その2 ダイエットの決意
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翌日。戸津が珍しく私に絡んできた。いや、絡んでくると予想はしていた。
「なあ昨日の奴、彼氏なの?」
「戸津には……関係ない」
「まあ関係ないのは事実なんだけどな。好奇心? ってやつ」
彼はけらけらと笑う。だがすぐに彼は笑うのをやめると、顔を上げようとしない私の視線にまで頭を下げ、無理矢理私の視界に入ってくる。
しゃがみこんで、机の高さになった彼は真顔で尋ねてくる。
「で、彼氏なの?」
あまりのしつこさに私はため息を一つつく。
「彼氏じゃない」
一言そう返すと今度はまた違う質問をしてくる。
「好きなの?」
「別に……」
なんでそこまで答えなきゃいけないんだ。なるべく冷たく無関心を装って私は戸津と視線を合わせないようにする。
そんな私の心情を知るはずもなく彼はまた私の気持ちを逆撫でる発言をする。
「あのさ細川お前。もうちょっと痩せてみたらどうだ? 人生変わるんじゃないの?」
その言葉に私は目の前が暗くなりそうだった。どうして、こうもこいつは……。
「……で」
「え?」
「私の平和な日常をまた壊さないで。私の前から消えて」
こいつと話していると私は惨めな気持ちになっていく。一刻も早くこの黒いもやもやから逃れたかった。次の授業は移動だ。私は急いで教科書やノートを机の中から引っ張り出す。
わかってる。わかってるんだ。痩せれたらもっと可愛かったら。何もかもが変わるって。
私は荷物を支度すると、そのまま戸津の横を通り過ぎ春ちゃんの下へと向かう。
「移動しよう、急ごう春ちゃん」
「え、う、うん」
◆
あれから私はますます戸津を避けるようになった。それを知ってか彼から私に近づいてくることはなかった。地元でばったり出くわしても私は挨拶もせず、他人のふりをしてその場を去っていた。そうこれでいいんだ。
それからあっという間に一週間経ち、お兄さんの家庭教師の日になった。
「最近どう?」
勉強が一区切りついたところでお兄さんが尋ねてきた。
「戸津は話しかけてこなくなったよ」
シャーペンを置いてお兄さんと自分のコップに麦茶を注ぎ直す。ありがとうと、お兄さんが言うと続けて、
「それは良かった、のかな?」
と、苦笑してコップを手に取る。私もガラスのコップを手にして一口飲みこむ。
「戸津は結局私を見下してる。馬鹿にしてる。そんな簡単に人は変わらない」
「そうか」
お兄さんはそれからしばらく無言になった。何か考えているようだ。
「お兄さん、どうしたの?」
「んー……優奈ちゃんのこれからを考えてた」
「私の?」
「そう。大丈夫かな、って」
どういうこと? 私がそう尋ねる前に、お兄さんがおもむろに手帳を広げる。
広げられたページは来年の三月のページだ。
「僕が傍にいられるのはここまでなんだ」
とん、とお兄さんは三月のページを指さす。
「え?」
私は目を見開いた。
「僕さ、大学を卒業したら実家を出るつもりなんだ。北海道に働きたい仕事場があってね。内定貰えるかまだわからないけど、いずれにせよそろそろ一人で暮らそうと思ってる」
一瞬だけ自分の脳が停止したのがわかった。受け入れられない事実を突き付けられた気がした。
「そうなんだ……そうだよね。お兄さんも、もう大人だもんね」
忘れていた。お兄さんは大人なんだ。私とは違う。混乱しそうになる頭の中を必死に整理しながら私はなんとか言葉を繋ぐ。
「だから、家庭教師も今年度で終わりなんだ」
お兄さんが申し訳なさそうな表情を浮かべる。きっとお兄さんは私のことを色々と心配してくれている。そういう人だ。
私は、今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
「大丈夫! 一人でもちゃんと頑張るよ」
お兄さんが苦笑を浮かべて、また黙って私の頭を撫でてくれた。
「優奈ちゃんは頑張り屋だから頑張りすぎないようにね」
――その日の夜。
私はベッドに潜り込んで泣いた。お兄さんが遠くへ行ってしまう事実がこんなにも辛いことだとは思わなかった。お兄さんに彼女ができても一番近くにいるのは私なのだと、どこかで錯覚していたのかもしれない。大好きで憧れで、カッコよくて優しいお兄さんがいなくなってしまう。
一通り泣き通した。何時間泣いたのだろうか。腫れた目で時計を見る。午前二時だった。
天井を見上げながら私はある決意をした。
痩せて、告白しよう。
私の想いは多分叶わないだろうけど、それでも自分の気持ちを伝えたい。自分に自信をつけてもう少し自分を好きになって、お兄さんに好きだと伝えたい。
そう決意して思いきり息を吸い込んだ。肺にめいっぱいの空気を貯めて、一瞬止め、思いきり吐き出した。
頑張ろう。




