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 あの日以来、私は無気力になった。

 それでも通学と散歩だけは続けた。それをやめたら後悔しそうだったから、としか言えないが。

 それでもお兄さんとの勉強も何かあっても嬉しいと感じることもなく淡々と勉強をした。

 あの日のことは誰にも話していない。春ちゃんにも話せていない。というよりか話す気になれなかった。

 食欲も失せていて親からも心配された。

 イベントごとで文化祭なんてものがあったけどほとんど参加しなかったし、本当に勉強して散歩して夜は寝て、それの繰り返しで九月は終わった。

 あっという間だった。

 戸津とは席が離れ連絡も途絶えていた。今更気にすることでもない。

中間試験が迫り始めていた十月。

体重はついに八十三キロになった。十キロ痩せたことになる。ちょっと前までは十キロ痩せたらお祝いしようとか好きなものをちょっとだけ食べようとかそんなことを考えていた。戸津ともそんな話をしたことがある。お兄さんにもそう宣言していたな。

 だから本当はとても楽しみだった。だけど今はどうだろう。

 あ、この体重になったんだと、そう感じただけ。

 自分の体重を数字としか見れない。自分は重いんだなとそう感じる、ただそれだけ。

 頑張ったこととか周りには関係ないことなんだと自分に言い聞かせるように。

 中間試験の勉強もいつも以上に勉強していたため範囲はあっという間に復習が終わってしまった。

 そして試験を受け返却されると、それは予想以上にいいものでさすがにそれには少し嬉しくなった。


(よかった……)


 私にはもう勉強しかないのではないかとそう錯覚する。一瞬だが安堵感が得られた。

 勉強は噓をつかない。

 そう感じる。

 ダイエットは……しても望みをかなえられるかどうかはわからない。

 お兄さんとうまくいくなんてことはきっとないのだろう。

 気持ちを伝えても私はずっと『妹』なんだ。『女』として見てもらえる日はきっと来ない。

 ふうとため息を吐き、試験の結果を机に広げたまま、横になってスマホをいじっていると突然一件のメッセージが届いた。


「え」


 しばらく連絡がなかったので、このタイミングで来るとは予想にもしていなかった相手だった。


『試験結果どうだった』


 送り主は戸津だった。

 ダイエット以外のことを送ってくるには珍しい。

 一瞬返信を躊躇したが世話にはなっていたし実際今回の成績は恥ずかしいものではない。


『悪くはなかったよ』


 そう返事をする。すると間髪入れずにまたすぐ送り返してきた。


『俺は、すごく悪かった。特に英語と数学……。すげえ頑張ったつもりだったのに。冗談抜きで下のクラスに落ちるかもしれない』


 私達の学校は英語と数学は三段階、その他の科目は二段階のレベル別クラスになっている。戸津は現段階で英語と数学が真ん中のクラス。他の科目は上のクラスだ。私は一応全ての科目において上のクラスに所属している。

 あの難関の入学試験を超えてきた戸津が愚痴を言ってきたことに少々……いや、かなり驚いている。

 だって少なくとも入学時には勉強もできてスポーツもできて見た目もよくて、悩みなんかなさそうな奴だったのに。最近なんかは新しい彼女ができたという噂も聞く。いや、実際登下校で女子と二人で歩いているところを何度か見かけているから噂だけではないだろう。

 そんな戸津が愚痴?


『俺、医学部に入れないかもしれない』


 そういえばそうだった。戸津の夢は医者になることだ。もしあれが本気だとしたら下のクラスに落ちれば、今後の内申にも響くだろう。そうすれば推薦は受けられなくなるかもしれない。

 すこし返事の内容に悩んだ後返してみる。


『私にそれを言ってどうしてほしいの? 励ましてほしいの? アドバイスがほしいの?』

『アドバイスがほしい』


 戸津は迷いなく送ってきた。それを見て私も言葉を選ぶことをやめる。


『じゃあ優しい言葉はかけないから覚悟して聞いて。今回の試験は、特に数学はやったことしか試験に出てない。だけど簡単ではなかった。一夜漬けの勉強しなかった? それだと耐えられる内容じゃないよ。英語だけど、成績を知らないからなんとも言えないんだけど、暗記はちゃんとやった? 毎日長文英語読んでる? あれも勿論一夜漬けでどうにかなるものじゃないよ。特にうちの学校の長文英語に関しては難関大学受験の問題から引っ張ってきてるから、簡単にはいかないよ。医者になるつもりなら毎日勉強するくらいの気持ちじゃないといけないんじゃないかな』


 そう送ると数分返事がなく、ショックを受けたかなとかそんなことを思い、スマホを見るのをやめようとした。だが数分後にちゃんと返事は来た。


『ありがとう。確かに一夜漬けでどうにかしようとしてた部分はあるかもしれない。勉強も、自分では頑張っていたと思うけど足りてなかったのかもしれない。予備校に通おうかも悩んでるけど、現時点ではそうなると部活はやめないといけなくなる。そこまでの覚悟が今なくて。そこで折り入ってお願いがあるんだ』


 ん? そこまで読んで私はその先をスクロールするのが少し怖くなる。嫌な予感がする。


『勉強を教えてくれないか。それから、もう一度ダイエットに付き合わせてくれ』


 ああ、やっぱり……。

 そんなことだろうと思った。

 そういえば夏休みにも似たようなことを少し言っていたのを思い出す。


『やだよ。頭いい人は他にもいっぱいいるでしょ』


 それだけ返すとまた少しの間があり、それから電話がかかってくる。

 ここまで来ると出ないわけにもいかない。


「もしもし……」

「よう、久々だな」


 あ、と気付いてしまった。声が鼻が詰まったような声になっている。どう考えてもさっきまで泣いていたようだった。


「他の奴らにも勿論お願いしたんだよ。だけど表面上だけオーケーしてくれるだけで、親身にはなってくれてねぇんだ。正直、この学校に来て、今までと全然進捗も違うし、俺、どんどん成績下がってるんだ。このままじゃやばいんだよ……」


 私はしばし悩んだ。

 これは本気のお願いだ。戸津からお願いしてくることなんて過去にあったっけ。

 泣くほど悩んでいるのは、手に取るようにわかる。私だって何度コンプレックスで泣いたことか。

 それを考えると足蹴にもできなかった。


「じゃあ勉強は教えてあげる」

「まじか?」

「でもダイエットの手伝いはいらない」

「それは逆に断る。無償でお願いするのもおかしいだろ」

「ダイエットの手伝いは戸津にとって罪滅ぼしでしょ。そんな気持ちでもうされたくない」

「……」


 そこまで言い切ると、私は「じゃ……」と切ろうとした。が、「ちょっと待て」と電話越しに戸津が声を張り上げる。


「罪滅ぼしは一か月前に終わったんだろ……。じゃあこれは交換条件だ。俺は『お礼』に細川のダイエットを成功させたい。それじゃ駄目か」

「交換条件って……」

「それにな。あれ以来元気ないの知ってんだぞ。全然斎藤さんの前でも笑わないじゃねえか」

「春ちゃんといるときは笑ってるよ」

「嘘だね。少し前斎藤さんが俺のところに来たよ。優奈に何をしたんだ、って」

「……もしかして、言ったの?」


 ここまで来て私はめまいを覚えた。誰にも言ってなかったのに。


「ああ、言った。花火大会の日の話をした」

「なんでいうの?!」

「なんでって……」

「そんなに私が惨めになるのが楽しいわけ?!」

「そんなこと言ってないだろ」

「じゃあなんで!」


 ここまで言って次の戸津の台詞に私は何も言えなくなった。


「斎藤さんはお前の親友なんだろ」


 ハッとした。そうだった。春ちゃんは親友でなんでも相談できる大事な友達だ。

 そういえば時々どうしたのかと春ちゃんは聞いてきていた。でも私は「なんでもないよ」と言うだけで。

 わかっててそれでも私の口から聞こうとしてたんだ……。

 私はこの一か月ちょっとの間の無気力さ、無感情さが一気に消し飛んだ。それどころかまたわけのわからない感情でいっぱいになっていく。

 春ちゃんは私のことを心配してくれてた。

 春ちゃんだけじゃない。お母さんだって、お父さんだって、心配してくれてた。でも私はそれに気付かないフリをしてたんだ。

――自分が一番可哀想だって、そう感じてたんだ。


「おい、大丈夫か」

「……わかったよ」

「え?」

「戸津の勉強を手伝う。その代わり、戸津は私のダイエットを成功させて」

「そうこなくちゃ!」


 そうだ。一人でいじいじして、一人で引きこもって、一人で悲観に浸ってる場合じゃない。

 私はダイエットして告白するんだ。妹にしか見られてないことだって、前から薄々感じてたじゃん。振られるために告白するんじゃない。自分のために告白するんだ。私のけじめだ。

 振られて、きっと沢山泣いて、そこからまた私はスタートできるんだ。

 それにお兄さんはわかってくれる。私が沢山努力したこときっと知ってくれる。そしたら奇跡が起きるかもしれない。

 そうか、これが前向きになるってことなのかもしれない。

 ずっと後ろ向きでしか物事を考えられなかった。

 でもきっとダイエットも勉強と同じなのかもしれない。頑張ればきっといつか結果はついてくる――


「ありがと」


 戸津にそう呟くと、電話越しに戸津が「何が?」とぶっきらぼうに言ってくる。

 それを説明しようとは思わないけど、ね。


「じゃあとりあえず決まりだな。勉強は俺んちか細川の家でいいか?」

「うん……いいよ」

「おっし。じゃあ明日からまたよろしくな」


 そうか。また明日から、以前のような日がやってくるのか。

 なんとなく、楽しみに感じた。



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