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高飛車な侯爵令嬢と不器用な騎士団長  作者: ヴァンドール


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26話

 王子は、わたくしが話し始めるのを静かに待っていた。

 急かすでもなく、ただ穏やかな眼差しで。


 その誠実さが、逆に胸に刺さる。


「領地の改革といっても、わたくし一人で成し遂げたわけではありませんわ。領民の方々のお力あってのことです」


「それでも、動いたのはあなたです。誰も気づかぬところで努力する者こそ、国は必要としている」


 王子の言葉はまっすぐで、真摯だった。


 なのに。


 わたくしの胸には、また別の声が蘇る。


(……ミリアン。君は誰よりも努力する人だ)


 あの夜、微かに笑ってそう告げたエドガー様の声。


 どうして、いまになって思い出してしまうのかしら。


「ミリアン嬢?」


「あ……失礼しました。少し、考え事を」


 王子はわたくしを責めることなく、むしろ柔らかな微笑みを深めた。


「いいえ。それほど真剣に生きてこられたということですね」


 その言葉に、周囲の貴族たちがざわめいた。

 王子がここまで率直な褒め言葉を口にするなど、珍しいことなのだろう。


 ロイドお兄様もわずかに驚いたように目を細めたが、すぐにわたくしの手をそっと支えるように位置を整えてくれた。

 その仕草に、気遣いと守りの気持ちがにじむ。


(……お兄様、わかってらっしゃるわ)


 わたくしの心がまだ、完全には回復していないと。


ーーーーー


「ミリアン嬢、もしよろしければ後ほど……少しお時間をいただけませんか?」


「……お時間、ですか?」


 王子は軽く顎を引いて頷いた。


「ええ。あなたと話したいことがたくさんあるのです。ロイドの手紙で優秀な従妹がいるとは聞いていましたが……まさかここまでとは」


「殿下、買いかぶりですわ」


「いいえ、本心です」


 王子は優雅に、しかしどこか狩人のような眼差しで言った。


「国を支える女性。興味を抱くのは当然でしょう?」


 わたくしの胸が、どくりと跳ねた。


(……どうしましょう。ありがたく、光栄だけど……)


 なぜか一歩を踏み出す足が、ほんの少し重くなる。


「ロイド。少し君の従妹をお借りしても?」


 王子の問いに、ロイドお兄様は一瞬だけ迷うように視線を横にそらした。

 そして、静かに微笑む。


「ミリアン嬢がよろしければ、殿下」


 その優しさに、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。


(お兄様……わたくしを前へ進ませようとしているのね)


 わかっている。

 わかっているのだけれど。


「……殿下。では後ほど、少しだけ」


 そう返したわたくしに、王子は満足げに深く微笑んだ。


「楽しみにしております、ミリアン嬢」


 その瞬間、わたくしを中心に、周囲が静かにざわめいた。


 王子が興味を示した。その事実が、夜会の空気を変える。


ーーーーー


 王子が別の客人に呼ばれて歩き去ると同時に、

 ロイドお兄様がわたくしの背にそっと手を置いた。


「大丈夫かい?」


「……わかってしまいます?」


「僕は君の兄みたいなものだからね。少しは表情で読めるさ」


 ロイドお兄様は軽く笑ったあと、声を落とした。


「殿下は……悪い人ではない。いや、むしろ非常に誠実で優秀だ。僕も彼を敬愛している」


「そう、なのですね……」


「ただ、ミリアン嬢。無理に前に進む必要はないんだ」


 その一言は、まるで痛みを和らげる温かい薬のようだった。


「君の心が答えを出すまで。焦る必要はない。殿下が君に興味を示しても……選ぶのは君だ」


 わたくしは、そっと唇を噛んだ。


(選ぶ……わたくしが?)


 そんな自由が、わたくしにあるのだろうか。


 エドガー様のことを忘れられないまま、

王子の真っ直ぐな眼差しを受けていいのだろうか。


 胸の奥で、二つの想いが静かにせめぎあう。


ーーーーー


 テラスに出ると、夜の空気がそっと頬を撫でた。

 月明かりが静かに差し、遠くから音楽だけが微かに届く。


「ここなら少し息ができるだろう」


「ミリアン嬢。少し休憩しよう。」


「……はい、お兄様」


 ロイドお兄様の声は、ささやくように優しかった。


「ありがとう……ございます」


 胸の奥の波はまだ収まらず、わたくしの心を締めつける。

 王子の誠実さも、優しさも、敬意も痛いほど伝わってくる。

 それでも。


(違う……この痛みは、別のところから)


 心を締めつけるのは、間違いなく想い人の影。


「ミリアン。ひとつだけ聞かせてくれ」


 ロイドお兄様がそっと視線を合わせる。


「まだ……彼を想っているのかい?」


 心が、びくりと震えた。


 わたくしは答えられず、ただ指先をぎゅっと握る。

 それだけで十分だったのだろう。

 お兄様はゆっくり息を吐き、柔らかく微笑んだ。


「なら、答えは出ている。たとえ本人に届かなくとも、君の心はもう決まっているはずだ」


 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。


(そう……わたくしは……)


 忘れられない。

 あの夜の声も、視線も、温もりも。


ーーーーー


 夜会がひと段落し、王子が再びわたくしの前へと歩み寄った。

 周囲の視線が自然と集まる。


「ミリアン嬢。お時間をいただけますか?」


 その声音は丁寧で、真摯で、揺らぎがなかった。

 だからこそ、応えなくてはならない。


 逃げずに。


 嘘をつかずに。


 わたくしは深く礼をし、顔を上げて言った。


「殿下。光栄なお申し出をいただきながら、このように申し上げるのは心苦しいのですが……わたくしは、まだ心に区切りをつけられておりませんの」


 ざわり、と小さな波紋が広がる。


 けれど王子の瞳は揺れなかった。


「そうか……誰かを想っているのだね?」


 わたくしは、静かに頷いた。


「ええ。叶わぬことと分かっていても、まだ胸の中に残っておりますの」


「なるほど。ならば、今はまだ踏み出すべきではない。心が少し落ち着くまでは」


 その返答に、今度はわたくしが息を呑んだ。


 責められることも、失望の色を向けられることも覚悟していた。

 けれど殿下はただ、穏やかに微笑んだ。


「正直であることは、何より尊い。むしろ礼を言おう、ミリアン嬢。本心を伝えてくれてありがとう」


「殿下……」


「いつか心が晴れた時、もし道が交わることがあれば……その時は改めて話そう」


 その声音は、優しく背中を押す風のようだった。

 わたくしの負担にならぬよう期限は求めず

『いつか心が晴れた時』そう言ってくれた方。

 その優しさに今は素直に甘えてしまおう。


ーーーーー


 殿下が去ったあと、そっと横にロイドお兄様が立った。


「よく言えたね」


「……ええ。怖かったけれど」


「大丈夫。君は間違っていない」


 その言葉に、肩の力がすっと抜けていく。


 わたくしは胸に手を当て、静かに目を閉じた。


(エドガー様……まだ、わたくしの中にいらっしゃるの方)


 切なく、けれど温かい余韻。


 忘れられないのではなく、

 大切したいだけなのだと、ようやく気づく。


 夜風がそよぎ、ドレスの裾がふわりと揺れた。


 わたくしは小さく微笑む。


(いつか必ず、前に進める日が来るのでしょう)


 けれど今はまだ。


 この想いを抱いたまま、歩いていこう。












 

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