第69章: アンデッドに追われ、辿り着いたのは双子が眠る墓所
ジャングルの雨は、ただの水ではありません。
それは音を飲み込み、視界を曇らせ、そして――何かを隠します。
今回は、そんな雨の中でのお話です。
息を整えて、一緒に潜り込みましょう。
アリラは、濃密なジャングルを必死に駆け抜けていた。
心臓が胸を打ちつけ、『逃げろ』と叫んでいるようだった。
背後の爆発は、耳が割れるような轟音を響かせた。
空へと昇る黒煙が、ただの事故ではないことを物語っていた。
……何かが燃えている。
――デレクが、巻き込まれていたら?
その想像が胸を突き刺した。
でも、彼は……《カシュナール》。
《オルビサル》に選ばれた、世界を救う《メサイア》。
信じなきゃ。
イザベルも、彼も、きっと大丈夫。
信じるの。だから走るのよ――!
シエレリスは雨の中、霞んだ影のように先を進んでいた。
蔦と木々の間をするりと抜け、まるで幻のように形を保たない。
空からは、容赦ない雨。
アリラの服は肌に張り付き、息苦しくて、重くて――冷たい。
靴はぬかるみの上で滑り、バランスを崩しそうになるたび、
ジャングルの植物が、彼女を引きずり込もうとするかのように絡んできた。
枝が頬に触れるたび、びくっと身体が震える。
……それが「彼ら」の手だったら? アンデッドの――。
朽ち果てた骸、虚ろな目。
思い出すたび、凍てつく恐怖が血を冷やす。
違う。考えちゃダメ。
とにかく、シエレリスに――追いつかなきゃ!
彼女を見失ったら、終わりだ。
この死者の巣窟でひとりなんて……。
ツルのカーテンを押しのけると、目の前にひらけた空間が広がった。
シエレリスはすでに、灰色の石造りの建物群へ向かって駆けていた。
【シエレリス】「急ぎなさい、坊やたちが追いつくわよ!」
雨と雷が会話を打ち消していく。
アリラは答えず、息を荒げながらあとを追った。
アンデッドがどこまで迫っているのか――わからない。
全員、デレクの方へ向かったのか?
それとも……こちらを追ってきているのか?
どちらだって、最悪だ。
シエレリスが突然、足を止めた。
雨の中、低い木の門の前で立ち尽くしている。
その奥には、ずんぐりとした石造りの建物。
アリラは荒く息を吐きながら追いつき、怒鳴る。
【アリラ】「なんで止まるの!? ここ、隠れる場所じゃないよ!」
シエレリスはびしょ濡れの髪を頬に張りつかせたまま、
まるで誰かの夢でも見ているかのような顔をしていた。
その手が、震えながらも扉の方を指し示す。
アリラはその先を見る――
家じゃない。物置小屋でもない。
それは……墓所だった。
心臓がズン、と跳ねた。
ツタの絡んだ石壁。
扉の上には、燃える瞳と折れた十字の印。
その下に彫られた名。
《ブラックヴェイル》。
シエレリスは、その刻印を指先でなぞるように撫でた。
まるで、それが呪文の一節でもあるかのように。
アリラは息を飲み込む。
こんな場所に逃げ込むなんて――バカげてる。
死者が蘇る今、この場所は……洒落にならない。
周囲を素早く見渡す。
鍛冶場。家屋。――あそこなら……!
百メートルほど先に、数軒の家と鍛冶場らしき建物が並んでいた。
数秒走れば辿り着ける距離。
でも、もし扉が閉まっていたら?
その間にアンデッドが追いついたら?
アリラが振り返ると、藪が揺れた。
枝がざわめき、何かがそこを押しのけて進んでくる。
……来た。
アンデッドが、追ってきている!
時間がない!
シエレリスが門を蹴り飛ばし、扉の取っ手を掴んだ。
アリラは立ちすくむ。
こんな場所に、入りたくない。絶対に――。
でも、もう他に道はない。
家まで逃げる時間は……ない。
【アリラ】「……くっ……」
彼女は歯を食いしばり、駆け寄った。
重い鉄の取っ手を引き――ギギ……と軋む音が鳴る。
ようやく開いた隙間へ滑り込み、扉を引き閉めた。
バンッ!
深く重たい音が、墓所の奥にまで響き渡る。
アリラの肺が固まり、呼吸が止まった。
隣では、シエレリスは動じる様子もない。
……もし見られていたら、その時点で終わりだ。
中は……冷たく、静かだった。
だが、空っぽじゃない。
何かが、息を殺している――そんな感覚があった。
壁のくぼみには、縦長の石棺。
崩れかけたゴシック様式のアーチに囲まれて、並んでいる。
その上で、青白い結晶が微かに脈動し、死人のような色で空間を照らしていた。
この扉。灯り。
誰かが……あるいは何かが、最近ここにいた。
床は不揃いなスレートのタイルで敷き詰められており、
踏み出すたびに、不気味な音が反響する。
刻まれた名前はどれも風化していたが――
すべて、同じ名前で終わっていた。
《ブラックヴェイル》。
アリラは震える息を吐き、周囲を見渡す。
予想よりも広い内部の最奥――細い階段が、さらに下層へと続いていた。
水面に浮かぶ霧のように、あの青白い光がまた揺らめいている。
【シエレリス】「……風、ないわね」
囁きながら、影という影を目で追っていく。
【シエレリス】「つまり、通気口も裏口もないってこと。
見つかってなければいいけど……逃げ道はゼロよ」
アリラは無言で頷いた。
けれど、心は騒がしい。
雨音と雷鳴が外の音をかき消してくれている。
けれど、念には念を入れて……沈黙こそが、今の盾だ。
濡れた服が皮膚に張り付き、墓所の冷気が息と一緒に身体へと染み込んでくる。
アリラは両腕で自分を抱きしめ、肩をさすった。
寒さと恐怖と怒りが、入り混じる。
何もできない。
今はただ……扉が叩かれないことを祈るしかない。
彼女は静かに歩き出す。
――何か武器になりそうなものを探して。
シャベルでも、ツルハシでも……何でもいい。
壁のくぼみをひとつずつ見て回る。
だが、そこにあるのは――ペンダント、色とりどりの石、色あせた人形……どれも役に立たないものばかり。
けれど、それらはただの飾りじゃなかった。
贈り物。死者への、供物。
……彼女は誰かから贈り物をもらったことなんて、一度もなかった。
階段の上の石板に、刻まれた文字が目に入る。
オーレリアとマリン・ブラックヴェイル
我らが最愛の小さな星たち
共に生まれ、共に眠る
早すぎる別れ、だが決して離れず
アリラは指先で文字をなぞった。
小さな女の子たち。双子かもしれない。
一緒に死んで……今も、両親が供物を捧げているのかもしれない。
……ひどく、悲しかった。
シエレリスが隣に現れ、声を潜めて囁く。
【シエレリス】「たぶん、バレてないわ。
本当に見られてたら、もうとっくに扉を叩き壊しに来てるはず。
今は、安全。しばらくは、ここで大人しくしていましょ」
【アリラ】「……デレクなら、きっと勝てる。アンデッドを倒して、私たちを……迎えに来てくれるよ」
シエレリスが片眉を上げる。
【シエレリス】「「私たち」? ……あの人、私のことなんて眼中にないわよ」
【アリラ】「そんなことないよ。
イザベルと話してるの、聞いたことあるもん。
殺そうとした相手だって、死ねば悲しむ。彼は……そういう人だよ」
シエレリスは首をかしげて、じっとアリラを見つめる。
【シエレリス】「……ほんとに? それは、意外ね」
【アリラ】「なにが?」
【シエレリス】「だって、あれだけ武装してるでしょ?
あの巨大なアーマー、武器もいっぱいつけてさ。
てっきり、殺しに慣れてる人かと思ってたのに」
【アリラ】「得意でも、好きとは限らない。
……彼には、選ぶ余地なんてなかったのかも。
世界が、そうさせたんだよ」
シエレリスは感心したように頷き、ふと視線を落とす。
【シエレリス】「で、武器探してたのよね? 何か見つけた?」
【アリラ】「ううん。供物ばっかりだった。
ほら……このブレスレットとか」
シエレリスがしゃがみ込み、それを指先で持ち上げる。
【シエレリス】「……あら懐かしい。これは《死の教団》の供物ね。
《静天の長夜》――夜がいちばん長くなる日。
その日に、こうやって贈るのよ。
魂が、また帰ってくるって……そんな信仰」
【アリラ】「えっ……なんでそんなの知ってるの?」
【シエレリス】「昔の知り合いにね、同じ教団の人がいたの。
ここでは秘密にしてるけど、《覚醒の鎖》では自由。
……話すだけで罰せられるなんて、時代錯誤でしょ?」
アリラは部屋を見回す。
【アリラ】「……でも、全然秘密っぽくない。堂々と飾ってある」
【シエレリス】「エリアス――この墓所の神父ね。あの人、たぶん全部知ってて黙ってたのよ。
《オルビサル》の名を唱えてさえいれば、見て見ぬふり。
それが「信仰」の現実ってやつ」
【アリラ】「イザベルは、そんなことしない!」
シエレリスはくすりと笑う。
【シエレリス】「ふふ……じゃあ、あなたの《デレク》は?」
【アリラ】「か、彼は私のじゃないっ!」
【シエレリス】「そう? でも、まだ答えてないわよ?」
【アリラ】「……彼は、そういうの全部くだらないって言ってる。
儀式も、宗教も、全部」
【シエレリス】「……なるほどね。
宗教を信じてない《メサイア》。これは面白くなってきたわ」
【アリラ】「私は芽生えだし……
難しいことは、ユリエラ様に聞いてよ」
【シエレリス】「あら、残念。あの人、私の話なんて聞いてくれないわね」
髪を雑巾のように絞りながら、つぶやく。
【シエレリス】「正直言うとね。
一番シンプルな答えは――
彼が本当に《カシュナール》じゃないってこと。
だとしたら……この墓所に閉じこもったの、ほんとバカみたいね」
アリラの拳が震える。
【アリラ】「「バカみたい」?
あなた、私の喉に刃を当てて、こんな場所まで連れてきたのよ!?
誘拐して、命まで賭けさせて……それで何? 「観察」?
ユリエラ様でさえ分からないのに、あんたになにが分かるのよ!
ほんとに狂ってる。
あなたは残酷だ!」
シエレリスは、わざとらしく爪を眺めながらつぶやいた。
【シエレリス】「あら、ごめんなさい?
ちょっとだけ……大胆すぎたかしら」
墓所をぐるっと見渡しながら、苦笑を浮かべる。
【シエレリス】「でもさ、あなたたちの《聖者》たちが判別できないなら……
実戦で判断するしかないんじゃない?」
アリラの胸が、怒りと不安で軋む。
胃の奥がねじれ、視界が熱でかすむ。
【アリラ】「……誰かが死んだら、どうするの!?
デレクだって、イザベルだって、ツンガだって……!
誰が犠牲になるか、分かんないのに……!」
【シエレリス】「ちょっと、落ち着きなさいってば」
手を上げて制するようなポーズ。
【シエレリス】「アンデッドをここに呼んだのは私じゃないの。
《生命》の《球体》が墜ちて、砕けた。それだけ。
エリアス神父が回収できなかっただけよ。全部、偶然」
【アリラ】「でも、あんたが私を連れてきたの!」
【シエレリス】「……誰かが対処しなきゃ、でしょ?
《教会》は、いつまでたっても動かない。
だから、私がちょっとだけ――火をつけたの」
彼女はひらひらと手を振る。
まるで全部、虫けらのように。
【シエレリス】「でも、今ならデレクとイザベルが来てる。
援軍も来るでしょ。《聖衛団》が総出かもしれないわね」
アリラは歯を食いしばった。
「タニアを倒したあの一撃……今使ってみてもいいかも。」
【???】「……けんか……やめて」
……違う。今の声、シエレリスじゃない。
何かが、おかしい。
幻術師の身体が硬直し、瞳が見開かれる。
……あの声は、彼女のじゃない。
アリラの心臓が跳ねた。
――子供の声。
階段の下から……聞こえた。
もうひとつの声が、重なる。
今度はしゃがれた、年上の声。
【???】「うん、オーレリアの言うとおり……
友だちって、けんかしちゃダメなんだよ。
ねえ、仲直りして……上でいっしょに、あそぼ?」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると嬉しいです。
次回もお楽しみに。




