのはデレクの声だった。彼女には天使の合唱よりも美しく聞こえた。
【デレク】「はぁ? 今度はガキ狙いかよ、このクソ袋。」
デレクはよろめきながら現れ、かつての腕と融合した黒い大鎌を振った。動きは不格好で、足を踏み外し、そのまま泥に顔から突っ込んだ。
【デレク】「クソッ、ヴァンダ! 何かしろ!」
【アリラ】「デレク!」
心臓の鼓動が耳を塞ぐほどに高鳴り、駆け寄るべきか離れるべきか分からなかった。
怪物は片腕を失い、よろめきながらも荒い息を吐いていた。アリラが開けた傷口からは、まだ黒い液体が流れ出ていた。
あの異常な治癒能力は、今や働いていなかった。デレクの装甲と同じように。
怪物は地を抉り、岩ほどの泥塊を投げ飛ばした。そして、泥に沈むデレクへと迫った。
そのとき、マルクスの残骸が立ち上がり、残った腕を彼女へと伸ばした。
アリラは距離を取り続けた。見えていなくても、掴まれれば逃れることはできない。
【イザベル】「止まりなさい!」
白い閃光が視界を横切り、風がアリラの髪を乱した。
【イザベル】「滅びよ、穢れし異形!」
稲妻をまとった大剣が振り下ろされ、死体の脚を水平に両断した。電光が繭のように絡みつき、マルクスの残骸は黒焦げの肉塊となって崩れ落ちた。
【アリラ】「イザベル…!」
涙が込み上げたが、ウォーデンは止まらなかった。
怪物へ向かい、大剣を振るう。
爪が骨と金属を軋ませ、剣を受け止める。しかし稲妻に痙攣し、武器を振り払った。煙を上げる肉を前に、イザベルは剣を引き戻した。
連撃を浴びせ、火花と稲妻が怪物を包んだ。
怪物は唸り、爪で剣を挟み込み、横へ捻じった。イザベルはよろめきかけたが、体をひねり直して体重を乗せ、武器を離さなかった。
火球が手に直撃し、怪物は悲鳴を上げて爪を離した。
ツンガが現れ、杖を地に突き立てた。顔色は蒼白で、足取りは揺れていたが、眼は炎のように燃えていた。
【ツンガ】「シャイタニ…俺たち、まだ倒れてない。」
アリラは仲間たちを見つめた。
彼らは立つのもやっとだった。それでも戦っている。
だが状況は依然として不利だった。
イザベルの剣も、ツンガの火球も効果を与えられない。唯一効いていたのはデレクの刃と――彼女の拳。
【アリラ】「……私もやらなきゃ」
拳を握り、二人の隣へ立った。
【イザベル】「アリラ! 危険です、下がりなさい!」
だが彼女は首を振った。
【ツンガ】「心、燃えてる。女、下がらん。」
アリラは頷き、怪物へ歩み出た。
怪物は鼻を鳴らしたが、動かなかった。
【デレク】「おいガキ、何してんだ!」
泥からNOVAを引きずり出し、不格好に構えるデレク。
【デレク】「クソッ、下がれ!」
だがアリラは止まらない。
――その時、怪物が後退した。
【アリラ】「……怖がってる?」
無数の眼が揺れ動いた。
【デレク】「おい、正気か? 今は史上最悪のタイミングだぞ。」
【アリラ】「私は大丈夫!」
【デレク】「大丈夫? 十メートルのゾンビ怪獣を素手で殴りたいのか? そりゃ大丈夫じゃねえな。」
NOVAの片腕で外を指す。
【デレク】「いいから歩け。背中向けて、今すぐだ。」
だがアリラは顎を固くし、前へ踏み出した。
【アリラ】「違う! 私、あいつを傷つけられる。見て、分かるでしょ!」
怪物は咆哮し、その声はまるで砕けたガラスが鋼を引き裂くようだった。
【ツンガ】「娘、正しい。獣、怯えてる。匂うぞ。」
【デレク】「俺の鼻に届くのは死体と糞だけだ。」
【イザベル】「デレク。共に攻めましょう。今こそ仕留める好機です。」
【デレク】「……こいつも一緒にか?」
【イザベル】「失敗すれば彼女も死にます。ならば共に立たせましょう。」
仲間の中でも、デレクが一番ひどい状態だった。
【デレク】「クソッ、この星はみんな狂ってやがる。」
アリラは彼を見つめた。
【デレク】「……分かった。俺の合図で全力だ。」
アリラは強く頷いた。イザベルとツンガも頷いた。
【デレク】「ガキ、お前が何できるか知らんが、死ぬなよ。」
【アリラ】「あなたも…」
【デレク】「やれるだけはやるさ。まあ賭ける価値なんざねえけどな。」
プラズマブレードが唸りを上げて点火された。
【デレク】「一…」
【デレク】「二…」
イザベルは剣を稲妻で包み、ツンガは火球を生み出した。
アリラは拳を握りしめた。
怪物は痙攣し、彼らの決意を察したかのように激昂した。
【デレク】「三!」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
アリラがついに仲間と肩を並べて戦いました。
次回、戦いの行方はどうなるのか――ぜひお楽しみに。
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