015 「お似合いだと思う」
その日の放課後は、またバイトだった。
前回とは違って、それなりに客足は多く、忙しい。
けれどそれも、パートが退勤する頃には落ち着き、十九時からはツーオペになった。
「朝霞っち、チェンジしよー」
レジのシフトが終わると、ツーオペの相手、榛名望実が交代にやってきた。
入れ替わりでレジを出て、凝り固まった身体を捻ってほぐす。
思えば最近は、望実とふたりのシフトになる機会が多いような気がした。
まあ、望実は真面目で、気軽に話せる相手なので、ありがたいことなのだけれど。
「ごめん、品出しまだ途中。コスメのとこね」
「わかった。終わらせとくよ」
「うん。じゃねー」
望実に手を振られながら、侑弦は売り場に戻った。
コスメコーナーへ行くと、たしかに商品の入ったパレットが置かれている。
アイプチ、マニキュア、チークなどのよく売れるものから、あまり使い道のわからない道具やクリームまで。コスメコーナーはかなり、品揃えが豊富だ。
聞くところによると、望実もよく使っているらしい。あとはそう、美湖も。
「……終わったか」
しばらく手を動かしているうちに、いつの間にかパレットはカラになっていた。
ついでに商品の陳列を整えて、別のパレットを探しにいく。
侑弦はレジや接客よりも、品出しが好きだった。
黙々と物を並べていると、なんだか夢中になってしまう。
まあ、この店ではよく客に声をかけられるので、あまり集中できる時間はないのだけれど。
「さて、あとは……ん?」
と、通路と店の境界辺りに来たところで、侑弦は思わず足を止めた。
休日の日中はそれなりに賑わう、ガチャガチャコーナー。
そこに、見覚えのある人物がひとり、しゃがみ込んでいた。
それも、やけに真剣な眼差しで。
「綿矢?」
「……え」
声をかけると、綿矢紗雪はピクリと肩を弾ませ、こちらを見上げた。
もう二十時半近いというのに、制服を着ている。
バイト中に彼女を見かけたのは、これが初めてだった。
「なにしてるんだ?」
「ガチャガチャ」
紗雪が短く答えた。
ここにいるのだから、当然だろう。
しかし、クールで鋭い雰囲気のある紗雪と、カラフルなガチャガチャ。アンバランスな組み合わせだなと、侑弦は人知れず、ほほ笑ましい気持ちにさせられた。
「朝霞くんこそ、なにしてるの」
「俺はバイトだ。仕事中」
「そう」
あまり関心もなさそうに頷いて、紗雪はまたガチャガチャの方を向いた。
横から筐体を覗くと、帽子を被った鳥のフィギュアが出る『ハット鳥っ9』の第二弾だった。
紗雪は顎に手を当てて、かすかな声でうぅんと唸っている。
「……回すのか?」
「悩み中」
「……好きなのか、そういうの」
「かわいいもの」
紗雪の返答は依然、淡々としていた。
まあ、たしかにかわいい。この店にある筐体の中では、侑弦も密かに気に入っていた。
「いいよな、それ。特に、シルクハットのオウムが」
「……」
侑弦の言葉に、紗雪はふいっとこちらを向いた。
侑弦の顔を、無表情で見つめてくる。彫刻のように整った目鼻立ちに、息を呑んだ。
「ど、どうした……?」
「私も、それが好き」
「え……」
「オウム。一番かわいいわ。でも、それが出なくて」
「あ……ああ、そうなのか」
どうやら、オウムを引ける自信がなく、回すかどうか決めかねているらしい。
『ハット鳥っ9』は、全部で九種類。たしかに、目当ての鳥が引ける確率は、あまり高くない。
「ほかは持ってるの。だけどオウムだけ、全然引けない。四百円だから、慎重に決めないと」
深刻な声でそう言って、紗雪はまた唸る。
その様子がなんだかおかしくて、侑弦はこっそりクスッと笑った。
昨日生徒会で会ったときは、もっと冷たい印象だったのに。
思っていたよりも、かわいらしい。それに、おもしろい。
「どれか、二個持ってるか?」
思わず、侑弦はそう声をかけていた。
「えっ……」
「俺、実はオウムが二個あるんだよ。けど、ほかのは持ってない」
「……」
「だから、もし同じふたつ持ってたら、交換してくれ」
本当は、オウムが机に二匹並んでいる様子も、けっこう気に入っていた。
けれど今の紗雪を見ていると、彼女のところにいた方が、オウムも幸せだろうと思った。
なにせ向こうには、ほかの八種類も揃っているようだし。
「いいの?」
「ああ。カバンに入れとくから、学校でもここでも、いつでも交換に来てくれていい」
「……ありがとう」
侑弦が言うと、紗雪は初めて、ふわりと笑顔を作った。
うっすらとした、本当にかすかな笑顔。
けれどもともと顔の造形がいいのと、普段が無表情なので、魅力とギャップが凄まじい。
美湖のビジュアルを見慣れていなければ、侑弦には直視できた自信がなかった。
まあ、美湖とは全然、違うタイプの美少女なのだけれど。
「どれがいいの?」
「え……あ、ああ。じゃあ、コック帽のカラスで頼む。二番目に好きなんだ」
「……ふふ。私も」
再び、そしてさっきよりもわずかにはっきりと、紗雪は笑った。
コック帽カラスが手に入ることも、紗雪の意外な一面を知れたことも。
侑弦にとってはかなり、嬉しいことだった。
「なあ、綿矢」
チラリと店内の様子を確認してから、侑弦は言った。
客は依然、ほとんどいない。
店内のBGMと、レジを打つ望実の声だけが、遠くに聞こえていた。
「お前、どうして佐野と仲がいいんだ?」
気になっていたことを、侑弦は紗雪に尋ねた。
ひとつは、単に自分の興味で。
もうひとつは、少しでも美湖の役に立てれば、という気持ちで。
それに、今なら答えてくれるんじゃないかと、そう思った。
「あんまり、近いタイプじゃないだろ? だから馴れ初めが気になってな」
「……そう」
紗雪は、少し顔を伏せた。
だが表情は変えず、しばらく黙ったまま、なにかを考えているようだった。
「もちろん、そういう関係自体は、いいなって思う。俺も、真逆な友達がいる。ただそれも、きっかけはちょっと変わってるというか――」
「助けてもらったの」
ぽつりと、珍しくつぶやくような声で、紗雪が言った。
「桜花には……助けてもらった。だから、感謝もしてるし、大切な友達」
「……そうか」
「ええ。だけど今回のことで、もしかしたら桜花は、そうは思ってなかったのかもしれない、って」
そこで言葉を切って、紗雪はふいっと顔をそらした。
これ以上は、聞けそうにない。
紗雪の曇った表情を見て、侑弦はそう直感した。
「あなたこそ」
「……ん?」
「朝霞くんこそ、天沢さんと比べて、地味よね」
「うっ……」
紗雪の繕わない言葉に胸を刺され、侑弦は思わず呻いた。
慣れているうえに、自覚もしているが、紗雪に言われるとなんともつらい。
本当に、心の底からそう思っているのだろう。
「それに、朝霞くんは天沢さんより、ずっと静か。どうして付き合ってるの?」
「ま、まあ……いろいろあってな。話すと長いんだ。釣り合ってないのは、わかってるよ」
自分の胸を撫でながら、侑弦は答える。
そして、そこでわかった。
大切な人との馴れ初めは、簡単に誰かに話そうとは思えない。
相手を信頼してないとか、そういうことではなく。
その思い出を、記憶を、他人に話してしまうのが少しだけ、惜しいのだ。
だからきっと、紗雪にとっての桜花は……。
「釣り合ってないとは思わないわ」
侑弦が人知れず納得していると、紗雪が言った。
淀みのない、あっさりとした声音だった。
いや、紗雪の話し方は、いつもそうなのだけれど。
「え……」
「あなたたち、お似合いだと思う。少なくとも、私にはそう見える」
「……お、おう。ありがとう」
「? どうしてお礼を言うの。事実を言っただけよ」
本当に不思議そうに目を丸くして、紗雪はコテンと首を傾げる。
だが、あの美湖とお似合いだと言われれば、誰でも嬉しいだろう。
まあ侑弦の場合は、嬉しい理由はもう少し複雑なのだけれど。
そのとき、ピンポーンと、レジ応援を呼ぶ音が店内のスピーカーから流れた。
どうやら、望実の側にヘルプが必要らしい。
思えば、業務中に少し、話し込みすぎた。
「じゃ、もう戻るよ。またな」
紗雪に手を振り、駆け足でレジへ向かう。
去り際、視界の端に映った紗雪は、いつもの無表情のまま、侑弦を見送っていた。




