033 【回想】「美湖って呼んでいいか?」
「えっ……本当に?」
美湖が手を差し出すと、朝霞侑弦は驚きの表情で固まった。
信じられない、けれど、嬉しい。
そんな気持ちが伝わってきて、美湖はニヤけそうになるのを我慢した。
「ホント。……付き合お、朝霞くん。私の、彼氏になって」
さっきしたばかりの返事を、もう一度言ってあげる。
夕方、駅の近くの公園。
砂場と滑り台の方では、小さな子たちが賑やかに遊んでいた。
日曜日、侑弦が提示した、告白への返事の検討期間、最終日。
この日はお昼前に集合して、侑弦と半日デートをした。
隣町のショッピングモールで昼食を食べて、買い物をして、ゲームセンターで遊んで、おしゃべりをする。
ただ、そのあいだも侑弦は自然体で、美湖も同じで、やっぱり、いいなと思った。
彼とのこんな時間がこれから増えるのは、嬉しい。
明日からなくなるのは、悲しい。
そう思ったら、もともと決めていた返事も、あらためて決意が固まった。
「それは……天沢さんも、俺のこと好きになってくれたってことか?」
「ん……うーん。正直、まだかも。でも、きっとすぐそうなると思う。楽しかったよ、今日も、今日までの一週間も」
「……そっか。よかった」
侑弦はひどく安心したように言って、笑った。
嘘はつかないと決めていた。
けれど同時に、本当のことは全て言おうとも思っていた。
「これからも、一緒にいたい。それに、朝霞くんとなら、それができると思うから……うん、よろしくお願いします」
「……こちらこそ、よろしく。ちゃんと、本気で好きになってもらえるように、頑張るよ」
「ふふっ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、頑張らなくていいよ。そのままの朝霞くんでいて。まだ恋じゃないかもしれないけど、朝霞くんのことは、もう好きだから」
自分でも、なんだか変だと思う。
燃えるような恋のドキドキは、まだ感じていない。
けれど朝霞侑弦という男の子の魅力は、きっとそういうものではないのだ。
侑弦が、控えめな力で美湖の手を取った。
かすかに震えていて、でも、頼りなくはなくて。
さっき言ってくれた通りの意志が、手から、指先から、確かに感じられる気がした。
「どうしよ……すげぇ、嬉しい。うわぁ、マジか」
思わず溢れてしまった、というふうに、侑弦が言った。
照れた顔も、普段より少し荒い言葉遣いも、かわいらしかった。
「ありがとう、天沢さん。今までの人生で、たぶん今日が、一番幸せな日だ」
「えへへ、そっか。それは私も、責任重大ですね」
相変わらず、言葉がまっすぐで、飾り気がない。
むしろ、かえってクサいかもしれない。
けれどそれが、侑弦のいいところなのだろうと思う。
事実、美湖は少しだけ、自分がはしゃいでいるのを自覚していた。
「それじゃあ、これからどうする?」
「えっ……」
美湖が言うと、侑弦は不思議そうな声を出した。
事前の予定では、夕食前に解散することになっていた。
そういうところも好感が持ててよかったが、いざ恋人になってしまえば、もう別れてしまうというのはもったいない。
「ねっ、どこか行こ。ご飯食べるだけでもいいしさ」
「……ああ。そうだな、行こう」
それから、ふたりで駅まで戻って、夕食によさそうな店を探した。
途中、お互いの好みや気分を確認したり、価格帯の相談をするのも、美湖は楽しかった。
最終的に、ふたりは中学生らしくファストフード店に入って、向き合ってハンバーガーを食べた。
幸せそうな目でこちらを見ている侑弦が、またかわいらしく思えた。
昼食を摂ったときは、まだ他人だったのに。
今はこの男の子と恋人同士なのだと思うと、不思議と心がそわそわして、けれどそれが心地よかった。
「天沢さん」
店を出る頃には、もう外も暗くなっていた。
駅の前では、仕事帰りのサラリーマンや学生たちが、思い思いの時間を過ごしている。
その片隅で、侑弦は妙にあらたまった声音で、美湖を呼んだ。
「好きだって伝えた日に、俺が言ったこと、覚えてるか?」
侑弦の顔は、真剣そのものだった。
美湖も居住まいを正して、彼の前に真っ直ぐ立った。
「……恋人になったのは、一緒にいたかったからだけじゃない。きみを、守りたいと思ったから。やりたいことを、やりたいようにやる天沢さんを、支えたかったからだ、って」
「……うん。そうだったね」
そう、言ってくれた。
もちろん、美湖が交際を決めたのは、そうしてほしかったからではないのだけれど。
彼がいても、いなくても、きっと美湖の生き方は変わらない。
「でも……やめたかったら、やめてもいい」
「……」
「天沢さんはすごいし、そんなきみが、俺は好きだけど……でも、ずっと強くいることがつらくなったら、やめていいと思う。あのときはうまく言えなかったけど、今はそう思ってる」
「……朝霞くん」
「告白の仕方が、よくなかった。俺の言葉が、ほんの少しでも天沢さんを縛るのは、俺も嬉しくないから。だから、どんなかたちでも、ふたりで、幸せになろう」
そこまで言って、侑弦はひとつ、深く息を吸った。
それから、今度は自分から手を差し出して、美湖を見た。
「あらためて、よろしく。それから……美湖って呼んでいいか?」
侑弦が、小首をかすかに傾けた。
その目に、表情に、今日一番大きく、心臓が跳ねる。
ああ、この男の子は、本当に。
「……こちらこそ。侑弦」
彼の手を取って、美湖は頷く。
本当に、クサいことを言う。
でもそれ以上に、カッコいいな。
「次のデートの予定、決めなきゃね」
「……ああ。ついてくよ、どこでも」
「ふふっ、だめ。一緒に選ぶの。ね、侑弦」
中学三年生、五月のこの日。
天沢美湖は、きっと恋をした。
そして高校二年生になった今でも、その恋はまだ、そしてもっと激しく、続いているのだった。




