私の天使はグランドに
昨日は一ノ宮くんが暴走して私の初連載“浪漫少女・ミステリヰ”は投稿できなかったけど、実は今朝登校前にこっそり投稿してきたのだ。
初めての連載。長く続けないと読者はつかないって鬼塚くんが言っていたのを思い出す。そう、これからが正念場だ。
放課後に携帯端末で閲覧数を確認してみれば20人と少し、きっとさっこみゅ内の作品では少ない方だろう。しかし、読んでくれる人がいると分かるだけでなんだかわくわくしてしまうものだ。
いつもよりやる気は5割増し、さあこれから部室へ、と立ち上がればジャージ姿の美加ちゃんに肩を叩かれる。
ストレートの髪を低い位置に一本でまとめているその姿は、ジャージでも王子様のようで。しかし、大きな口をへの字に曲げて私を訝しげに見つめている。
「桃~! なんだか最近イケメンたちと空き教室に籠っているらしいじゃん?」
「え、うええええ? なんで、どうして知ってるの?」
美加ちゃんは噂とかには滅法疎く、興味がないタイプだ。それなのに私がさっこみゅ部に入部したことを知っている。
いや、さっこみゅの存在は知らなくて、私がイケメン二人とよからぬことを企んでいるのかと思っているのかもしれない。
ど、どうしよう。考えてみれば私のような平凡な学生がファンクラブもあるイケメンと同じ部屋に入っていくのは不自然だ。
美加ちゃんがどう思っていようとも困る。なぜなら創作は幼馴染の美加ちゃんにも内緒なのだから。
「いやあ、なんか新規のファンクラブの子が言ってきてね。“遠藤さんとはどんな関係なんですか? 遠藤さんはC組の鬼塚くんと空き教室に入り浸っているんですよ!”みたいな感じで泣きだしちゃってさぁ……」
「な、泣いてたの?」
「よくわからなかったけど、美加様がおかわいそうです~とかなんとか。アンタそのイケメン集団と私になんかしたカンジ?」
身に覚えのない話に私は頭を捻る。美加ちゃんとの関係なんて近所に住んでいる幼稚園からの幼馴染だし。私、なにか美加ちゃんにしただろうか。
ファンクラブの子の話とここ数日の私の行動を照らし合わせてみた。
……もしかするとファンクラブの子、ものすごく勘違いしている気がする。まさかだけど美加ちゃんが私を好きでその私が鬼塚くんに乗り換えた、的な。
ハッと視線を上げると、美加ちゃんも何かを察したらしく手をひらひらと振った。
「いやいや、そもそも私は女だしナイナイ」
「ハハ、美加ちゃんがイケメンだから性別を乗り越えた勘違いをされちゃったね。実は鬼塚くんが立ち上げた部活に所属しただけなんだ。そこに一ノ宮瑞輝くんもいてさ……」
私は美加ちゃんに誤解を解くことにした。
観念して創作のことも話す。
「へえ、小説を書く部活ねぇ。桃のママは超一流絵本作家だもんね。しっかし桃も文書きかあ」
「まだ始めたばっかりだけどね」
「ま、好きなことやるのはいいことジャン。頑張んなよ!」
私の頭をくしゃくしゃと撫でると美加ちゃんは走って教室から出ていく。
美加ちゃんの手によってぼさぼさになってしまった髪の毛を手櫛で整えながらその後ろ姿を見送った。
私から見たら美加ちゃんは顔の整っている美人な女の子だ。
もちろん恋愛感情なんか抱かない訳で。でも私が他人だったら勘違いしちゃうのかな? ないない、だって美加ちゃん制服はきちんとスカート穿いているもん。
女子にモテる女子高校生大変だよな、とぼんやり考えながらゆっくりと部室に向かうのだった。
遠くからは美加ちゃんへの小さな歓声が飛び交っていて、少し羨ましいなと思ったりやっぱり大変だから人気になるのは嫌だなとか思ったり。私はあるはずのない想定話を頭の中で繰り返しながら静かになった廊下を歩く。
空き教室の扉を静かに開ければ、またここにも顔立ちの整った男子高校生たちが私を迎えてくれる。
「遠藤さん、今日は最後だよ。珍しいね」
ふんわりと柔らかい笑みを浮かべるのは一ノ宮くんだ。
鬼塚くんは挨拶もそこそこに自分のノートパソコンの画面を眺めている。
「ああ、ごめんね。お友達と話しこんじゃっていて……」
「そっか、でも今で丁度良かったんだ。さあ、早く座りなよ」
一ノ宮くんが空いている机をトントンと軽く小突く。三つの椅子と机が並んでいて、私はいわゆるお誕生日席に座った。
「早速なんだが、遠藤。さっこみゅのイベントページはもうチェックしたか?」
「ううん、まだだよ。何かあるの?」
右前に座っている鬼塚くんがこちらにパソコンの画面を見せる。
そこには特設のイベントページが載っていた。
「ええと、“不定期開催! 短編祭り”……?」
私は大きく書いてある文字を読むと、鬼塚くんが頷いた。
「さっこみゅが開催している短編限定のイベントだな。ユーザーはテーマにあった短編を投稿してそれを評価し合うんだ」
規定を詳しく読んでみれば、2000字からの物語を期間内に投稿。同じテーマに沿って書いていく、と記されている。
「今回のテーマは“空”だよ。新緑の季節も近いしね。みんなで投稿してみようよ」
左前方から一ノ宮くんの柔らかな声が飛んでくる。
「でも、一ノ宮くんは人気ユーザーだし全然勝負にもならないんじゃないかな?」
「勝負しようとは言っていない。ただお互いに評価し合って創作意欲を高めていければいいと思うんだ。遠藤は短編書くのは嫌か?」
鬼塚くんが悩ましげな目つきでこちらを見てくる。そんな顔をされたら嫌って言えないよ。
「そそ、そんなことないよ! そうだよね。小説に勝負も何もないよね、ごめんごめん」
私は首を振ると、鬼塚くんは揚々と嬉しそうに話し出す。
「俺はこの間の短編祭は締切が受験で間に合わなくてな。初めて参加するんだ。空か……どうするかな」
空、か。私も色々と考えを膨らませる。空と言ってもそれは様々で、天気を差すこともあれば、夕焼け、朝焼け、夜。時間でだって変わる。
どの空をチョイスするかによってその内容はがらりと変わるし。ユーザーの数だけの空の物語がこのイベントで集まるのだろう。そう考えるととてもわくわくしてしまう。
「よし、僕はもう書き始めようかな」
一番先に口を開いたのはおぽんち♪めろん先生こと一ノ宮くんだった。
「ええ! もう書き始めるの?」
「うん、短編祭にばかり目を向けると連載の執筆が止まってしまうからね。それは避けたいんだ」
一ノ宮くんはそういうとプロットも書き出さずに直接入稿し始めた。
話を聞けば一ノ宮くんは短編の場合は1から書き始めて1時間足らずで脱稿してしまうらしい。その筆の早さがとても羨ましい限りだ。
「焦らなくていいぞ。締め切りは来週の月曜の夕方5時だからな」
鬼塚くんはきっちりプロットから練るタイプなのか、ノートを広げてくるくると器用にペンを回していた。
今日は水曜日、まだ時間はあるがなるべく早く書き上げてしまいたい。
私も連載の執筆をストップさせるわけにはいかないのだ。
作業の音しか聞こえない教室の中、私はぼんやりストーリーの内容を考え始めた。
ふと、グランドの方から賑やかな声が聞こえてきた。
立ち上がって窓からグラウンドを見れば、そこでは陸上部が精力的に活動している。
(あ、美加ちゃんだ……)
棒高跳びのところには美加ちゃんの姿が在った。彼女は徒競走の選手だったはずだが、どうしてか棒高跳びをしている。
高く飛べば歓声が起こり美加ちゃんは照れながらまた徒競走のトラックに戻って行った。
きっと休憩中に息抜きで飛んだのだろう。
私は美加ちゃんの高跳びに見とれていた。選手ではないのに綺麗に飛んでしまう器用な美加ちゃん。
私は初めて幼馴染に見とれたのだった。
頭の中ではスローモーションで美加ちゃんの高跳びがリプレイされる。
もし、彼女が空に愛された天使だったら……――
私はいつの間にか椅子に座ってパソコンを開き、文章作成ソフトを立ち上げる。
隣で鬼塚くんが何か言った気がするけど私の耳には何を言っているのかが入ってこなかった。
パチパチとキーボードを叩く音と、たまに誰かの溜息。
私がふと我に返ったのは脱稿した一ノ宮くんが教室の電気を付けたからだった。
「もう暗くなっちゃったんだね」
「うん、遠藤さんすごい集中力だったよ。龍はまだ書き始めていないようだけど」
鬼塚くんは相変わらずノートと睨めっこしていた。
一ノ宮くんはそんな彼の肩を叩く。
「龍、今日はもう遅いから終わりにしようよ」
「ああ、俺だけ進んでないとなんだか焦るもんだな」
鬼塚くんは猫の様に伸びをしてノートパソコンを片づけ始める。
「大丈夫だよ! 私だって本編まだ半分くらいしか書けてないし!」
私は慌ててフォローすると鬼塚くんは苦く笑うのだ。
「じゃあ今日は上がるか。明日から挽回する」
そう言って鞄を持つとみんなで部室を後にした。
3人で職員室に鍵を返して昇降口に向かう。文化部は殆ど解散したらしく、学校の中はがらんとしていた。
校門で一ノ宮くんは迎えが来ているらしくそのまま別れる。車のことはよくわからないけど真っ黒でピカピカしていた。
空はいくつもの星が瞬いている。駅前表通りの明かりがまぶしいくらいに光っていた。
私と鬼塚くんは流れるように駅に向かった。退勤する会社員の人たちに紛れて私たちはゆらゆらと歩いた。
「遠藤はどんな作品になりそうだ?」
「天使と空のお話にしてみたよ」
「そうか、なるほどな。俺はまだ漠然としか決まっていなくてな。空とっても色々あるだろ。天気とかもそうだし、空の色とかでもストーリーが全く変わるもんな」
鬼塚くんは私とまるっきり同じことを考えていて、不覚にも顔がにやけてしまう。
「なに笑ってるんだ?」
私を見下ろす鬼塚くんと目が合って思わず両手で口を覆った。
「いや! えっと……だったらそう思ってることを書いたらいいんじゃないかなーって」
恥ずかしい。にやけているところを見られてしまった。
しかも苦し紛れででたアドバイスが自分でも意味が分かっていない。最悪だ。
鬼塚くんはしばらく考えているように唸る。ごめんね、今の言葉に深い意味はないの。むしろ聞き直してくれればアドバイス考え直すから。
「あ、そうか。そうだよな、なにも舞台を考えることにこだわらなくていいのか。サンキュ、遠藤」
「え? あ、うん。お役にたてたなら嬉しいなーなんて……」
私が苦し紛れの言葉で何か思いついたのか鬼塚くんは機嫌よさそうにしている。発想のきっかけというのは分からないものだ。
そうこうしているうちに駅に付き、定期で改札を通ればあっという間に乗る電車が到着する。
「俺は反対の電車に乗るんだ。今日は助かった、また明日な。お疲れ」
「うん! また明日ね」
私は小さく手を振って乗車する。
遠藤桃、電車の扉が閉まる瞬間にずっと感じていた微かな違和感に気が付いたのだった。
(私、もしかして鬼塚くんと下校したの? なんで気が付かなかったのー!)
短編祭のことで頭がいっぱいで気が付かなかった。私は鬼塚くんと一緒に下校していたのだ。人生で初めて男の子と一緒に帰ったのだった。
もっと色々お話すればよかった。二人きりだったんだ、うう今更心臓がドキドキしてるよ。
鬼塚くんは私に鼓動が早くなる呪いでもかけていったのだろうか。
地元の駅についてもしばらくはドキドキする胸を止められなかったのだった。
よろよろと家路に着けば我が家からおいしそうな匂いがして、そこでやっと呪いは解かれたのだった。




