4話
わたくしが彼に突きつけた課題は、今週末に開かれる、公爵家主催の舞踏会に同行し、わたくしをエスコートすることだった。
「ふふ、彼がダンスなんて踊れるはずがないわ。きっと、隅で立っているか、せいぜい他の招待客に挨拶するのが精一杯でしょう。騎士道一筋の彼には、社交界の機微など分かりっこないわ」
そして舞踏会当日。
わたくしは、若草色のベルベットのドレスを纏い、エドガー卿を待った。
馬車から降りて、颯爽と歩み寄る彼の姿は、相変わらず非の打ち所がない。彼の身につけている燕尾服は、上質な仕立てであり、一見して元平民とは分からない気品があった。
「お嬢様、今宵は誠に光栄に存じます」
エドガー卿は、わたくしの手を優雅に取り、恭しく甲に口づけを落とした。その手つきは、まるで長年社交界で洗練された貴族のようだ。
(何よ! またしても完璧だわ! どこでこんな作法を身につけたの!)
わたくしは、動揺を隠し、冷ややかな声で告げた。
「では、エドガー卿。今宵は、わたくしの理想の殿方となるための実地試験ですわ。わたくしを最も輝かせられるよう、存分にお励みください」
「承知いたしました」
会場に入ると、周囲の貴族たちはすぐにわたくしとエドガー卿に気づき、ざわめきが起こった。
「あれが、先の北方戦線で大きな戦果をあげられたエドガー・ウィルソン卿か! 侯爵家のご令嬢をエスコートしているぞ。平民上がりと聞いていたが中々立派な紳士ではないか」
「なんと堂々としているのか。武骨な男だと思っていたが品格まで備わっているではないか」
「それに陛下の信頼も厚いと聞いているぞ」
「なんだか、あのお二人、とてと絵になっていますわね」
わたくしは、周囲の視線と囁きが、エドガー卿に集中していることに内心、驚いていた。
『彼はそれほど評価をされているのね』
意外だったわと、心の中で感心していた。
しかし、エドガー卿は、涼しい顔でわたくしをエスコートし続けた。
そして、ついに演奏が始まり、最初のダンスが始まった。
わたくしは、優雅に微笑み、エドガー卿に向かって
「さあ、エドガー卿。わたくしはダンスが大好きでしてよ。この一曲、わたくしをエスコートしてくださるでしょう?」
わたくしは心の中で『これでチェックメイトだわ』と呟いた。ここで彼がぎこちないダンスを披露すれば、この場を台無しにした彼を、容赦なく断ることができる。
エドガー卿は、しかし、すぐにわたくしの手を取ろうとはしなかった。
彼はわたくしの目を見つめ、深呼吸した後、ゆっくりと、しかし、まっすぐな言葉を返した。
「お嬢様。申し訳ございません。私は、今、お嬢様をエスコートして、ダンスフロアの中央に出るわけにはいきません」
わたくしは表情が、一瞬で凍りついた。
「なんですって? これはわたくしが与えた『課題』ですわよ! 貴方、逃げるおつもりですか!」
「いいえ、逃げるのではありません。お嬢様のお望みは、『社交界でわたくしを最も輝かせられる人』でしたよね? 残念ながら、ダンスは現在、お嬢様のために必死に練習中でございます。今の私の技量では、お嬢様の足を何度も踏みつけ、この場で恥をかかせてしまうことは確実です」
彼の言葉は、わたくしの胸を衝いた。ただ『踊れません』と言うのではなく、『お嬢様に恥をかかせたくない』だなんて。
「私は、今宵、お嬢様を心から楽しませたい。そして、お嬢様が最も輝く姿を、この目で見たいのです」
エドガー卿はそう言うと、わたくしの手を放し、周囲を見渡した。そして、親しげな表情で立っている一人の青年に目配せをした。
「失礼、伯爵家ご子息のルイス・アルフレッド殿にご協力をお願いいたしました」
エドガー卿は、手で彼を招き寄せると、わたくしに優雅に紹介した。
「ルイス殿は、とてもダンスがお上手な殿方の一人です。今宵のこの一曲は、どうかルイス殿と踊って楽しんでください。私は、お嬢様が軽やかに舞う姿を、ここから見守らせていただきます」
わたくしは、驚きのあまり、何も言葉が出てこなかった。
ルイス様は、エドガー卿の真摯な頼みに快く頷き、わたくしの手を取り、ダンスフロアへといざなった。
音楽が再び高鳴る中、わたくしは無意識にステップを踏み始めた。ルイス様のリードは完璧で、わたくしは水を得た魚のように、華麗にフロアを舞った。
しかし、わたくしの視線は、ダンスフロアの隅の一点に吸い寄せられていた。
エドガー卿は、ダンスを踊ることなく、ただそこに立っている。
彼の瞳は、わたくしから一瞬も離れることはなかった。そのまなざしは、熱を帯び、隠しようのない愛おしさに満ちているようだった。
彼の行動は、わたくしの完璧な高慢な鎧を、再び打ち砕いた。
彼は、自分が踊れないという弱点を隠すどころか、『お嬢様を輝かせる』という目的を、最も純粋な形で果たしたのだ。
(わたくしのために、事前に、こんな周到な準備を…!?)
ダンスを終え、息を弾ませて戻って来たわたくしの頬は、高揚と、別の熱で赤く染まっていた。
「お嬢様、楽しんでいただけたようで、何よりでございます」
エドガー卿は、そう言って、満面の笑みを浮かべた。その顔には、ダンスができなかったことへの悔しさなど、微塵もなかった。ただ、わたくしが楽しんだことへの心からの喜びだけがあった。
わたくしは、彼の予想外の優しさと誠実さに、初めてまともに言葉を返すことができなかった。




