その2 彼の過去
思い出してしまっていた。過去の自分を――
中学から学校が変わって誰も仲良くしてくれなかった。陰口を言われていたのも知っている。理由なんて未だに考えてもわからない。俺が何かしたか? と自問自答し続けていた。それまではこういうのっていじめられてる奴に原因があると思っていたけど、当の本人からすると困惑と理不尽にしか感じない。
だけど唯一仲良くしてくれた奴がいた。
すっごい体のでかいやつだった。でもすごく優しいやつで、クラスの奴らにもしょっちゅういじられてたけどそれでも笑顔を耐やさなかった。俺の大切な友達、ケンジだった。あいつがいたから俺は助けられたんだ。
だけど中三になって――ケンジが死んだ。
もともとクッシング病とかいう病気を持っていたから。それのせいだって、先生達はみんなに向かって言った。
だけど知ってんだ。ケンジは病気で死んだんじゃない。
自殺だったんだって。
太ってることを苦にして死んだんだ。だけどそれはそいつのせいじゃない。ネットで調べたんだ。クッシング病はステロイドホルモンが沢山体の中にできて体幹が太って手足が細くなる病気だ。あいつは手術もしたって言ってた。毎日薬も飲んでた。それでもなかなか治らなかったんだ。クッシング病の中でもあいつは特に治りにくいタイプだと言われていたらしい。
だけどクラスの奴らは自分らのせいだって微塵も思わずに「太ってるから死んだんだろ」とか抜かしやがった。
「ケンジの悪口はやめろよ……」
「うわ出たよ、何それ? 偽善者ぶってるの? 本当は戸津だってケンジのことデブって思ってたんじゃないの?」
「そんなことない!」
悲しかった。悲しくて悔しくて殴り倒そうかと思った。
でもお通夜に行った日だ。ケンジのお母さんが俺のところにきてこう言ってくれた。
「戸津君、あなたは大事な友達だと息子が日頃から言ってました。ありがとうございます。息子のために医者になろうとまで言ってくれたんでしょ。ありがとう。ほんとに……ありがとう。……息子の分まで……沢山生きてね」
泣き崩れたケンジのお母さん。俺は泣くのを必死に堪えるだけで精いっぱいだった。
そうだこんなところで喧嘩してる場合じゃないんだって俺は我慢した。殴ったらせっかく高校もいいところ入れそうなのに……。医者になるためには我慢するんだ。
でも……それでも、あんな心優しい奴がどうして死ぬ必要があったんだ。
そこまで考えてふとこの時俺は小学校の自分を思い出した。太っていた女の子が一人いた。
その子に俺はクラスの奴と同じことをしていたのか。でも病気じゃないって言ってた気がする。じゃあ言われても仕方なかったのか? いや、そうじゃねえだろ。ケンジだったらあんな子でも仲良くしたはずだ。
俺は……なんてことをしてしまっていたんだ――
大樹と大樹を止めた先生は先に俺の前から消えた。俺も我に返り、恥ずかしくなって早々に泣き止むと先生に促らされ着替えた。その後殴られた後を診るからと俺は保健室に連れていかれた。
「ちょっと腫れてるわね。痛いでしょ」
保健室の推定三十五歳くらいのおばちゃんがそう言ってくる。
「大丈夫です」
「そう? でも痛くて泣いたのでしょ?」
「いや、あれは……痛くて泣いたわけじゃないです」
それだけ言うとおばちゃんが書類に何かを一筆書いて、俺の方を向き直る。
「あなたみたいな子がどうしてこんなことになったの。真面目な子だと先生達からは聞いたわよ」
「それは……」
言いたくない――
俺が黙って俯いていると、はあとため息が響く。
「先生達からも言われると思うけど、どんなことがあっても先に手を出した方が負けなのよ」
「はい……」
「反省文は勿論、文化祭の出し物もきっと出れないわよ。理由がつけば変わるかもしれないけど。それに暴力や喧嘩は内申にだって響くかもしれない。ちゃんとした理由があれば別だけどね」
「理由を言えば……内申は変わってくるんですか」
「変わるかもしれないし、変わらないかもしれないわね。でも言わなければ戸津君が一方的に不利になるのは間違いないわ」
俺は先生の力に頼ることにした。
反省文の中に元カノと大樹がやってたいたことを全部書いた。そのうえで手を出したことを反省する文章を書いた。
それからというもの先生が何か言ったのかわからないが、元カノと大樹は何も言わなくなった。勿論大樹は水泳部の出し物は出れなくなった。
俺はというと実質的なお咎めはなかったものの、内申はどうなのかと聞くと先生も「それについては言えない」とだけ返してきた。
学校の成績だって決してよくない。今度はその不安が膨らみ始めていた。
◆
「で、今回の試験結果を受けてこうなったってわけだ……って、どうしたんだよ」
「な、なんでもない!」
近場にあったタオルを自分の顔に押し付けて私はそういった。
「いや、なんでもあるだろ」
するどいツッコミが入るも私はそのタオルを顔から外せなくなっている。
つまるところ私は戸津の過去の話を聞いて泣いていた。
戸津が中学の時にそんなことがあったなんて全然知らなかった。
何より泣けてしまったのがケンジ君のことだった。私は病気ではないからおこがましいことは言えないけど、死にたくなるほど辛い気持ちはわかったから。
でもそれでもやっぱり私もケンジ君には生きていてほしかった。
そうか、だから戸津はこんなに医者になろうとしてるのか。
「はあ、お前なあ……」
それだけ言うと戸津も黙る。突然黙ったのでタオルでの隙間から戸津を窺う(うかがう)と、戸津は額に手をやり、うっすらと瞳を潤ませていた。
びっくりして私も思わず、もう一度タオルで顔を隠す。
――戸津が泣いてる?
ど、どうしたら?
私の使ってるタオルは……もう汚いし……。
予想外の展開に思わず私の涙が引っ込む。いてもたってもいられなくなり、私は立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
それからすぐクローゼットに行き、小さいタオルを取り出す。
「戸津、これ」
「え?」
「いいから、これ!」
無理やり戸津の顔にミニタオルを押し付ける。
きっと見られたくないものだろうに。
そう思っていた矢先、
「ははは! なんだよ急に!」
「え?」
戸津は笑った。
「え? え?」
逆に私がテンパってしまう。さっきまで泣きそうだったのに。
「気にするな! 大丈夫だからさ」
「う、うん……」
私が再び座ると戸津はタオルを顔から取った。
あ、でも泣いてた。やっぱり。うっすら頬に跡が残っている。
「本当俺もどうかしてたんだよ」
戸津が突然にそんなことを言い出す。何のことかさっぱりわからないまま彼が私に向き直る。
「なあ細川、お前はちょっと暗いけど、きっと昔は明るかったんだろうな」
「……」
「それにいいやつだ。昔いじめてた奴に勉強まで教えてくれるし、こうして気にしてタオルまで渡してくれた」
「そ、それは……」
「本当ありがとう。それから……」
戸津はそれだけ言って土下座をした。
「小学生の時は、本当にごめんなさい」
この瞬間に私の中にあった過去が一気に弾け飛んだかのようにフラッシュバックした。
頭の中に渦巻く嫌な思い出。
それが一気に小さくなっていく気がした。
戸津の精一杯のごめんなさいは初めてだった。
彼に対しての嫌な気持ちが縮まっていく。不思議な感覚だった。
しかしそれもつかの間、すぐ我に返るとこの状況、変!
「戸津、いいから顔上げてって」
まるで私が土下座させたかのような感じだ。
私が慌ててそれをやめさせると、戸津もにやりと笑った。
「土下座なんて生まれて初めてしたぜ」
はあ、こういうところは変わってない気がする……。
「ちょっ、何ため息ついてんだよ」
「なんでもないよ。ほら、そろそろ帰りなさい」
「先生かよ」
それを言われて私はくすりと笑う。それを見た戸津がまた笑った。
「細川。お前は頑張ってる。知ってる奴は少なくともそう見てる」
彼は一呼吸置くとにぃっと笑い、
「だから、一緒に頑張ろうな。痩せて沢山笑え!」
そう放ったのだった。




