その4 外見と中身
「あれ、やけに早いな。まだ十分前だぞ」
あれから買い物をして、改札口手前で戸津と合流した。
私がお兄さんと楽しげに話していることなんてまったく気にしてないのか、突然横から割こんできた。
空気読めよ! なんて心の中で思うだけにしとく。
「やあ、戸津くん。こないだスーパーで会ったよね、よろしく」
「お、おう……確か家庭教師の……」
「関根智幸だよ」
「関根……さんね、了解。よろしくお願いします」
いつもの感じとは違う改まった戸津がおかしくて、思わずにやけてしまう。
「なんだよ」と少しふてくされた戸津と、不思議そうな顔をしながらニコニコしているお兄さん。本当対照的だ。
「なんでもないよ」
「そっか? そういや……」
戸津が私を足元から頭の先までさっと見渡し、
「いつもと感じ変えてきたなーさすがに」
と、突然言い放った。
驚いて私は戸津の腕を掴む。
「!! ちょ!」
「え?」
「やめてよ、お兄さんの前でそういうこというの」
ぼそぼそと耳打ちするも、戸津は「いいじゃん、別に」とだけ言って、私の手から逃げると、改めてまた発する。
「いつもと雰囲気違うって言っただけだろ」
お兄さんのために、とまではいかないが必死になった自分が恥ずかしくなる。
どうしてこいつはこうも……。
恥ずかしくて俯いていると、頭の上にポンと温かみのある手が乗せられた。
「可愛いよね。優奈ちゃん」
そして二度三度ポンポンと頭を叩かれる。
「何も問題ないよ。ほら顔上げてごらん」
お兄さんに言われそっと顔をあげる。にっこりと笑うお兄さんと、その後ろで腕を組んでにやついている戸津が目に入った。
戸津、いつか殺す。
それが顔に出て怖い顔をしていたのか、お兄さんに「ほら、笑って」と言われたので、無理やり笑ってみると「うん、可愛い」とまた言われ体中が熱くなった。ただでさえ夏で暑くて汗が出てくるのに。これじゃあ汗が止まらない。
「おい、いちゃつくのはいいけど、そろそろ電車来るぞ」
一人で改札に入る戸津。追いかけるようにして私達も改札に入っていった。
す……少しだけ、戸津に感謝するよ。言わないけどね。
電車は混んでいた。通勤ラッシュに比べればましだがそれでも人との距離は近く、触れてしまうくらいではあった。浴衣姿の人もちらほらと見えて、これから花火大会に行くのだということがわかった。
電車は嫌いだ。太っているせいで足への負担も大きいが、それ以上に太っているため人の邪魔になる。足が痛くなるので本心は座りたいが、座ることで私の隣に人が来なくなるのは知っている。邪魔だからだ。だから私はよほど空いているとき以外は立つことにしている。疲れるし、肩身は狭いし、いいことなんて一つもない。特に夏なんて人一倍汗もかくから自分の臭いも気になってしまう。
ましてやこんな混んでる電車――
と言いたいところだが今日はちょっとだけ状況が違う。お兄さんがすごく近い。
ついでに戸津も近いけど。
それはいいとして、お兄さんがどんどん乗り込んでくる人に押されないように庇うように立ってくれているのがわかって動悸が治まらない。
「めっちゃ人いるなあ……」
戸津のそんな独り言もどうでもよくなる。
ちょっとどころじゃない。幸せだ。
「あの、お兄さん、大丈夫?」
「ん? 大丈夫だよ。ありがとうね」
にこりと微笑んでくれる。私はこの人を好きになってよかったと常々思った。
そして駅に辿り着くと、人がどっと降りていく。お兄さんは一瞬だったが私の手を取り、はぐれないようにと握っていてくれていた。
「大丈夫だった?」
少し深呼吸している私を見て、お兄さんは尋ねてくる。本当に優しい。
戸津はというと、少し離れたところに押し出されていた。
「おい、お前達な……」
にやけそうになっている私を察したのか、戸津は合流すると小さなため息を一つ吐いた。
幸せだった。今日のこと戸津には感謝しないといけないだろう。
――そう思っていた。
けれどそれもそう長くは続かなかった――
会場に近づくにつれて屋台も増えてくる。食べ歩いてる人も増えてきた。
戸津は少し行ったところに穴場スポットがあると事前調査していてくれたみたいでそこに向かう最中だった。
お兄さんや戸津と話しながら歩いていたが、なるべく人に当たらないように注意はしていた。しかし人混みの中で私は人にぶつかってしまったのだ。いや、正確には前を向いて歩いていない人にぶつかられた。しかも最悪なことに相手が持っていたかき氷を思いっきり落とさせてしまった。
顔を見ると女の三人組だった。髪が長くて目がぱっちりしていて細くてすごく綺麗な三人組だったが、一瞬で自分が苦手とするタイプの人間だと直感で感じた。髪色も明るくピアスは耳に何個も空いていて、浴衣だったがすごく丈の短い浴衣だった。少なくともこういったタイプの友達は私にはいない。
一瞬でまずいと感じた。自分が悪いとか悪くないとかそんなことよりも咄嗟に私は自分から言葉を発していた。
「あ、すみませ……」
「うわ、ちょっと、最悪。さっき買ったばっかりだったのに」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「デブはくんなよ、こんなに人がいるのに」
「……」
「あーもう最悪」
冷や汗がとまらなくなった。
怖くて顔があげられない。
「あのなあ……」
そう言いかけた戸津の言葉を耳にした瞬間それを遮るように、女の人達は更に言葉を乗せてくる。
「弁償しなさいよ、デブ」
確かに。デブだ。やっぱり来てはいけなかったんだ。
私はそう感じて黙って財布を取り出そうとしたその時だった。
「こんな人混みの中で女子三人で横一列に並んで、周りをみずにくっちゃべって歩いてた君達の方がよっぽど邪魔なんじゃないの?」
お兄さんだった。
びっくりして顔を上げる。
「は? なにこいつ」
「謝れよ、この子に」
お兄さんは私の財布の手を止め、私の前に出てきた。お兄さんの背中しか見えなくなった。
お兄さんがどんな顔して言葉を発しているのか私にはわからない。
「な、何よ」
「お兄さん、もういいから……」
それを言うとお兄さんはくるりと振り向きにこりと笑って見せる。言葉にはしなかったが、「大丈夫」と口パクで言ったのがわかった。そしてまた女の人達に向き直ると更にお兄さんは続けた。
「お前らみたいな中身ブスの女より、この子みたいな女の子の方がよっぽどマシだってわかんないなんて、かわいそうなブスだな」
「な、なにこいつ」
「ちょっと太っている子にデブって言っていいなら、ブスにブスって言うのも別に何の問題もないよね? ブス」
「っ……いいよ、もういこう」
それだけ言って何か一言二言呟いたようだったが、彼女達はそこを去っていった。
私は手が震えてしまっている。
怖いとかじゃなくて、きっとこれは……デブという言葉に傷ついた?
頑張っていることを知っている人もいる。だけどそんなのはあの人達には関係ない。
そうだ、私はデブで不細工で。
でも私は泣いたらいけない。泣けばつけあがらせるだけなのは知っている。それに不細工は泣けば気持ち悪いといわれるだけなんだ。
何よりもお兄さんが体を張って守ってくれた。泣くわけにはいかない。
「大丈夫だった?」
お兄さんがそんな私に声をかけてきてくれた。
ハッとして顔を上げる。
精一杯の笑顔を作って見せる。
「あ、うん。大丈夫。お兄さんもごめんなさい」
ははは、と笑うも、お兄さんは真顔だ。お兄さんに作り笑いだとばれている。
「なんで君が謝るの?」
「……デブで邪魔なのは本当のことだから」
それだけいうとお兄さんは頭をぽんと撫でてくれる。
しばらく黙ってそれから口を開いた。
「そうか……でもね、二十歳を過ぎた頃から、人はちゃんと全てを見れるようになるんだよ。まあ、中には見れない人もいるけど……。あんな女なんかより、君の方がよっぽど可愛い。だからほら、自分にもっと自信を持って」
「……」
それだけ言われると心に溜まっていたものが溢れ出してきた。
じわじわと涙が目にたまってしまう。どうしたって出てきてしまう。
お兄さんは黙って私に小さなタオルを渡すと、手を引いて目的地へと歩き出す。
その間戸津もずっと黙っていた。何かを言いたそうにしていることには気づいていたが、私は自分の感情のコントロールができなくなっていてそれどころではなかった。




