第54章: 芽生え(スプラウト)と刃の教室
ようこそ、読者の皆さん。
今日は少し静かな始まりです。だがその静けさの奥では、歯車が音もなく狂い始めています。
誰かが変わろうとしていて、誰かが壊れかけていて――そして、誰かが気づかれないうちに命を落とすかもしれない。
心して読んでください。デレクの決断は、想像以上に重い代償を伴います。
デレク・スティールは、ロスメアの《芽生え《スプラウト》》の門の前で立ち止まった。
こういう場所は――虫唾が走る。
若い頭を律儀な信者に仕立て上げる、聖なる洗脳施設ってやつだ。
……まあ、今はまだ、“必要な悪”ってやつだな。
アリラが、まだ“考える”ことを忘れてなければいいんだが。
入ってから、まだ数週間しか経ってないしな。
建物の高い石壁には、教会の紋章とオルビサルが《球体》を下賜する場面がご丁寧に刻まれていた。
歩み寄ると、金属の鎧に身を包んだ衛兵二人が前に出てきて、手を挙げて制止してきた。
デレクは、片方の口角だけを上げてにやりと笑った。
――わざとらしさ全開のやつだ。
「ある見習いに会いに来たんだが?」
一人、黒い髭に白髪が混じったベテランっぽい男が顔をしかめた。
「中に入れるのは教官か奉仕係だけだ。あんた、どっちにも見えん。」
ああ、完璧だな。
NOVAなしじゃ、当然誰も気づかないってわけか。
《砦》の中なら、今や誰でも顔を知ってるが――
ロスメアの人間の多くは、あの日の式典でしか彼を見ていない。
しかもそのとき、ほとんどヘルメットを脱いでいなかった。
NOVAをイサラと修理ボットたちに預けてアップグレード中に、
「ちょっと様子を見に行くか」と思いついた――
……が、いま思えばクソみたいな判断だったかもしれない。
まあ、たまには目立たずに行動できるのも悪くない。
彼は頭をぼりぼりかいた。
「ま、言ってることは正論だな。俺は教官にゃ向かねえし、掃除も嫌いだ。
でも中に入れねえなら、見習いの方をここに呼んでくれ。
ちょっと挨拶するだけ。5分で終わる。」
衛兵はデレクをじろじろ見てから、首を振った。
「無理だ。訓練中だからな。」
訓練?
祈りだの説教だのじゃなくて、筋トレか?
……まあ、身体を鍛えてる方が、マシかもな。
―――
【イザベル】「何事ですか?」
甲冑を纏ったイザベル・ブラックウッドが姿を現す。
ヘルメットを腕に抱え、金髪が肩から滝のように流れていた。
彼女の歩みには迷いがなかった。
衛兵たちは姿勢を正して、直立する。
髭の男が報告した。
「い、いえ、ブラックウッド隊長。この者が中に入ろうとしたので、今まさに制止を…」
【イザベル】「そう。……本当なの?」
デレクに視線を向ける。
【デレク】「……まぁな。」
(どうでもいいさ。今日はただの見学だ。別の日に来りゃいい。)
彼女は衛兵たちに向き直った。
声には冷たい鋼の芯があった。
【イザベル】「これが――カシュナールに対する、あなたたちの対応ですか?」
衛兵たちの顔から血の気が引いた。
デレクに視線が集まると、彼は手を振って愛想よく笑った。
【デレク】「やあ。」
「し、知らずに……まさか……そんな……」
衛兵たちは狼狽える。
【イザベル】「もういい。聞きたくない。道を開けなさい。」
彼女は重たい金属の取っ手に手をかけて、ぐっと押し開けた。
軋む音とともに、巨大な門が開いていく。
【デレク】「ナイス登場だな、ワーデン様。」
【イザベル】「……」
【デレク】「遅かったな。」
彼は彼女に追いつきながら、軽く肩をすくめて言った。
【イザベル】「……遅れました。ツンガ・ンカタが、またギャラス・ドレイヴンを殺しかけたのです。」
【デレク】「あの野蛮人に、“ここはジャングルじゃない”って何度言っても通じねえな。」
彼は顎をかきながら、ぼやくように言った。
「……でも気持ちはわかるよ。ギャラスの調査、思ったよりしつこい。
もう『ラプターに乗った部族の戦士を見た』なんて証言も出始めてる。
ちょっとした証拠一つあれば、ナキシ族を潰す理由になる。」
【イザベル】「ええ。
そして“報復”が始まるわ。しかも――
カシュナールへの襲撃が発覚した時点で、それは“戦争行為”と見なされる。」
彼女の声は冷静だが、その奥には緊張があった。
【イザベル】「そしてその矛先がジャングルに向けられれば……疑われるだけでも、
村は焼かれ、戦士だけでなく民までが殺される。
ナルカラ全域が、血に染まるでしょう。」
彼女は息をついた。
【イザベル】「私たちは、“ジャングルの民は無力で、従うだけの存在”だと思い込んでいた。
でも私は、彼らのシャーマンが現実を歪めるのをこの目で見た。
戦士たちは戦うために生まれてきたように動く。
教会があそこに軍を送ったら、ただの遠征じゃ済まない――
地獄よ。両陣営にとって。」
【デレク】「……同感だ。
間近で体験したからな。やつらの戦い方、想像以上だ。」
【イザベル】「これは“戦争”よ、デレク。
砦の高官たちが描くような、綺麗事の“聖戦”なんかじゃない。」
【デレク】(皮肉な笑みを浮かべながら)
「たとえば……ウリエラ。」
イザベルは周囲を見回し、声をひそめる。
【イザベル】「だからこそ、あの遺体は川に流したの。
流れが速かったから、なるべく遠くへ運ばれてるはず。」
【デレク】(動揺しながら)
「……それ、聞いてなかったぞ。
てっきり、アイツが自分で落ちたんだと……
目が覚めたときにはもう遅くて、戻ったら目立つだけだと思って――」
【イザベル】「あなたの判断は正しかったわ。」
彼女は真っ直ぐな目で頷いた。
「でも私たちは、先手を打たないといけないの。
一本の糸がほどければ、この地方全体が炎に包まれる。」
デレクは喉を鳴らして唾を飲んだ。
湿った空気なのに、喉はひりついた。
銀河中の遺跡を盗み歩いてきた男が、今ここで――
やけに窮屈な現実に押し潰されそうになっていた。
でも今回は違う。
隠しているのは、犯罪じゃない。
“死体”だ。
“殺し”だ。
しかも、やったのは――自分だ。
【イザベル】「ツンガが言ってたわ。カトのこと……
あなたが、どう思ってるか。」
【デレク】(言いかけるが、手で制される)
【イザベル】「待って。
もしあの時あなたが止めなかったら――
今ここにいるのは、私じゃなくて“遺体”だった。
今、私たちが“戦争を止めよう”としてるのも、あなたが止めたからよ。
あれで流れは変わった。」
【デレク】「……教会の誰かが、命令を出してたってことか?」
【イザベル】(小声で、目を伏せながら)
「……わからない。けど、可能性はある。」
【イザベル】(周囲を再確認して、少し近寄る)
「この話は、ここじゃできない。
あとで《砦》の天文台に来て。
私が、安全を確保しておく。」
中では、見習いたちが一列になり、
型のような動きを正確に、流れるように繰り返していた。
【デレク】(心の声)
……おいおい、なんだこの完成度。
本当に見習いか?あの動き、年季入ってるぞ。
一糸乱れぬ連携。無駄のない動き。
全員が、まるで一つの生命体のように動いていた。
……ただし、一人を除いて。
アリラだけは、明らかに浮いていた。
顔は真っ赤、動きもぎこちない。
他の子の動きをチラチラ見ながら、必死に真似しているが――
切り替えのたびに遅れてしまう。
【デレク】「何の訓練だ、これ?」
【イザベル】(淡々と)
「規律と集中の鍛錬です。精神と肉体のために。」
【デレク】「……軍隊みたいだな。」
【イザベル】「そうです。」
【デレク】(腕を組み、皮肉気に)
「てっきりここは修道院みたいなとこだと思ってたよ。
一日中祈って、本でも読ませて、目が潰れるまで神様崇める場所だと。
……まさか、戦争に送り出す気じゃねぇだろうな?」
【イザベル】(視線を向けて、首を傾げる)
「デレク、この世界に来て、どれくらい?」
【デレク】「長くねぇな。」(肩をすくめて)
【イザベル】「その間、何度命を狙われました?」
【デレク】「数えてねえ。」
【ヴァンダ】(耳元で)
「9回です。」
【デレク】「今じゃねえよ。」
【イザベル】(ため息交じりに)
「つまり、ここがどれだけ危険か分かってるということですね。」
【デレク】「違うな。宇宙が俺を嫌ってるだけだ。」
【イザベル】(空を見上げ、祈るように)
「オルビサルよ……どうかこの愚か者に御加護を。」
【イザベル】(顔を戻して)
「これは陰謀でも天罰でもないの。
あなたが《メサイア》みたいな格好でナルカラのジャングルを歩き回り、
教会を嫌う部族のど真ん中で、
人も動物も植物も――ありとあらゆるものを怒らせたからよ。」
(少し間を置いて、冷たく)
「驚いた?当然よね。」
【デレク】(咳払い)
「まあ、言われてみりゃ……でも最初に襲ってきたのは、あの蔓だったからな?」
【イザベル】「だからこそ、準備が必要なの。
この世界は危険だし、ここは特に危険な土地。
若者たちは、何が起きても対応できるように育てる必要があるの。
身体も心も鍛えて、《球体》の力をチャクラで受け止める準備を。」
【デレク】(生返事で)
「はいはい、ごもっとも。」
……でも、もう頭は話から離れていた。
――アリラが、転んだ。
複雑な動作の途中でバランスを崩し、尻もちをついた。
他の見習いたちは、何事もなかったかのように動きを続けた。
誰も笑わない。誰も助けない。
響いたのは、甲高い怒鳴り声だけだった。
「アリラ!立ちなさい!」
その声の主は、小柄で雪のように白い肌と銀髪を持つ女。
動かなければ美術品だが――声は、金属で耳を引っかくように鋭い。
気づけば、デレクの体は動いていた。
扉は後ろで閉まり、彼はもうアリラの隣で膝をついていた。
【デレク】(手を差し出しながら)
「立てるか?」
【アリラ】「は、はい。ありがとうございます……」
彼女は手をすぐ離し、目をそっと教官の方へ向けた。
「大丈夫でした……自分でできたのに。ありがとう。」
……数週間で、別人になってやがる。
こいつ、こんなに固かったか?
【デレク】(心の声)
軍隊ジョークだったはずが、マジでそうだったとはな。
これは……洗脳じゃねえか。
【???】「あなたは、誰ですか?」
教官の声が背中に突き刺さる。
【デレク】(無視)
たった二言で人をブチ切れさせる才能ってのがある。
たぶん、この女は《球体》から“嫌われスキル”でも貰ってるんだろう。
【教官】「お答えなさい。」
声がさらに尖る。
【デレク】(ニヤリと皮肉な笑み)
「はは、分かってるよ。
『この男、何様?勝手に入ってきて、見習い助けてんじゃねえ』って思ってんだろ?
“救世主”気取りか何かだとでも?」
【イザベル】(歩み寄りながら)
「この方は、カシュナールです。主任教官。
ご迷惑をおかけしました。すぐ退出します。」
少女たちが一斉にデレクを振り返り、口を開けたまま固まる。
【教官】「訓練を止めないで!」
教官の声が一喝する。
少女たちは慌てて動きを再開した。
アリラもその中に戻る――
だが、その表情には確かな“芯”が宿っていた。
【デレク】(心の声)
……そうだ。それでいい。
誰に何を言われようと、前を向いて続けろ。
彼の胸に、わずかな誇りの火が灯る。
【イザベル】(そっと彼の腕に触れて)
「行きましょう、デレク。
見学だけのつもりだったでしょう?邪魔になるわ。」
【デレク】「……ちょっと待て。」
【デレク】「おい、アリラ!」
(動きを止めない少女に向かって)
「よくやってるぞ。そのままいけば、すぐ一番だ。」
アリラは動きを止めず、前を向いたままだが――
ほんの一瞬、口元がふっと緩んだ。
それだけで、十分だった。
【デレク】(教官の方を振り返り、目をそらさずに)
「聞いとけよ。」
声のトーンは変えず、それでいて部屋中に響くように。
「アリラは、家族を全部――しかも最悪の形で――失った。
でもな。
もし、今あの子がこの世界に一人ぼっちだと思ってるなら……
お前は、大間違いだ。」
彼は教官の顔に目を凝らす。
同情?――皆無。微塵もなかった。
【イザベル】(そっと彼の腕に触れながら)
「大丈夫よ、デレク。
この教官は、規定どおりに指導してるだけ。
私も、同じように育てられたわ。ここでは、これが“普通”なの。」
【デレク】(鼻で笑いながら)
「それじゃ、こっちの世界がぶっ壊れてるのも納得だな。」
【教官】(声は冷静だが硬い)
「私は全ての生徒に責任を持っております。
ご心配は無用です。
カシュナール様には、もっと重大なお務めがあるはず。」
【デレク】(一歩も退かずに)
「いや、それは違うな。
俺にとっては――このことも、“重大事項”の一つだ。
……しっかり覚えとけ。」
教官は、ごくわずかに頷いた。
【デレク】(踵を返して歩き出すが、ふと止まる)
……ん?
訓練場の隅に、見覚えのある少年。
【デレク】「おい、トーマス?……なんでお前がここに?」
少年は真っ青になり、抱えていたタオルの束を落としかける。
【イザベル】(落ち着いて説明する)
「トーマスは、今《芽生え《スプラウト》》で奉仕活動中です。
例の件、聞いたでしょう?
少し“反省”させた方がいいと思いまして。」
【デレク】(眉をひそめ、半信半疑で)
「なるほどな…」
【イザベル】(きりっとした目で)
「何か不満でも?」
【デレク】(ニヤリと笑って)
「いや、大賛成だよ。
女の子ばっかのとこに放り込まれたら、
ある“ワーデン様”への淡い恋心も、すっかり冷めるだろうしな?」
トーマスは真っ赤になり、タオルを床にぶちまけた。
見習いたちの中から、クスクスと笑い声が漏れ始める。
数人が動作を崩してしまう。
【デレク】(満足げに)
「ほらな、ちゃんと笑えるじゃねえか。
……まだ“人間”らしさは残ってるってことだ。」
教官は歯を噛みしめたような表情をしていたが、何も言わなかった。
【イザベル】(デレクを睨んで)
「そろそろ行きましょう、カシュナール殿。
私たち、もうここでは邪魔でしかありません。」
【デレク】(芝居がかった調子で)
「御意に従います、ワーデン殿!」
彼は深々とお辞儀して、
顔を上げたタイミングでアリラにウィンク。
アリラは、はっきりと笑った。
【デレク】(心の声)
……うん、これでいい。
彼女は“まだ”戦ってる。
この世界に押し潰される前に、何かを守らなきゃならねぇ。
……ただし、その分、敵も増えたな。
あの教官は、今ごろウリエラかその取り巻きに――
この出来事を逐一報告してる頃だろう。
動くなら早い方がいい。
でなきゃ、背中にナイフが突き立つ日も遠くない。
イザベルは――
ナイフを背負ったまま、笑って戦う羽目になる。
―――
二人は中庭へ戻る。
滑らかな石壁と芝生、重たい扉。
両脇には、さっきの衛兵たち。
【イザベル】(小さくため息)
「……本当に、あれでよかったのですか?」
【デレク】「ああ?アリラが一人じゃないって見せつけたこと?
それとも、“勝手に扱える存在じゃない”って、釘を刺したことか?」
【イザベル】(冷静に)
「違います。
あなたが、彼女に対して“どれほど想っているか”を――
あそこまで、誰の目にも明らかにしたこと。」
【デレク】(目を細める)
「……彼女を守るためだ。」
【イザベル】(静かに、でもはっきりと)
「わかっています。でも、他の人も気づいたわ。
あなたがアリラを“大切にしている”って。
……つまり、あの子を傷つければ、あなたを傷つけられるということ。」
【デレク】(額に手を当てて)
「……クソ。俺はバカか。
誰かが、あの子を――」
【イザベル】(口を開きかけた、その瞬間)
石壁が――淡い青い光に、点滅する。
二人は同時にそちらを向いた。
模様のような光が、壁に浮かび上がっていく。
最初は、ただ濡れているような“滲み”だった。
だがそれは、輪郭を持ち始め――
奥行きが現れ、そして――
【デレク】(目を細めて)
「……あれは、後頭部?」
映っていたのは――誰かの後ろ姿。
しかも――見覚えがありすぎる。
巻き髪。
道具が床に落ちる、ガシャガシャという金属音。
【デレク】「おい、イサラ?」
【イザベル】「魔術的な投影です。
緊急用の通信――めったに使われないもの。」
【???】「誰!? 誰が呼んだの!?」
【デレク】(まばたきして)
「おいおい、連絡してきたの、お前だろ。……気づいてないのか?」
【デレク】「おーい、こっち。後ろだって!」
女性は飛び上がるように振り向き、
壁の向こうから、彼に目を見開いて叫ぶ。
【イサラ・ミレス】「あああっ!? もう、びっくりさせないでよ!!
ちょうど連絡しようとしてたの!連絡くれて、超ラッキー!」
【デレク】(頭をかきながら)
「いやいや、お前がかけてきたんだろ……って、もういい。
何があった?」
【イサラ・ミレス】(そわそわしながら、髪をわしゃわしゃとかく)
「ヴァンダのことよ、デレク……」
【デレク】(表情が凍る)
「……ヴァンダが、どうした?」
【イサラ・ミレス】(一瞬ためらい、そして一気に)
「ヴァンダ、たぶん……死んじゃったのよ!」
アリラはまだ戦っています。でも、もう“守られるだけ”の存在ではありません。
誰かの希望であるということは、同時に誰かの標的になるということ。
そしてその矢は、すでに弦にかかっているかもしれません。
――ですが、それ以上に深刻なのは、ヴァンダの異変。
次回、「彼女」は本当に……?
物語が気に入っていただけたら、評価やブックマークで応援してもらえると、とても励みになります!
続きは、第55章で。




