第79章: 裁きの黒雷
本章は激しい戦闘と衝撃的な展開を含みます。
イザベルの選択とエリアスの最期にご注目ください。
形なき怪物が突進してきた。世界そのものが揺れたかのようだった。家々が震え、大地がその重みに軋んだ。まるで現実そのものが支えきれないかのように。
デレクはプラズマブレードを構え、戦闘態勢を取った。
【デレク】「なんでこんなバカ強ぇんだ……?」
【ヴァンダ】「不明です。融合したアンデッドからエネルギーを吸収し、自己強化と再生を繰り返しているように見受けられます」
背筋に冷たいものが走った。あれだけのアンデッドが徘徊しているなら、燃料には困らない。本当にそうなら、打つ手は限られる。
怪物は数メートル先で、突然垂直に跳び上がった。
HUDが起動し、頭上でその軌道を捕捉した。
デレクはアクチュエーターを作動させて真上に跳躍。両手には、オレンジ色に輝くプラズマブレード。脚部の制御系は、かろうじて生きていた。
空中で、巨大な拳がかすめた。風圧だけで軌道が狂う。
横薙ぎに斬りつけ、歪んだ肉の塊を裂いた。
怪物はすぐ退き、間合いを取った。
同時に着地した――デレク、怪物、そして散った腐肉の塊。
NOVAの金属音と、肉が泥に叩きつけられる鈍い衝撃音が交錯した。
【デレク】「……フッ。わりと悪くねぇな」
イザベルが言っていた。斬り刻めば、何とかなるかもしれない。今度こそ、他のアンデッドに繋がる前に。
──けど、イザベルは?
怪物は痛みを一切見せず、ただ彼を見ていた。泥に沈んだ足で、じっとその場に立っている。
再び突進するかと思われたが、そうはならなかった。ただ、その場に留まった。
地面に落ちた肉片が痙攣した。細い脚のようなものが生え、蜘蛛のように這って主のもとへと戻っていく。
怪物はそれを吸収し、何事もなかったように取り込んだ。
【デレク】「クソが……。切り離したパーツを再吸収できんのかよ? ヴァンダ、止め方は?」
【ヴァンダ】「このエリアに満ちるエネルギーが、怪物へと流れ込んでいます。それにより強化と再生が促されています。最初に倒した時点から、周囲の力を取り込み始めたようです。この流れを断ち切らない限り、物理的な損傷は意味を持ちません」
【デレク】「……発生源や伝達経路に反応は?」
【ヴァンダ】「ありません。NOVAのセンサーでは検出できていません」
最悪だ。無限再生に加えて、さっきの一撃でもう装甲はズタボロだ。
怪物が拳を向ける。撃ってくる――!
デレクは即座に横へ飛んだ。
さっきまで彼がいた場所を、メロン大の飛翔体が貫く。一瞬だけ、それが見えた。
──頭部。
【デレク】「あのクソ野郎……エボンシェイドの死体の頭を弾にしやがったか」
胃が締まり、喉の奥に酸が込み上げる。
終わらせる。全部だ。たとえこの街ごと焼くことになっても。
燃え盛る瓦礫の壁から、火のゴーレムが現れた。まるで地獄から召喚された使者のように。溶けた拳で怪物に殴りかかる。
見た目は怪物より小さいが、炎という最強の武器を持っていた。
一撃ごとに爆発が起き、ツンガ・ンカタの火球のように炎が弾け飛ぶ。
怪物は三撃を受け、ほんの一瞬怯んだ。ゴーレムの拳が焼け焦げたクレーターを穿つ。
──だが。
怪物は怯まず、裏拳で反撃。ゴーレムを枯葉のように吹き飛ばした。
建物に激突して崩れ落ちる。
その隙を逃さず、デレクは跳んだ。
怪物の背中。ブーツが脈打つ肉塊にめり込む。
腕が上がる。虫を払うように振り下ろされる。
デレクは斬撃で迎え撃った。ブレードが火を噴き、肉塊を切り裂く。
焼けた肉片が地面に落ちる。
【デレク】「両腕落として、遠くに放り投げときゃ――」
激しく暴れた。犬がノミを払うように、全身を振る。
バランスを崩し、視界が回る。地面が迫る。
マイクロスラスターが点火。体勢を立て直しながら、減速。
なんとか着地。足元が揺らいだが、倒れはしなかった。
怪物が地面に落ちた腕を拾い上げ、まるでおもちゃのパーツのようにつなぎ直す。
数秒で、腕は動き始めた。
【デレク】「……ラチがあかねぇな」
口元に、にやりと笑みが浮かぶ。
【デレク】「作戦変更の時間だ」
【ヴァンダ】「デレク、お願い、無茶はしないで」
だが彼の耳にはほとんど届いていなかった。──ちょっとした“実験”の時間だ。
―――
【イザベル】「エリアス・モルヴェイン、お願い……」
地面に倒れたまま、震える手足で後ずさる。呼吸は喉で詰まり、視線は焦点を失って彷徨っていた。
死の《球体》。
──シエレリスが残していった、あの呪われた贈り物。
近くにあるはず。けれど、どこ?
エリアス・モルヴェインは彼女の上に立ちはだかっていた。
神への冒涜を体現したかのような、黒き影として。
──これが、罰。
異端者からそんな邪なるものを受け取った――
オルビサルの怒りに触れて当然だ。
信仰を捨て、神なき知恵にすがった者に、それ以上の罪などあるはずもない。
誘惑に負けた。
その報いとして、かつて神に仕えた男のアンデッドに裁かれる――当然のこと。
イザベルは両手を合わせ、そっと目を閉じた。
裁きを、受け入れる覚悟で。
【エリアス・モルヴェイン】「そうだ、祈るがいい……」
焼けた枯葉が崩れるような、かすれた声が響く。
その瞳に、炎が灯る。
【エリアス・モルヴェイン】「神に赦しを乞えば……もしかすると、再びその懐に抱いてくださるかもしれぬ」
彼の内に宿る《生》の炎。
常人では到底耐えられぬはずの激しさ。
なのに――その目はまるで、イザベルの奥底を見透かしていた。
もしかして……
これは本当に、オルビサルの御声なのだろうか?
もし、そうなら――この戦い自体、意味がない。
神そのものに、抗う術などあるはずがない。
──でも、なぜ?
なぜオルビサルは、逃げ場のない試練を与える?
どの選択肢を取っても、破滅にしか至らないのに。
あの《球体》は、まさに必要なときに現れた。
それは異端へ導くため? 信仰を嘲るため?
──違う。
それは、違う。
本当に、自分は罪を犯したのか?
イザベルは目を開け、死刑執行人を見上げた。
【イザベル】「……わかりません……」
かすれ声で呟いた。
【イザベル】「本当に……私は何を罪として犯したのか……。もし、あなたの中にかつての自分が少しでも残っているのなら……教えてください。せめて、何者だったのか知った上で、死にたい」
エリアス・モルヴェインは首をかしげて――
そして、微笑んだ。
その瞬間、笑い声を上げた。
イザベルは目を見開く。
──なに?
何が起きているの? どうして笑うの?
聖典にさえ、笑うアンデッドなんて出てこない。
エリアス・モルヴェインの笑い声はさらに高く、歪んでいく。
首を仰け反らせながら、ガラスが砕けるような音を立てる。
骸骨の体は風に揺れるボロ布のように震えていた。
イザベルは言葉を失い、ただその姿を見つめた。
そして――
【エリアス・モルヴェイン】「お前たち、本当に……哀れだな」
【エリアス・モルヴェイン】「死を前にしてもなお、幻想にすがっている」
彼は首を振り、笑みを歪めた。
【エリアス・モルヴェイン】「何も教えはしない。お前は無知のまま死ぬ。生きていたときと同じように、何も知らずに!」
イザベルは口を開いたまま、呆然とする。
──何を言ってるの?
《球体》の力に、精神を蝕まれたの?
彼女は手をついて、ゆっくりと体を起こした。
剣が、足元にある。
手を伸ばし――その重さが、妙に現実的だった。
【エリアス・モルヴェイン】「その玩具で、私を斬れるとでも?」
視線は自然と杖に埋め込まれた《球体》へと向く。
表面の亀裂から滲む緑のエネルギーが、蛇のように腕を這っていた。
イザベルは立ち上がり、剣を握り直す。
震える手で、気丈に言い放つ。
【イザベル】「……カシュナールが、あなたを止める」
【エリアス・モルヴェイン】「違うな」
【エリアス・モルヴェイン】「お前のカシュナールは、勝てぬ戦いに身を投じている。
あの怪物は、私が生かしている。
奴が倒れれば、次に死ぬのはあの粗野な獣だ」
心臓が冷たく沈んだ。
──デレクが、死ぬ?
──自分がこの男を止めなかったせいで?
──ツンガ・ンカタも? アリラも……?
皆が、死ぬ。
彼女を信じた者たちが、すべて。
胸の奥に、熱がこみ上げた。
それは信仰ではない。神でもない。
──怒りだった。
どんな罪を犯していたとしても。
どんな神に背いたとしても。
──関係ない。
絶対に、誰も死なせない。
チャクラが一斉に脈動した。
かつてオルビサルから力を授かっていた七つの点。
そこに今、全く異なる力が満ちていく。
──そう。
これは、彼女自身の力だ。
イザベルは深く息を吸い、心の奥に残るすべての力を呼び起こした。
【イザベル】「シエレリス!」
紫の霧が渦を巻き、密偵の姿が浮かび上がる。
イザベルは手を差し出す。
【シエレリス】「ふふ。今度はちゃんと持ってなさいよ」
そう言って、《球体》を落とした。
エリアス・モルヴェインの目が見開かれる。杖を握り、突進。
イザベルは《球体》を剣に押し当て、雷光も、怒りも、決意も――すべてを叩き込んだ。
剣の先端から、黒い雷撃がほとばしった。
エリアス・モルヴェインに直撃。
闇が彼を包み、繭のように締め上げる。骸が震え、傀儡のように跳ねる。
杖が落ち、床を転がる。
その瞬間、緑の光が薄れ始める。
《球体》の輝きが、煤けた灰に変わっていく。
そして――
体が痙攣を始めた。背が反り返り、四肢が捻じれ、引き裂かれるように。
骨が砕け、腱が裂ける。
顎が外れ、口は開いたまま――声はもう、出なかった。
闇がさらに締めつけ、異形の「生」を完全に絞り取った。
目の光が一瞬だけ明滅し――そして、消えた。
嗤いが、別のものに変わる。
驚き。
そして――哀しみ。
衣が焼け、煙が立ち昇る。
彼の唇が震えた。
【エリアス・モルヴェイン】「……すまない……」
その声はもう、怪物のものではなかった。
人間の、苦しみを含んだ声だった。
【イザベル】「……私も……」
小さく囁いた。
──そして、全力で斬りつけた。
彼女に残された全ての力を、振り絞って
エリアス・モルヴェインの首が宙を舞い、神殿の奥へと鈍く落ちる。
体は崩れ、最後に一度だけ痙攣して――動かなくなった。
気づけば、彼女は地面にいた。
どうやって倒れたのか、自分でもわからない。
頬をなぞるものがあった。剣が手から落ちる。指先で顔に触れる。
──濡れている?
……涙?
そんな……最後に泣いたのは、いつだったかすら思い出せない。
泣き方なんて、とっくに忘れていたはずなのに。
目の前に――腕を組んだシエレリスが、呆れ顔で言い放つ。
【シエレリス】「今は寝てる場合じゃないわよ、《ナーカラ》のウォーデン」
イザベルは見上げた。
彼女。
シエレリス。
異端者、密偵、誘拐犯。
──でも。
今この瞬間、イザベルが生きているのは、この女と《球体》のおかげだった。
【イザベル】「……あ、ありがとう……」
シエレリスは顔をしかめてため息をつき、手首を掴んで立たせた。
【シエレリス】「感謝なんていらないわ。立ちなさい。私が必要としてるのはウォーデンよ。水たまりに沈んでる女じゃない」
イザベルは足元をふらつかせながらも立ち上がる。
何を……この人は、何を求めているの?
シエレリスは剣を拾い、彼女の手に押し戻した。
その剣。
初めて、その剣を“本当の意味で”見つめた。今まで神のために振るってきた、その刃。
──でも、今日彼女を救ったのは、神ではなかった。
視線を、目の前の女へと向ける。
シエレリスは目を翻し、吐き捨てるように言った。
【シエレリス】「何突っ立ってるのよ? 早く行きなさい。あの友達を助けなきゃ。《デレク》でも《カシュナール》でも《メサイア》でも……名前なんてどうでもいいわ。それがなければ、彼は生き残れないわ」
シエレリスは、イザベルの手にある黒い《球体》を顎でしゃくって示した。
【シエレリス】「でも、それはブロンズ級よ。無傷でも、長く持てば確実に影響が出る。……早くなさい!」
イザベルは《球体》を見上げた。
それは闇の光輪を放ち、周囲の光だけでなく、色も、感情も、命さえも呑み込んでいく。
指先が、どんどん痺れていく。
──ブロンズ級の《球体》。
その力はすでに、腕のチャクラに触れていた。
このままでは、根を張られ、引き剥がせなくなる。
冷水のような思考が脳内を駆け抜ける。
氷の湖の下で空気を奪うみたいに、深く吸い込んだ。
シエレリスは無言で見守った。
【イザベル】「……《球体》!」
【シエレリス】「そう、《球体》。ようやく戻ってきたのね」
【イザベル】「う、うん! 行くわ!」
彼女は一歩、そしてもう一歩踏み出した。
──そして、駆け出す。
思考もまた、走り出す。
過去へ――そして、これからの自分へ。
エリアスの最期、そしてイザベルの覚醒。
書いていても胸が熱くなる展開でした。
次章ではデレクの戦いに戻ります。どうぞご期待ください!




