024 「あり得ないわ」
そして、その日の放課後。
美湖に呼ばれ、侑弦がまた生徒会室を訪ねると、そこには。
「侑弦、おそーい。紗雪ちゃん、待ってたよ」
「……悪い」
「べつに、待ってないわ」
美湖の隣には、すでに綿矢紗雪が座っていた。
昨日美湖が侑弦のバイト先で買っていたマグカップで、優雅に紅茶を飲んでいる。
おまけに、いつの間にか美湖からの呼び名が、下の名前になっていた。
「今日も貸切か……」
「うん。例によって、みんな忙しいの」
言いながら、美湖は侑弦にも紅茶を淹れてくれた。古めのカップだったけれど。
それを受け取り、少し離れた位置の席に、侑弦も座る。
「それで、なんの用」
今度は紗雪が言った。
どうやら、まだ用件は伝えていないらしい。
「うん。桜花ちゃんとの件で、聞きたいことがあってね」
「……なに?」
「桜花ちゃんって、碓氷くんのこと好きなの?」
単刀直入、美湖がそう尋ねた。
本人が答えてくれないなら、当然ながら、近しい人間にあたるしかない。
そしてそれは、やはり綿矢紗雪だろう。
その点で、侑弦と美湖の意見は重なっていた。
「……それが、なにか関係があるの」
返答を渋るように、紗雪が美湖に質問を返した。
友人の恋心について、簡単には他人に話さない。それは極めて、まともな感覚だ。
「ある。もちろん、個人的に興味がある、ってことじゃないから、私も侑弦も、誰にも漏らさない。約束する」
と、侑弦の分も勝手に約束して、美湖は力強く頷いた。
まあもちろん、バラすつもりはないけれど。
「……好きよ。本人に、何度も聞いたわ」
少しのためらいのあとで、紗雪が言った。
さすがは親友。やはり、しっかり把握しているらしい。
「いつ頃からなの?」
「一年前。桜花と碓氷くん、それに私も、去年から同じクラスだから」
「そっか。なるほどね」
美湖が顎を摘んで、かすかに顔を伏せる。
これでふたつの噂のうち、ひとつは事実だと確定したことになる。
桜花本人が言っていたなら、まず間違いないだろう。
「じゃ、もうひとつ聞いていい?」
「……ええ」
「碓氷くんが、紗雪ちゃんのことを好き、っていう噂が流れてるのは、知ってる?」
慎重な声で、美湖が言った。
途端、紗雪はポカンと口を開け、その場で固まった。
普段は切れ長の目が、今は丸く見開かれている。
しばらく返答こそなかったけれど、侑弦にも美湖にも、もう答えはわかってしまっていた。
「……知らないわ。初耳」
思いのほか落ち着いた声で、紗雪は静かに言った。
美湖がまた浅く頷き、目の前にある紅茶のカップを睨む。
侑弦は一度席を立ち、粉の紅茶や食器、ケトルが置かれた棚の前に移動した。
横目で、ふたりの会話の続きを聞く。
「おかしい。あり得ないわ。私と碓氷くんには、なんの関わりもない。話したことすらないはずよ。好意を持たれる理由がない」
「それがおかしくないのが、恋のすごいとこなんだけどねー。一目惚れとか、全然あるし」
「……ただの噂でしょう。事実と決まったわけじゃないわ」
納得のいかない様子で、紗雪がつぶやいた。
だがこれについては、美湖の言うことの方が正しいだろう。
たとえハイスペックで人気者の碓氷司であっても、男子が紗雪に惹かれるのに、理由は充分すぎるほどある。
自分の容姿のよさに無自覚なところは、実に紗雪らしくはあるけれど。
「うん。でも、事実かもしれない。少なくとも、桜花ちゃんはそう思ったんじゃないかな。だからこそ今、こうなってるのかも」
「……」
紗雪はまた目を細めて、虚空を睨んでいるようだった。
美湖の言ったことが、つまりなにを意味するのか。
おそらく、それを考えているのだろう。
彼女の気持ちが察せられた気がして、侑弦ははぁっと、短い息を吐いた。
「まあでも、これもあくまで推測だからね。実際のところは、もうちょっと調べてみないと」
と、今度は美湖も難しい顔をする。
想い人である碓氷司の好きな相手が、親友の紗雪だった。
それが原因で、佐野桜花は紗雪に対して、逆恨みに近い怒りを向けている。
もし美湖のこの推測が正しければ、それなりに厄介な問題だろう。
勢いだけでは、解決は難しい。
まあ、頭のいい美湖なら、なんとかしてしまうのかもしれないが。
「ねえ、天沢さん」
「ん、なぁに?」
いつの間にか落ち着きを取り戻した様子の紗雪に対して、美湖は人懐っこく首を傾げてみせた。
こんなときでも愛嬌を忘れないのは、美湖のすごいところだろう。
――だが。
「どうして、碓氷くんが私を好きだと、桜花が怒るの?」
訝しげに眉根を寄せて、紗雪が言った。
途端、今度は美湖が、ポカンと口を開けた。
さっきと、真逆の構図。
だがひとつだけ違うのは、侑弦も、美湖と同じ表情をしていることだった。
「なにか関係あるの、それって」




