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高飛車な侯爵令嬢と不器用な騎士団長  作者: ヴァンドール


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17/42

17話

 翌朝。

 わたくしは手紙の余韻を胸の奥にそっとしまい、いつものように執務室へ向かった。


「奥様。早朝にもかかわらず、商業ギルドからの使者が来ております」


 レイモンドさんが書類を抱えたまま、静かに告げた。


「商業ギルド? あら、また薬草の追加契約かしら?」


「いいえ、今回は査察とのことです」


「あらまあ」


 アンが、持っていたティーポットを危うく落としそうになった。


「査察って、何か疑われてるんですか!?」


「安心してアン。ああいう組織は儲かっていると分かった途端に調査したがるものなのよ」


 わたくしは微笑んだ。

 ふふ、どこの商業組織でも同じだわね。


「ですが奥様、このタイミングでの査察は妙に急でして。こちらの繁栄を快く思っていない誰かの差し金かもしれません」


「それは……あり得なくはありませんわね」


 わたくしの脳裏に浮かんだのは薬草の元来の独占者たち。


 都で薬草を扱ってきた商家の中には、新参者であるわたくしの領地が急激に台頭したことを快く思っていない者もいる。

 どこかの誰かが、ギルドに働きかけて潰しにきた可能性は十分あった。


「ふふ、ようやく来ましたわね。こうでなくては商売は面白くありませんもの」


「奥様、そんな悠長に笑っておられる場合ではありません」


「アン、商売敵が動いたということは、こちらが本物だと証明されたようなものよ」


 アンは頭を抱え、レイモンドさんは


「では、参りますか」


 と呟いた。


 ほどなくして、商人ギルドの使者、ガルシアと名乗る者が応接室に通された。

 派手な衣服を身に纏い、これ見よがしに帳簿に不正があるかのような態度で、いかにも自分は偉いと見せる人間だ。


「これは失礼。奥様がお一人で領地経営を? 実にお珍しい」


 あら、早速わたくしを値踏みしているのね。

 まあ、その程度で怯むほど柔ではないけれど。


「本日は見事な薬草の収穫、まことに結構でございます。ただ、急に増えすぎている。このままでは市場全体の均衡を崩しかねませんので、ギルドとしては出荷量の規制をお願いしたいのです」


 アンは小声で囁く。


「奥様、それって、売る量を勝手に減らされるってことですよね?」


「そういうことですわね」


 わたくしは優雅に微笑み、ガルシア氏を正面から見据えた。


「ガルシア様。その規制とやらは、その根拠と市場予測を、まずご提示いただけるかしら?」


「こ、根拠? いや、だから……市場全体の均衡を……」


「均衡は感覚ではなく、数字で語るものですわ」


 ガルシア氏の額に汗がにじみ始める。


 わたくしはレイモンドさんを見た。


「資料の準備を」


「はい、奥様」


 レイモンドさんは淡々と、数ヶ月分の収穫量、在庫量、需要の伸び、都の商人から届いている注文書の写し、驚くほど体系的に整った書類を机に広げた。


「こちらが市場全体の需要曲線。こちらは当領地の供給量の予測。そしてこちらが、薬草商会の価格安定基準との照合です」


「え、ええ……?」


「ご覧の通り、当領地の供給は市場の不足分を補っているだけで、むしろ均衡に寄与しています。……違いますか?」


 ガルシア氏は、完全に口を閉じた。


 机の上の数字に抗うことはできないのだから。


「そ、それはですな、しかし、急激な増産は常に監視の対象で……」


「ご心配なく。きちんとギルドへ定期報告書を提出しますわ。それで足りませんこと?」


「は、はい……」


 完全敗北である。


 わたくしは優雅に微笑んだ。


「では、出荷制限は必要なしということでよろしいですわね?」


「し、失礼いたしました!」


 カベル氏は真っ赤になりながら頭を下げ、足早に退室していった。


 扉が閉まると同時に、アンが安堵の溜息を漏らした。


「奥様、相変わらずめちゃくちゃ強いですね」


「当然よ。エドガー様から任された領地ですもの」


「そこですか!?」


 レイモンドさんは静かに頷く。


「奥様、見事な返り討ちでございました」


「ざまあみなさいませ、ですわね」


 ふふ少しだけ気持ちが良かったわ。


 


 ギルドの査察騒動が片付き、落ち着いた空気が流れたその夜。


 レイモンドさんが、再びわたくしのもとへ手紙を差し出した。


「奥様。戦場より、お手紙です」


「まあ、今日はずいぶんと手紙が来ますわね」


 軽く受け取り、封を切った次の瞬間、わたくしの指が震えた。


 その手紙は、エドガー様の筆跡ではなかった。

 送られてきたのは、見知らぬ筆跡。

 そして、わたくしの視界に飛び込んできた最初の一文は


『奥方様。エドガー・ウィルソン団長が戦線にて負傷されました』


「…………っ」


 心臓が、掴まれたように固く痛む。


 室内の空気が、一瞬で凍りついた。


「奥様……!」


 アンの声が遠くに聞こえる。


 わたくしは震える指先で続きを読み進めた。


『命に別状はない。しかし、しばらく戦線に戻れぬ重傷である』


 命はある。

 それだけで……救われるはずなのに。


 わたくしの胸の奥は、どうしようもない恐怖と焦燥で今にも押しつぶされそうだった。


「エドガー様が……」


 わたくしは、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 泣きたくなるのを、必死に押しとどめた。


 エドガー様が生きている。ならば、わたくしがすべきことは一つ。


「レイモンドさん。至急準備を整えて。わたくし、戦場へ向かいますわ」


「奥様、お覚悟は?」


「もちろんよ。エドガー様の妻として、当然の責務ですもの」


 わたくしは震えを抑えながらも、毅然と立ち上がった。


「わたくしが行って、必ず彼を連れ帰ってきますわ」


 その瞳には、涙の代わりに強く揺るぎない光が宿っていた。

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