その5 外見と中身
穴場スポットへ到着した。確かに少し離れてはいるが、人は少なく花火も上がればよく見えるだろう。近くに自販機とトイレもあるし絶好の場所だった。
しばらく涙が止まらなかったが、このままではだめだと深呼吸をして涙を拭き、顔をあげた。
「二人ともごめんなさい。もう大丈夫だから」
それを言うとお兄さんはにこりと笑いかけ、戸津は困ったように笑った。
「じゃあ始まる前にちょっとお手洗い行ってくるね」
お兄さんはそう言って徒歩数分先にあるトイレに向かう。
しばらく戸津と二人でいて沈黙があったが、少しして彼が口を開いた。
「よかったじゃねえか」
「え?」
「お前のこと、可愛いだってよ」
「へへ、お兄さんは優しいから」
私はさっき言われた言葉を思い出し、そういえばそんなことも言ってくれてたなと思い返す。傷ついていたせいでその時はあまり気付かなかったけど、よく考えれば……。
「でも確かにちょっと嬉しかった」
さっきまで泣いていたのが嘘かのように。今度は心の中がじんわり温かくなっていった。
「中身か……」
「え?」
戸津がふいに言葉にする。
「俺はあんな奴らとまるっきり同じだったんだな。胸糞悪いな」
「……」
「俺はまだなんも見えてないのかね」
それを言われて、色々と思い返す。
「まあ、まだ割とそうなんじゃない?」
「お前も随分言うようになったな……」
私は笑った。そして言葉を返す。
「あはは、本当の事じゃん。彼女さんも最初は見た目で選んだでしょ?」
「まあ否定はしないな。不細工より可愛い子の方がいいに決まってるもん」
「うん、そうだね。それはわかる。でもお兄さん言ってたね。二十歳過ぎたら、って。大学生になって、社会人になって、もしも私がこのままデブでも、明るくていい子でいたら、それでもいいって言ってくれる人現れるのかな」
振り向くとお兄さんがこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。手を振ってみると、振り返してくれる。
「ダイエットは頑張るけどね!」
それだけ言って、また笑った。
悲しいはずだったのに。
今は戸津とお兄さん以外人がほとんどいないおかげなのか、今は笑えている、とそう感じる。
さっきの言葉には確かに傷ついた。でもそれでなんであんなに泣けたのか今になってやっとわかる。
頑張ってるからだ。
頑張ってるから悔しかったんだ――
その後は花火大会を存分に楽しみ、また人混みの中を帰っていった。
私が少しびくびくしているのもお兄さんは気付いていたらしく、優しく手を引いてくれる。今日はお兄さんに触れられることが多くて嬉しいやら恥ずかしいやら。嫌なこともあったけど、それさえもプラスに働いてくれている気がした。
かなりきつい電車に乗りやっとの思いで地元駅に到着する。三人で今日の花火大会の感想や人の多さの感想、少し疲れたねとか楽しかったねとかそんな当たり障りのないことを言って歩いて帰る。
お兄さんは家のすぐそばなので送ってくれるらしい。戸津も私の家より少し奥なので結果的に三人で私の家まで歩いて行った。
「今日はありがとう」
私は笑った。楽しかった。悲しいこともあったけど、それ以上に二人といて楽しいことには変わりなかった。だから素直に言ってみた。
「戸津も誘ってくれてありがとう。誘ってもらえなかったらたぶん行かなかったし。お兄さんも色々助けてくれてありがとう」
今日は気持ちがほっこりしている。素直になれる自分もたまには嫌じゃない。
こんな気持ちがすっきりしている日はそう多くない。自分に自信があるわけでもない。でも今は笑っていたい。
自然に笑ったら戸津がまた気持ち悪いとか言うのかなとか一瞬頭を過ぎったが、戸津がそんなそぶりを見せることはなかった。
「よかったな」
と、戸津も笑ってそれだけ言った。
お兄さんも笑ってくれる。それだけで私は今日一日幸せな気分で終われる。
挨拶も程々に私は家の中へ入っていった。
楽しかった――
◆
と、ここまでが私の知っている花火大会の日だった。
だが夏休みが明けてから私はそのあと起こったことを知ってしまう。
それは楽しかったあの一日の思い出を闇に変えてしまうことだった――
◆
夏休みが明けた。
夏休み中ずっと戸津の様子がおかしかった。ことあるごとに、私にやっぱり告白はよした方がいいんじゃないかとか、目標を変えろとか色々言ってきていた。
理由を聞いても全然答えてくれなかった。
女の勘だがなんだかいい予感はしていなかった。それでも理由はちゃんと知りたい。
散歩中に聞いても駄目なら、と今日は珍しく学校で聞いてみようと思ったのだ。恐らく今日は二学期最初の席替えがある。その前に聞かないと。
学校に着いて戸津を待っていると、何人かの男子と話しながら教室に入ってくる。いつもの戸津だ。そして隣の席に座る。
私が珍しく戸津に自分から挨拶をしてみた。
「おはよう」
「お、おう、おはよう」
やっぱり変だ。私が話しかけると妙な態度になる。
「ねえ、やっぱりなんかあったんでしょ。何があったの。花火大会の後」
「だからそれはもういいって言ってんだろ」
戸津は目を合わせようとしない。
やっぱり駄目か。
そんなことを思っていると春ちゃんが席にやってきた。
「おはよう、優奈! あ、また痩せた?」
「そうでもないよ。ちょっと停滞期。あ、でも聞いて聞いてー、あのね」
花火大会の日の話をしようと、口を開いたその時だった。
「よーっす、戸津。久々だな! そういや聞いたぞー」
げ、私の苦手男子ランキング五位には入っている橋本大樹だ。戸津の入学当初真っ先に話しかけた人物、ついでに戸津と同じ水泳部だ。
第一声を聞いて嫌な予感がした。
「おい、お前本当にあの男嫌いにつきあってダイエットしてたのか」
やっぱり……。
私が隣にいることなんかお構いなしに視線をこっちに向けてはにやにやしてくる橋本大樹に顔を向けることができず言葉も発せなくなった。
怖い。
春ちゃんが心配して手を握ってくれる。
「んーまあ、してたっていうか、散歩の相手になってただけだけどな」
戸津が気まずそうにして言葉を発する。しかし橋本大樹の言葉は止まらない。
「へーもう彼氏じゃん! おまえ」
「いや、それは違うだろ……ってお前いい加減に……」
「お前、あいつに構いすぎてマネージャーに振られたんだってな」
「ちょ、おい、それどこで聞いたんだよ」
「もうそこそこ噂になってんぜ。花火大会も二人でいったとか、まじなのか?」
「いや、それは……」
「まじ?! お前本当にあいつと付き合ってんの?!」
戸津が困っているのもわかったがそれ以上にこの状況が苦痛でしょうがなかった。私が何を言っても聞いてくれないのはわかっている。
反応をしてはだめだ。
相手は反応を求めて、からかっているんだ。
そうわかっていても『反応しない』という反応をしてしまっていること自体がもう矛盾であることに私も気付いていた。
じゃあどうしたらいい?
クラスの何人かが私達に注目している。
怖い。怖いよ。
「えーあんなデブスとお前が? やめとけって! 悪いこと言わないからさ」
あ、やっぱり。
ぷつんと何かが切れた音がした。
怖いだけじゃない。あることに気付いてしまった――
「大樹、いい加減にしろよ。あいつに聞こえ……」
「いいよ、別に」
私は思い切って声に出した。
それに一番驚いたのは橋本大樹のようだった。
「お、喋った!? マジか!」
「え?」
戸津も困惑している。
勇気を出すんだ私。もうきっと、一人でも大丈夫――
「やっぱり迷惑になるから。ダイエットの散歩、付き合ってくれてありがとう。もういいから」
机を見つめながら、顔も上げることなくそう呟いた。
「ちょ、待て待て。なんでそうなるんだよ」
「おいおい、なんだ痴話喧嘩か?」
「大樹は少し黙っとけよ」
戸津が少し怒気を含ませながら橋本大樹を睨みつける。
そのせいか橋本大樹もそれ以上何か言うこともなく、ちょっといずらそうにした後に教室を去っていった。
戸津が私を見ている。
「こっち見て言えよ」
私はぐっと奥歯を噛みしめて戸津と向き直る。
「こんなこと今日初めてじゃねえだろ」
「初めてじゃないから決めたんだよ。戸津気付いてる? 私、戸津といると傷つくことが多いんだよ。それが苦しい。辛い」
「え?」
勿論戸津だけが悪いんじゃない。私がデブなのがそもそもの元凶なのだ。でも、それでも、私は戸津の隣にいることで傷ついている。
しばらく沈黙が流れた。春ちゃんが気まずそうにして、「少し席外してるね」とだけ呟いて、自分の席へ戻っていった。あとで謝らないといけないな……。
沈黙が続いた後、戸津がため息をついた。
「俺は、お前を傷つけてるだけなのか、やっぱり」
「……やっぱりって?」
「……花火大会の後のこと話すよ。帰り、地元駅で待ってろ」
戸津はそれからどうするか自分で決めろとだけ言って、私から視線を外した。
放課後――
駅で待っていると戸津が一本遅れて到着した。
そこから私は家に着くまでの間に、花火大会の後何があったのか知ることになる。




