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高飛車な侯爵令嬢と不器用な騎士団長  作者: ヴァンドール


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35/42

35話

 懐かしいこのお屋敷での生活はまるで以前からの続きのような錯覚さえ覚えた。

 あの竜巻がもたらした惨劇が跡形もなく片付いていたせいかもしれない。


 大勢の団員たちは副団長が団長になったのを機にそれぞれこのお屋敷を去って行った。

 しかし休みの日には皆、顔を見せに来る。

 そしてわたくしがこのお屋敷に戻ったことを心の底から喜んでくれた。


 王子様には、ロイドお兄様がそれとなく今のわたくしの現状を伝えてくれた。

 王子様は『そうか、我々の道が交わる未来はなくなったのだな』とおっしゃったそうだ。

 わたくしは心の中で王子様の優しさに感謝した。


 こうしてわたくしたちは穏やかな日々を過ごしていた。今日も小鳥の囀りを聞きながら、エドガー様は、熱心にリハビリに取り組んでいる。わたくしはその傍らで刺繍をしていた。

 そんな時、玄関の方でメイドが慌ただしく駆ける足音がして、続いて聞こえた名前に、わたくしは思わず針を落とした。


「ソ、ソニア様……?」


 かつてエドガー様に想いを寄せ、そして最後には彼の頼みでわたくしに優しい嘘をついた彼女、あの辺境伯令嬢のソニア様。

 強い意志と優しさを同時に持ち合わせた、少し不器用な女性。


 その本人が、なぜ今ここに。


 応接室へ案内されたソニア様は以前の毅然とした態度ではなく、どこか気まずそうに微笑んだ。


「急に押しかけてしまってごめんなさい。父が王都で陛下にご報告があって……同行ついでに、エドガー様がどのように暮らしているか気になって」


 気になって、という言葉に、わたくしは少しだけ胸の奥がざわついた。


 もし、わたくしがここにいなかったら?

 もしかして、まだエドガー様のことを……?


 そんな邪な想像をした瞬間、わたくしは自分の心の狭さに驚き、またも刺繍の針を落としてしまった。

 その様子を、エドガー様は困ったように微笑みながら見ていた。そしてそっとわたくしの側に来てくれる。


 そこへ、まさに絶妙のタイミングで、屋敷の扉が再び開いた。


「ミリアン嬢! 父上からの土産だ。おっと、これはまた華やかな先客が」


 従兄のロイドお兄様がひょいと顔を出した、その瞬間である。


 ロイドお兄様とソニア様の視線が合った。

 ぱちん、と音がしたような気さえした。

 わたくしはすかさず二人をそれぞれ紹介した。


「こちらはわたくしの従兄弟、エルドラン公爵家子息のロイドお兄様でこちらがマイセン辺境伯令嬢のソニア様よ」


「ロイド・クロフォードと申します。初めまして、ソニア嬢」


「ソニア・バルクレアです……初めまして、ロイド様」


 わたくしは横でそっとエドガー様の袖を引く。


「ねえ、今の見ました? なんだか……いい感じでは?」


「確かに。ロイド殿のタイプのようだね」


 わたくしの胸のざわめきは、まるで風に飛ばされた花びらのように消えていく。

 今のソニア様には、あの時のような陰はない。


『こんなにも明るい方だったかしら?』


 そしてロイドお兄様は、まるで新しい宝石を見つけたかのように輝いた目で彼女を見つめている。


 あら、これは。

 まさかの恋の風向きが変わった瞬間ではなくて?


 わたくしは心の中でそっと祈った。

 今日の訪問が、おふたりにとって、新たな幸せの始まりでありますように、と。


 ソニア様は、最初こそ緊張していたものの、時間が経つにつれて、その表情が段々と柔らかくなっていく。


 わたくしとエドガー様は、向かいのソファからそっと観察する。

 何というか……あの二人、妙に会話のテンポが合っている。


 ロイドお兄様は普段、わたくしをからかって余裕たっぷりの笑みを浮かべているが、今は少し背筋が伸び、貴族的な礼儀正しさをきっちり守っている。

 ソニア様もまた、辺境で鍛えられた毅然さを残しつつ、どこか女性らしい柔らかい微笑みを見せていた。


 あらまあ。

 わたくしの胸の奥が、くすぐったくて仕方ない。


「ソニア嬢は、王都に滞在中どこか行きたい場所はありますか?」


「そうですね……市場を見てみたいです。辺境とは全く違うと聞きますし、父の許可が出ればですが」


「でしたら、僕が案内しよう。安全面は僕に任せてほしい。こう見えて剣の腕にも自信があるんです」


「まあ、そうなのですね。てっきり文官系の方かと」


「よく言われますが、見た目のせいでしょう」


 二人が楽しげに笑い合うのを眺めながら、わたくしはエドガー様の袖をまた軽くつまむ。


「ねえ、エドガー様。あれ、完全に惹かれていますわよね」


「ロイド殿の顔、分かりやすいからな。あれは、好意の色だ」


「ソニア様もよ。あの頬の赤み、絶対よ」


「……嬉しいことだね。彼女には幸せになってほしいと思っていた」


 エドガー様の横顔は穏やかで、どこか嬉しそうだった。

 過去のわだかまりが、ふっと風に溶けていくようで、わたくしは胸が温かくなる。


 その時、ロイドお兄様が思い出したように、わたくしへ振り返った。


「そういえばミリアン、明後日、お茶会に行くんだろう? もしソニア嬢が迷惑でなければ、一緒にどうかな」


「まあ、素敵。ソニア様、ぜひご一緒に」


「……よろしいのかしら。わたくしのような地方者が、王都の社交の場に」


「辺境伯令嬢が地方者であるものですか。それに、わたくしのお客様ですもの。堂々となさって」


 そう言うと、ソニア様はわずかに目を潤ませ、そっと口元を押さえた。


「ありがとう、ミリアン様……。今さらですが、わたくし、あなたに嘘をついてしまったあの時のこと、ずっと気になっていて」


 その言葉に、わたくしは、真っすぐに彼女を見つめた。


「もういいのです。ソニア様。あなたが嘘をついたのは、わたくしを傷つけるためではないと知っています。」


 そしてわたくしはチラリとエドガー様を見た。

 彼は一瞬、気まずそうに微笑んでいた。


「それに、エドガー様に頼まれたこともお聞きしました」


 ソニア様は小さく頷き、ぎこちなく微笑んだ。

 その横で、ロイドお兄様も優しく微笑みながら静かに見守っていた。


 やはりこれは。

 恋の風向きどころか、しっかりと導線ができているではなくて?


 こうしてエドガー様の屋敷には、ひとつ新しい物語の種が芽吹いた。

 まさか、ソニア様がこんな形で報われるとは……人生とは優雅で、時に予想外の贈り物をくれるものですね。

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