20話
二日後の夜明け、薄い雲の切れ間から光が差し込んだ。
廊下の奥からは重い足音が近づいて来る。
レイモンドさんである。
「奥様……」
彼は複雑な顔で一礼した。
その眉間には深い皺が寄っていて、ただならぬ空気を感じ取っているのがわかった。
「先程こちらに到着いたしました。陛下も心配しておられます。ご主人様の容態は……」
わたくしは黙ったままエドガー様の横たわる部屋へと案内をした。
そしてすぐ横に置いてある椅子に座り、エドガー様の顔にかかる髪に触れた時、微かに睫毛が揺れた。
「……エドガー様……?」
わたくしの呼びかけに、彼の瞳がほんの少しだけ開く。
あの、わたくしが愛する深い海のような青色が、かすかに揺らいでいる。
「ミリアン……なのか」
「はい。意識が戻ったのですね……!」
涙が、勝手に落ちる。
その声に気づき、レイモンドさんが背後で小さく息をのんだ。
彼もまた、この瞬間をどれほど喜んだだろう。
すぐに医師が呼ばれ、皆が集まった。
医師はエドガー様の容態を確認し、周囲に向き直る。
その表情は、決して良い知らせを告げるものではなかった。
わたくしは前もって辺境伯様から聞かされていたので覚悟は出来ていた。
「……残念ですが、卿は今後、歩行は難しいでしょう。おそらく生涯……」
その言葉が部屋に落ちた瞬間、ソニア様は青ざめ、レイモンドさんは拳を握った。
だけどエドガー様は、笑った。
ひどく静かに、そしてゆっくりと話し始めた。
「……そうか。なるほどな」
彼はしばらく天井を見つめ、それからぽつりと言った。
「ミリアン。貴女は……社交界の華でしたね。私は、この戦いが終わったら……ルイスに頼んでダンスの続きを教えてもらうはずだったんですよ」
「え……」
「昔、貴女に課題を出されたことがありましたね。
『わたくしを輝かせるエスコートをしてみなさい』って……」
そんなこと……。
胸が痛くて、息ができなかった。
彼はあの日、真剣に受け止めてくれた。
まさか今でも、それを叶えようとしていたなんて。
「だが、もう……その約束は、果たせそうにないな」
言葉に込められた悔しさは深かった。
でもそれ以上に、彼の横顔には、わたくしへの怖いくらいの思いやりを感じた。
「ミリアン。私は……貴女を幸せにできない」
「そんなこと、ありません。わたくしは……」
遮るように、彼は言った。
「いや。私では、貴女の妻としての未来を奪ってしまう。
貴女はまだ若い。もっとふさわしい男が……」
「わたくしはエドガー様がいいのです。あなた以外望んでおりません」
強く言い切ると、レイモンドさんまで目を伏せた。
医師はわたくしたちを、まだ意識を取り戻したばかりだからと扉の外へと促した。
それきり彼は言葉を発することはなかった。
ただ瞳からは一筋の涙がシーツを濡らしていたのが見えた。




