四日目 水曜日 その3
どれくらい呆然としていたのだろう。気がつくと机の上にはカツ丼が置いてあった。
「さあ温かいうちに食べちゃうとしよう。ああ、君と一緒にご飯を食べたことが姫乃にばれたら怒られてしまうな。というわけで私と会ったことは内緒にしておいてくれ」
どこまで本気なのかわからない口調で洋子さんは言って、カツ丼を食べ始めた。
僕もぼんやりとした気持ちのまま割り箸を割って、卵の絡んだ湯気の立つカツを一口食べた。
あったかいのはわかったけれど、味はいまいちわからなかった。
なんだって僕は取調室で警察署長さんと一緒にカツ丼を食べているのだろう。
いやいやいやいや。警察署長であると同時に洋子さんは姫乃の母親だという衝撃の事実が判明したばかりだ。
そして姫乃が洋子さんの娘ということは、姫乃は龍虎さんの娘でもあるわけだから、当然龍虎さんと洋子さんは夫婦ということになる。
その洋子さんはカツ丼をおいしそうに食べている。
「どうした食べないのかね? おいしいぞ」
いまだに信じられない面持ちで呆然としていると洋子さんが声をかけてきた。その洋子さんはカツ丼をおいしそうに食べている。
衝撃の告白をしたばかりだというのにとてものんきだ。
「こんなことをいうとあれですけど、龍虎さんと洋子さん、よく結婚できましたね」
やくざと警察官だ。水と油の関係だし、普通は許されない組み合わせで常識的にあり得ないことだった。
「うん、あの時は大人の事情やら何やらいろいろとあってな、それはもう大変だった」
なぜか洋子さんが言うとちっとも大変そうに聞こえないから不思議だ。
「しかし好きになってしまったのだから仕方がないではないか」
気持ちがいいくらいにきっぱりと洋子さんは言った。
ごちそうさまというべきか迷ったけど、僕は黙ってカツ丼を食べるのに専念した。
「まあ私と旦那の恋の話はまたの機会に話として、私が娘の恋の行方が気になるのはしかたがないと思わないか?」
「はあ」
なんといっていいのやら。視線を落としてカツ丼を食べる。けれどもやっぱり味はよくわからなかった。
姫乃が僕のことを好きというのは本当なんだろうか。
突然そんなことを言われても僕はどうしたらいいんだ。
「初恋は実らないといわれているが、母親としては応援したくなるのが人情だろう。といっても私としては静かに見守るつもりだったのだけれどな。それが昨日、旦那が君にあったというじゃないか!」
ちょっと怒った口調で洋子さんは箸の先を僕の方に向けてくる。
「しかも気にいったと上機嫌だし。旦那ばっかりずるいじゃないか。だから私も君に会いたいと思うのも当然の成り行きだと思わないかい?」
ああわかった。確信した。
つまり洋子さんも親バカなのだ。
「そんな同意を求められても困りますよ」
「君はつれないなぁ。まあいいとにかく旦那も君のことを気にいっている。私も君には好印象だ。そして姫乃は君のことが昔から大好きだ。というわけで君はもう姫乃とつき合っちゃえばいいのではないか?」
「またそんなことを……」
僕は苦笑を浮かべた。
「昔からっていいますけど、洋子さんも知っての通り僕が姫乃さんと親しくなったのはこの間の日曜日からですよ。それまでは学校は一緒だったかもしれないけど、同じクラスになったこともないし僕は目立つほうタイプでもないですから。何かの勘違いじゃないですか?」
そもそも勘違いから始まったわけのだ。龍虎さんだって僕と姫乃がつき合っていると勘違いしていた。だから洋子さんも姫乃が僕のことを好きだって勘違いしているんだと思う。
そうに違いない。
洋子さんは少し驚いたように目を開いて僕を見ていた。こういう表情をするとなるほど姫乃と洋子さんは親子だと思った。たしかに似ている気がする。
「本当に覚えていないのか? 小学生の時だったか、姫乃は君にとても親切にしてもらったといっていたのだが」
確か姫乃も前に一度話したことがあるといっていた。洋子さんが言っているのはその時のことだろうか。でも僕は姫乃に親切にしたという心当たりがない。というよりも姫乃と話したことがあるということすら覚えていないのだ。
「もしかして人違いじゃないですか?」
僕と洋子さんは顔を見合わせた。
「そんなことあるわけないだろう。姫乃は君一筋で今まできたのだからな。今年ははじめて同じクラスになれてそれはもう喜んでいたのだぞ。とにかく君と会えて楽しかったぞ。これからも姫乃と仲良くしてやってほしい。できればつき合ってしまえばいうことはなしだ。だがそうか君はまわりからとやかくいわれたからといって仲良くするしないの判断はしないのだったな」
「………」
別にそこまで深い意味で言ったわけではなかったのだけど、カツマ君もそうだったけれどなんだか話が大きく伝わってしまっているようだ。
洋子さんはカツ丼はいつの間にか食べ終わっていた。僕も完食はしたけれど、全然食べた気がしなかった。
「本当は私が送ってあげたいのだが……」
洋子さんはまだ仕事が残っているとのことで、戻らなければいけないのだそうだ。
「誰かに遅らせるから少し待っていてくれ」
もしかして柿崎刑事がずっと不機嫌な顔をしていたのは、僕を迎えに行くという雑用をいいつかったからだろうか。
「ってこれって公私混同なんじゃないんですか?」
「うん、職権乱用だ」
笑いながら楽しそうに洋子さんは肯定した。
こういうのを税金の無駄使いというのではないかな。
「ああ、それから近いうちに家の方に遊びに来るといい。そうそうその時まではくれぐれも私と面識があることは姫乃には秘密にしておいてくれたまえ。それからこれからはあまり一人で出歩かないように」
最後によくわからない言葉を残して洋子さんは取調室を出ていった。
また一人取調室で待っているとやってきたのは桃井刑事だった。
暇なのだろうか?
桃井刑事はのんびりとした様子でまた僕をパトカーにのせて家まで送ってくれた。
「それにしても加藤君もえらい人たちに見込まれちゃったんだねぇ」
しみじみといわれたその言葉がすべてなような気がした。
ようやく家にたどり着いた時にはもう何も考えたくないくらいぐったりとしてしまっていた。
明日からお昼の一回だけの更新になります。
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