第76章: 最後の砦、寺院へ
今夜もお付き合いいただきありがとうございます!
次の展開に向けて、じっくり楽しんでいただければ幸いです。
獣たちの列は、まるで別世界のような静けさの中を進んでいた。鳴き声もなければ、虫を払う尻尾の動きもない。つまずきも、押し合いも、まったくない。
ただ、ひたすらに、容赦なく進み続けていた。
木々や建物が、そのアンデッドの群れに震えた。枝がばきりと折れて、地面に落ちる。ぬかるみに吸われたような蹄の音が、それでもはっきりと響いていた。
デレクには、それが動物の群れには見えなかった。むしろ、装甲車の隊列のように感じられた。彼はそういう映像を見たことがあった。遠い惑星の夜を、戦車が進むあの映像だ。
──遠い惑星の戦争記録で見た映像だ。まさか自分の目で見ることになるとは……。
二人が乗る太い枝が、わずかに軋む。
デレクは体勢をずらし、隣のシャーマンに目を向けた。
「なあ、ジャングル男。名案はあるか?あの連中の進路を変える手段、思いついたか?」
【ツンガ】「もう死んでる。恐れ、ない。」
「……まあ、そうかもな。」
──動物と見なすのは、やめた方がいい。行動パターンも、反応もまるで違う。
「……虫みたいだ。」
【ツンガ】「虫で、脅かす?」
デレクは首を振った。──やっぱ、コイツ頭おかしい。
けど、他に選択肢もねえ。息を吐き、決めたように呟く。
「よし。火だな。」
【ツンガ】「アリの列みたいだ。あそこ。」
「そう。で、アリの列を逸らすには?」
【ツンガ】「アリ、燃やす。変なとこ行ったら。」
「だが、あいつら痛みを感じねぇ。焼いても突っ込んでくるかも。」
【ツンガ】「本能。」
「……何?」
【ツンガ】「動物、強いのは本能。」
「面白いな。やつらにも、本能が残ってると仮定するわけか?」
【ツンガ】「かも。」
「……今、うなずいたよな?」
【ツンガ】「考え中だった。」
「お前なあ……」
【ツンガ】「火。」
「火以外にしろっつってんだよ!」
【ツンガ】「火、恐れる。本能。どの獣も同じ。火、得意。お前より。」
「じゃあ、火つけて、炎まみれのアンデッド水牛が突っ込んできたら?」
【ツンガ】「見たい。」
「……やっぱり、狂ってるわ。」
でも、他に方法もなかった。
「……よし。火でいく。」
【ツンガ】「うむ。」
──また笑った。あの、嬉しそうな狂った笑顔で。
―――
マルクス、アリラ、そして子どもたちの一団は、雨に洗われたエボンシェイドの通りを静かに進んでいた。
村の家々は背が低く、粗末な造りがほとんどだったが、ただ一つ──寺院の尖ったシルエットだけが、あらゆる場所から空を突いて見えていた。
背後から響く地鳴りは、徐々に重みを増していく。遠くで、小屋が何軒か──巨人に踏み潰されたかのように潰れた。
マルクスは通りを駆けていた。肩には巨大なハンマー。数歩ごとに振り返り、全員の姿を確認していた。
アリラはすぐ後ろ。片目に眼帯を巻いた少年の手を握って走っていた。
──同じくらいの年齢のはずなのに、怯えた表情のせいか、その子はもっと幼く見えた。
ふと気づくと、眼帯がずれて落ちかけていた。
彼女がしゃがんで直そうとしたとき、その下の目が──まったく無傷だと気づいた。
少年は軽く肩をすくめ、再び走り出す。さっきまで使えなかったはずの腕も、今では普通に動いていた。隣の子の腕も。
──なにかがおかしい。寺院に着いたら、ちゃんと確かめなきゃ。
そのとき、角を曲がった先に──影。
通りを塞ぐように立っていた。
アリラは「助け──」と声を出しかけて、すぐ口を閉じた。
骨が露出している。顔の皮膚の大半を失っている者もいた。
──アンデッド。
生気のない眼が、こちらを捕え──突っ込んできた。
【マルクス】「下がれッ!」
巨体を踏ん張り、両手でハンマーを構える。
【アリラ】「みんな、ここで待ってて!すぐ戻る、絶対に!」
少年が何か言いかけるが、年上の子が引っ張って後退させた。
アリラはマルクスの隣へ。拳を構える。──高く、硬く、準備万端に。
【マルクス】「これはお前の戦いじゃない。下がれ。」
──逃げたい。それが本音だった。頭の中で、心臓が爆音のように鳴る。だが──
【アリラ】「数で劣ってる。私も戦う。」
マルクスが何かを言おうとした、その瞬間──一体が跳びかかってきた。
ハンマーを構える余裕もない。
柄を掴まれ、そのまま押し潰されそうになる。
さらにもう一体、同じくマルクスを狙って突進──
【アリラ】「っ……!」
横から、全力で体当たりした。
──けど、止まらない。揺らぎさえしない。
まるで、彼女など視界にないかのように。
【マルクス】「うおおおおっ!!」
咆哮とともに、一体を投げ飛ばす。ハンマーが手を離れ、地面に落ちる。
二体は地面に倒れ、骨が砕ける音が鳴った。
マルクスは即座にハンマーを拾い、立ち上がろうとした個体の頭へ──
ゴンッ──! 脳漿が飛び散る。
四肢は痙攣していたが、意志は──もう、なかった。
稲光が空を裂き、雷鳴が響いた。
二体目が跳ぶ。
マルクスは蹴り飛ばし、泥の中に叩きつけた。起き上がる。──だが、そこにハンマーがあった。
【マルクス】「……すまん、ローランド。」
一閃。
アリラは目を閉じ──そして、開けた。
マルクスの穏やかだった顔は──今、血と泥と、名もなき何かに塗れていた。
雷光の下で、その姿はまるで地獄の獣のようだった。
……それでも。
彼は、いい人だ。
自分たちを助けるために──ただ、それだけで。
【マルクス】「行こう……もう少しで、寺院だ。」
―――
【デレク】「……おい、ツンガ。ほんとにこれ、うまくいくんだろうな?」
シャーマンは、黙ってうなずいた。
デレクは濁流と化した通りを見下ろす。
もはや、道ではなく川だった。
【デレク】「……お前の「物理学」がジャングル仕込みなのは知ってる。だがな、火は水で消えるってくらいは、さすがに理解してんだろ?」
ツンガは、感情を見せずに睨み返す。
【ツンガ】「魔法の火。燃やすと決めたら燃える。水、止められん。信じない限りはな。」
デレクはまばたきした。
──ああ、なるほど。それがこいつの「火」の扱いかたか。ジャングルごと燃やさずに操れる理由は、そこだ。
「信じればいい」──それだけ?
……ったく、NOVAのシステムとはまるで別物だな。
【デレク】「悪いが、俺は「水が火を消す」ってのを科学で学んでるんでな。」
【ツンガ】「じゃあ、その考え方をやめろ。」
【デレク】「……なるほどな。俺はお前ら宗教家みたいに、頭空っぽにするのは得意じゃないんだがな。」
ツンガは唸った。
【ツンガ】「もう話すな。時間ない。やるぞ。」
そう言うと、泥に膝をつき、呪文のような言葉を低く唱え始めた。
──この声だ。
あの日、ここに落ちてきた最初の日……耳にしたのと、同じ声。
何が来るか、デレクにはわかっていた。
暗黒の群れは、すぐそこまで迫っている。
あと、数秒。
止めなければ──誰も生き残れない。
「デレク?」
──ヴァンダの声が、耳の内側に響いた。
【デレク】「なんだ。」
【ヴァンダ】「本当に……この作戦を、実行なさるおつもりですか?」
胸の中で、心臓が爆撃のように鳴っていた。
今まで何度も死にかけた。だが今回は、自分一人じゃない。
【デレク】「……他に方法はない。」
一呼吸。
視界のHUDに、白い光が瞬いた。
──NOVA昇華プロトコル、起動。
―――
アリラは、不安げな目でマルクスの背中を見つめていた。
家の角から覗き込むと、目の前には最後の区間──開けた広場が広がっている。
遮るものは、何もない。
隠れる壁も、走って逃げ込める建物も、何一つ。
うまくいけば──あそこに入って、扉を閉じれば助かる。
中に何がいようと、それはその後の話だ。
今は、とにかく、選択肢がない。
アンデッドの群れはすでに周囲を制圧し、背後から迫ってきていた。
ジャングルに逃げ込む? 真夜中で、土砂降りで、獣の群れが徘徊してるってのに?──無理だ。
ここが最後の砦だった。
マルクスは眉をひそめ、雨の幕越しに前方を睨んでいる。
アリラと子供たちはその背に身を寄せ、息を殺した。
【アリラ】「何か……見えるの?」
マルクスはしばらく黙っていた。
そして、驚きというより、困惑に近い顔で呟いた。
【マルクス】「……変な鎧を着た男が、広場のど真ん中に立ってる。あと、原住民っぽい男も一人。──誰だ、あれは?」
【アリラ】「デレク!」
思わず声を上げて、数歩前に出る。
【マルクス】「おい、声を抑えろ!見つかるぞ!」
アリラは手を振り払い、目を凝らして確認した。
──間違いない。
ツンガが膝をつき、泥の中で体を揺らしている。
その前に立つ鎧の戦士──あれは、デレクだ。
まるで、アンデッドの大群に立ち向かうかのように。
それなのに、動こうともしない。
一歩も退かず、そこに立ち尽くしている。
【マルクス】「知り合いか?」
アリラは笑顔を浮かべてうなずいた。
【アリラ】「うん。カシュナール……デレク・スティールだよ。」
子供たちは息を呑み、彼女の隣に集まってくる。
あれがメサイアなのかと、目を見開いていた。
【マルクス】「あれが……?本当に、あいつか?」
アリラは、信じきったような顔で答える。
【アリラ】「きっと、考えがある。デレクなら……大丈夫。」
【マルクス】「じゃあ、あいつら何してるんだ?群れに押し潰されるのが見えないのか?」
マルクスは彼女を見つめ、そしてうなずいた。
【マルクス】「お前が信じるなら、俺も信じる。急ぐぞ。とにかく、寺院に入れば……まだ間に合う。」
彼は走り出した。子供たちもそれに続く。
アリラは振り返りながら走った。何度も──何度も、デレクの姿を確かめるように。
だが、彼は──ただ、立っていた。
あの嵐を前にして、まるで嵐の「核」そのもののように、静かに、確かに、そこにいた。
突然、マルクスが「うっ」とうめいた。
──まるで、何かにぶつかったような音。
アリラが振り返ると、彼は地面に倒れ、額を押さえていた。ハンマーは泥に埋もれている。
【アリラ】「どうしたの? 転んだの?」
子どもたちが彼女の背にぶつかり、立ち止まる。
マルクスは苦しげにうめきながら立ち上がり、手を前に突き出した。
【マルクス】「何かに……ぶつかったんだ。」
その動きは、まるで盲目の人が空間を探るようだった。
寺院までは──あと数メートル。
その背後では、アンデッドの獣たちが迫っていた。
濁った目、ぬかるみを蹴り上げる巨大な蹄、突き出た角。
彼らの足元で、建物はまるで紙のように潰れていく。
それでも──あの二人は動かない。
デレクとツンガ。
進路上に立ち尽くし、嵐が迫ってくるのを、ただ待っていた。
【アリラ】「急いで! もうすぐ来る!」
そのときだった。
かすかなハミング音とともに、緑の光が──マルクスの目の前に現れた。
彼が手を押し当てると、そこから波紋のように光が広がる。
【マルクス】「これだ……これにぶつかったんだ。」
【アリラ】「……結界?」
【マルクス】「……たぶん。見ろ、動くぞ。」
手を滑らせると、バリアはそれに合わせて静かに流れた。
隙間は、どこにもない。
【マルクス】「寺院全体を……囲ってやがる。」
【子ども】「なんで……?なんでこんな……」
【マルクス】「……わからん。こんな魔法、見たこともない。」
彼は両手をつき、力を込めた。
背中の筋肉が盛り上がり、顔が紅潮する。
押し出されるように、手のひらから幾重ものエネルギーの輪が放たれた。
アリラは息を呑み、見守る。
あの腕なら、牛車を丸ごと持ち上げることだってできるはず──でも。
緑の壁は、まったく揺るがない。
マルクスはうなだれ、息を吐いた。
【マルクス】「……だめだ。すまん、アリラ。山でも動かせるくらいの力が必要だ。」
彼女はうなずいた。心臓が、全力で警鐘を鳴らしていた。
そして皆が──振り返る。
迫りくる、終末の獣の群れ。
角が閃き、泥が跳ねる。大地が割れるような蹄の音。
だが──彼らは、まだそこにいた。
(沈黙のまま、嵐に立ち向かう。)
何も言わず、何も動かず。
ただ、あの怒涛の終焉に、立ち向かうように。
【マルクス】「……今、俺たちにできるのは──信じることだけだ。」
彼は膝をついた。
そして、胸の前で手を組む。
その視線の先には、二人の男がいた。
アリラも、彼の隣に膝をついた。
一人、また一人と。
十数の震える手が、静かな希望を求めて重なり合う。
【マルクス】「オルビサルのご加護を……」
【子どもたち】「オルビサルのご加護を……」
その瞬間。
──空に火花が散った。
まるで、目に見えない巨大なシャンデリアに、無数の蝋燭が一斉に灯ったかのように。
アリラは、息を呑む。
──これって……奇跡?
そして、空が──
炸裂した。
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