その6 外見と中身
◆
細川が家に入った直後のことだ。
この通称『お兄さん』とかいう優男は、細川が入った後の二階を見上げながら俺の名前を呼んだ。
「戸津君」
「あ、はい」
突然名前を呼ばれて一瞬驚いた。だがそれも一時のことで直後の台詞に俺は首をひねる。
「君はどう思ってるの?」
「え?」
「彼女の事」
は? 突然何を言い出すんだこの人は。
「え? うーん、どうってどういう意味で聞いてるんだ?」
「もちろん、恋愛対象かって意味でだよ」
「あー……別に嫌いじゃないけど、そういうふうには見れないかなって」
なんだ、ちょっと不穏な空気の流れを感じる。
「そうなんだね。なら……」
優男は一息だけ間を空けると、
「彼女にちょっかいだすの、もうやめてあげてくれないかな」
と、放った。
「は?」
俺は眉間に皺を寄せるも、優男は言葉を続ける。
「あの子は元々とても明るい子だった。君に会うまではね」
「それって小学生のときの話か?」
「勿論そうだよ。あの子、何かあるごとに泣いてたんだ。君は知らないかもしれないけど」
「……それは悪かったって……」
「わかってないよ。君は。心の傷は簡単には治らない。下手すれば一生治らない。君はあの子にそういうことをしたんだ」
そこまで言われて俺は自分がはぶられた過去を重ねた。
確かにそうだけど。そうだけども!
なんだ、少しイライラする。
「そうだな。確かに治らないかもしれないな」
「ならなおさらわかるだろう。君がいれば嫌でもあの子は昔の事を思い出す。あれでも中学に入り、少し昔の、あの子の本来の姿に元に戻ってきていたんだ」
優男が言うことがわからないわけじゃない。だけど、それをこいつの口から言うのか。
なんだかおかしくないか。
「それはどういう目線で言ってるんですか? あいつを恋愛対象として言ってるのか?」
「……」
「あいつがあんたに気があることくらい、とっくに気付いてるんだろ」
「そうだね」
「中途半端な優しさであいつを守ったって、これからあいつのためにはならない。わかってんだろ、あんただってそれくらい」
そうだ。あいつをあのままにしたって、あいつの中身は変わらない。あいつ自身が変わる気でいないと、何も変わらない。周りが変わることもそれはある。だけど過去と決別するには何かが必要なんだ。それがあいつにとってはダイエットで、俺にとっては罪滅ぼしだ。
「おれはおいつにちょっかいだすのはやめない。あんたもいい加減、その中途半端な態度やめたらどうなんだ。それともあいつが好きなのか」
「多分……それとは違う。あの子は妹みたいな存在なんだ」
「は。なんだかんだいってあいつを女として見れてないんじゃないか。デブだからだろ。お前綺麗事言ってるけど、結局見た目なんじゃないか」
俺はそこまで言うと、優男はあの、今日三人組の女子達に見せた異常なほどの嫌悪感とちょっとした殺意まで感じる表情に変わった。
「それ以上言ってみろ」
「ああ、いくらでもいってやる。あんたは偽善者だ。妹だっていってあいつの本音と向き合おうとしないクズだ」
「それなら君はどうだっていうんだ。自分を慰めたくて昔傷つけたあの子につきまとって、自分の過去をなかったことにしようとしてる。それがクズ以外のなんだっていうんだ」
そこまで言って優男は俺に背を向けた。
「もういい、だけど君は絶対にあの子をまた傷つけるからな」
◆
一通り話を聞き終わり、私は何も言えなくなってしまった。
色んな複雑な感情が込み上げてくる。
お兄さんが私のためを思ってしたことに対する小さな喜びと、だけど妹としか見てもらえてないことをはっきりと知ってしまい悲しくなる気持ちと、そして戸津がそれに対して怒りを露わにしてくれたこと、でも戸津は自分自身のためにもこの『ボランティア』を続けていること、決して楽しいとかそういう気持ちでやっているわけではないということ――
私は足を止めた。まだ私の家まで半分はある。
あー今日の夕飯なんだろう、そんなことを頭が過ぎる。
現実逃避したい気持ちに駆られる。
どうしたいんだろう。
色々、色々頭を巡り、結果として私はよくわからなくなった。
悲しいとか、悔しいとか、嬉しいとか、そういう感情ではない。
なんだろう。言葉にできない。
わからないくせに涙が一筋だけ流れ出た。
「あー……細川? だから言いたくなかったんだ……」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねえじゃん」
「大丈夫。意外に心はしっかりしてるの。なんで泣けてくるのかはわからないけど。気にしないで」
淡々と答えた。わけがわからなくなり、感情が無くなったような気がした。
自分の中にある感情でただ一つわかることがあるといえば、嫌悪感――
それが何に対するものなのかはわからない。
お兄さん? 戸津?
いや、違う。
この嫌悪感は――
「戸津、ごめん。やっぱりもう散歩は付き合わなくていいから」
「え」
「私は自分が傷つくことを嫌ってる。だけどその傷つく原因を作ったのは私自身だから、戸津が重荷に感じることはない。私は私だけの力でダイエット続けるから」
そこまで言って戸津に向き直った。
「もう終わりにしよう」
その日の夜、私は生まれて初めて、本気で考えた。
どうやったら自分の存在を消せるのかな、と。
答えは見つけられなかった――




