6話
翌朝目覚めると、冬の光がカーテンの隙間から少し眩しいくらいに差し込んでいる。
それでもわたくしは夢うつつのまま、ぼんやりと天井を見つめていた。
けれどアンの慌ただしい声が、不意に部屋の外から意識を引き戻す。
「お嬢様! いつまで寝ていらっしゃるのですか」
「あ……おはよう、アン」
「おはようではありません! 何時だと思っているのですか?」
「もう、朝からそんな大きな声を出さないで」
「朝ではありません、そろそろお昼でございます!」
その言葉に、思わず寝台から飛び起きた。
「あら、本当だわ。道理でお日さまが眩しいはずだわ」
「それより午後は、社交界で新しくお召しになるドレスを決めなければいけません。商会の方がいらっしゃいますので、早くご支度をなさってください」
「ああ、そうだったわね。すっかり忘れていたわ」
アンに急かされるまま着替えを済ませ、朝昼兼用の食事を取った。
午後、商会の方が色とりどりの生地を抱えてやってきた。
アンは並べられた生地を前に、目を輝かせる。
「お嬢様、こちらのお色、素敵ですねー」
「あらアン、こちらの色だって素敵よ」
「確かに。とても綺麗な淡いブルーですね。まるでエドガー卿の瞳のお色と同じですね」
「な、何を言っているのよ! わたくしはアンが言うまでそんなこと全く気づかなかったわ!」
自分でも分かるくらい頬が熱くなる。
アンはそれを見て、ニヤニヤと楽しそうだった。
「では、ご主人、こちらのお色でお願いします」
「な、アン、勝手に決めないでちょうだい!」
「いえ、お嬢様にはこちらのお色がピッタリだと、私も思います」
そんな調子で、あれよあれよという間にドレスの色は決まってしまった。
そして夕方になるころ、お父様がいきなり領地から帰って来られた。
「お父様、おかえりなさいませ。今回は随分とゆっくりなさっていたのですね。伯父様のお話では、先週戻られると聞いていたのですが」
「ああ、ただいま、ミリアン。帰ろうと思ったらアンソニーのやつが熱を出してな。しばらく仕事を手伝っていたんだよ」
「あら、それでお兄様は大丈夫なのですか?」
「私が帰る頃にはすっかり元気になっていたよ」
「それは良かったですわ」
お父様は椅子に腰を下ろし、メイドから紅茶を受け取ると、いきなり本題に入った。
「さて、昨日の舞踏会はどうだった?」
「ええ、盛況でしたわ。……というか、お父様。わたくしが舞踏会へ行ったこと、どうしてご存じなのですか?」
「屋敷に帰る前に兄上のところに顔を出したら、事細かに教えてくださったぞ。そうしたら、その舞踏会、お前がエドガー・ウィルソン卿と一緒だったと聞いたぞ」
来たわ。
お父様の眉がわずかに上がり、その表情はまるで探偵のように答えの先を読んでいる顔だ。
「えっと……はい、ご挨拶をいただきました」
「ふむ、ご挨拶を、ね?」
お父様の口元が愉快そうにほころんだ。
どうやら、そのご挨拶の先が知りたいようだわ。
「それで、彼はどうだった?」
「真面目な方でしたわ。少し……不器用なところもありますけれど」
「ほう、不器用。しかし娘のお眼鏡にはかなったと見えるな」
「そ、そんなこと……っ」
言葉に詰まるわたくしを見て、お父様は紅茶を口に運び、静かに微笑んだ。
「無理強いはせんよ、ミリアン。だが父としてはな、エドガー卿のような誠実な青年は、そう多くはないと思っている」
その声音は穏やかでありながら、どこかしら当主としての本音も滲んでいた。
「お父様は、彼をご存じなのですか?」
「うむ。陛下の狩猟会で少し話したことがある。若いが見どころのある男だ」
ふと、お父様の目が柔らかく細められる。
「それに……かなり真剣に、お前と会わせて欲しいと陛下に願い出たとも聞いた」
「な……っ」
思わず紅茶をこぼしそうになる。
全く、伯父様はなんでもお話しになるのだから。
お父様は愉快そうに肩を揺らし、読んでいた新聞を畳んだ。
「まあ、焦る必要はない。エドガー卿も君も、まだ若い。
だが良き縁というものは、案外こうして静かに訪れるものだ」
そう言って軽くわたくしの頭を撫でると、お父様は部屋を後にした。
ぱちり、と暖炉の火が音を立てる。
静けさが戻った応接室で、わたくしはそっと紅茶のカップを見つめた。
『お父様は無理強いはしないと仰った。陛下の言葉は絶対ではないのかしら? それならわたくしにも選択肢があるということなのね。でも……真面目で、不器用な方だったわ』
胸の奥で、昨夜の記憶が小さく波紋のように広がってゆく。
『良き縁は静かに訪れるもの』
お父様の言葉が、なぜかいつまでも耳から離れなかった。




